ひつじこ

2021年12月31日

例えば聴覚障碍者に「私は差別はしないです。誰でも受け入れます。あ、筆談と手話は無しで。ちょっと大変ですし、何より目立ちますよ?聞こえないのを皆に言わないでください、偏見の目で見られますよ?皆と同じが自然なんです。特別扱いはしません。」とか言う?

聴覚障害児にとっての手話や筆談のように、発達障害児にもコミュニケーションが取りやすくなる方法がある。それは実は集団生活に向くし健常者にもわかりやすい。でも導入しなくても大多数は通じるし、一般のコミュニケーションとアプローチが大きく違うので浸透しない。

発達障害は他の障害に比べて、健常者が共存するイメージを持ちにくいのだろう。特性とコミュニケーションを取る方法を伝えても、そのやり方は好きではない、人間的でないと諭される。仕方がない。今回学んだから、次からそんな状況になったら距離をとる。社会が変わるのを待つ。

今、私が実際に動いて社会の考え方を変えていくことはできない。多動で目が離せない子を連れていては、相談も話し合いもできない。今は子育てだけで精一杯だ。将来的には必ず尽力するから、今は諦念の気持ちで勉強しながら時を待つ。

クラスのみんながまとまって取り組む素晴らしさは知っている。公教育は好きだ。だからこそ、真にみんなが楽しく居られる場所作りや教材作りやクラス運営を本気で考えてほしい。誰も排除しないためには知識も技術も必要だけどできないことはない。

「あなたはできなくていい、やらなくていい」は子どもを認めていない。子どもは「ちょっとだけ難しい」が大好きだ。子ども一人ひとりの実態を把握し、専門知識をベースに創意工夫した課題づくり、取り組ませる動機づけと綿密な段取り、落ち着ける環境が必要。

「できないならやらなくてもいい。」と先生に言われる度に子どもは傷つく。「自分はみんなと違ってできない」を毎日先生に突きつけられて苦しむくないなら、集団生活の経験は出来なくなるが、家で楽しみながら学んでいこう。

わかるまで一年かかったけどもう大丈夫だ。覚悟ができた。なんとかなると思う。もし、なんともならなくても、子どもたちを笑わせながら毎日楽しく生活することはできる。勉強は私とたかしさんがみる。とにかく笑っていればいい。

たかしさん、一年間どうもありがとう。今年の私、すっごい怖かったよね。本当にすみませんでした。もうわかったから。もう大丈夫。また駄目になる時もあるかもだけど、それも含めてもう大丈夫。ホントに見守ってくれてありがとう。

大学時代に習った家庭科教育法はすっごく良い授業だった。私の視点の基礎になっている。どんどん忘れるから、覚えていることをメモ。(もう20年以上経っているから、だいぶ私のアレンジが入っていると思うので先生の名前は控えておきます)

家庭科は入学試験がないので、得意な子と全くできない子の幅が他教科より大きい特徴があります。また、取り扱う内容が生活に則しているので、個人の生活環境によっても得意と不得意の幅が出ます。教員が想像する「生徒」を前提に授業を作らずに、まず目の前の子どもを良くみましょう。

家庭科の指導内容は子どもの家庭生活によって理解度や感想に差が出ます。例えば寮生活や一人暮らしで炊事、洗濯、掃除、バイト、お金の引き落とし等を日常生活で行っていれば、授業の内容が物足りないかもしれません。核家族か拡大家族かなど、家族の構成員によっても変わります。

同じ制服を着て同じ時間に同じクラスで授業を受けている子どもたちは、校門を出たらそれぞれ違う生活を送っている、ばらばらな子達に家庭生活の話をするんだ、ということを忘れないでください。家族構成も食習慣も生活の習慣もリズムも、一人ひとり全然違うことを忘れないでください。

思春期の子どもは、保護者の家族観が自分の意見になっている場合が多く、基本的に保守的です。自分が自分の未来を作るという自覚を持ち、将来の自分が作る家庭観、家族観を思い描けるようにするのが家庭科の目的です。決まった正解はないので教師の意見を押し付けないことが大事です。

良い授業は子どもに必要だと思われる授業です。そんな授業を作るために、生徒一人ひとりの実態を把握する必要があります。実態把握にはコミュニケーションをとり、よく観察し、そのままの子ども受け入れる。授業のあとは真摯に感想を聞いて次に活かすようにします。

授業は生徒と教師が対等に作り上げることで良い物になります。対等な立場として授業に参加してもらうには、普段から成績の付け方を明確にし、生徒がどんな考えをしても成績に影響がないことを伝えます。相手の考えを認め、共に学ぶ、充実した時間だったと思える授業を目指します。

家庭科の製作実習は課題を細分化します。同じ材料で出来上がりや作り方を難易度別に複数用意し、早く終えた生徒のために発展課題を用意します。作り方の説明も、実演、プリント、映像、実物を工程ごとに複数用意します。どういった観点で成績を付けるかを最初に生徒に説明します。

製作が苦手な子は必ず居ます。そんな子でも製作時間の苦痛が最小限になるように、例えば作り方の実演説明をする際にその子の物を使ったりして、少しずつ課題を進めるようにします。たまたま、その子の物を使わせてもらうみたいな流れを作って自尊心を損ねないようにします。

実技では、教員ができる子しか見ていない、自分が無視されて放置されていると感じさせない指導をします。一人ひとりが授業前よりもレベルアップできるように、先生が一人ひとりを気にかけて実際に「前よりはできるようになった」とそれぞれが思えるような授業作りが大事です。

製作の時間、作り方の実演説明をする時に、見やすい場所を陣取れる子とそうでない子がいます。なので、分からない子が居なくなるまで何度でも同じ説明を繰返します。一度も聞きに来ない子どもも居るので注意が必要です。机間巡視をし直接進捗状況を見に行って対応します。

20年以上前の授業だけど、普通にクラス全員に対して配慮をすること、支援的な視点を持って授業をすることを心がけていた。クラスのみんな一人ひとりを見ているよ、対応するよっていう授業をするように教えてもらった。現代の家庭科教育法は、どんな授業をしているんだろう。

2021年12月30日

今朝、急に心から反省できた。そして急にふわっと楽になった。

私、オトモを守るためなら平気で鬼にもなれちゃうんだ。だから、これからは気をつける。オトモを守るには、今の公教育はまだその場を離れて逃げるのがいいことを学んだ。

教育者だからといって発達障害の特性や支援について専門的に知っているわけではないのがよく分かった。できないことはできないし無理なものは無理なんだ。こちらはそこから離れるしかない。私がずっといて邪魔だっただろうな。申し訳なかった。もう去ったのでそちらはそちらで平和に暮らしてほしい。

そこに居たほうがオトモにとって良いと思っていたけど、何度も何度もオトモに対して起こる辛いことは、ずっと私に「早く辞めなさい!良いから辞めなさい!悪いこと言わないから辞めなさい!」と言っていたのかもしれない。今になって思えば。

いやあ、オトモが辛い目に合うのを見るのは本当に辛かったから、トラウマっぽく未だに急に不安になる時がある。でも多分、もう大丈夫。少しずつ傷が癒えるはず。今回はすっごい勉強をさせてもらったんだ。この年齢でこの経験ができたことには感謝だ。

ああ、多分、やっと本当に楽になったんだ。だから、今日はいっぱい掃除ができた。たかしさんが一緒になって掃除をしてくれたから、見た目にもガッツリきれいになった。本当にありがとう。今年は幼稚園が大変だったから、掃除まで気が回せなかったんだ。ずっと気になっていたから、すっごく嬉しい。

明日は玄関の辺をやる。あと、帰省の準備。

2021年12月28日

しんどいことが一段落した。まだ眠れないけど、少しずつ傷がふさがって元気になれる。多分もう大丈夫。

21日にお寺にもいけなくなりプツッと切れた。22日には結論が出たんだけど、23日に一日寝かせて考えた。そしてやはり結論が変わらなかった。24日に勇気を出して伝えて手続きが始まった。

気持ち的には完全に切れたから、社会的に切らなくてもいいのかも知れないと悩んだが、続けているとそれなりにしがらみがあるので、どうしても脳の円グラフの面積が結構取られてしまう。心配事しか生み出さない。社会的にも切らないと、神経が持たなかった。

2021年12月22日

気持ち的にはもう切れた。通えないのを無理矢理促さない。 ただ、正式に切るのはどうしようか。

正式に切ると良いことは私の気持ちがスッキリして気持ちが明るくなる。

正式に切ると悪いことは退園手続きが少し精神的にダメージがある。

そして幼稚園側からのずれていると感じるアプローチが無くなるのでオトモへの悪い影響がない。対応についてのストレスが減る。

2021年12月20日

自分が求めたいことって何だろう。

オトモがオトモらしくいられる環境を作りたい。

家族が楽しくいられる憩いの場を作りたい。

自分の体を自分でコントロールしたい。

家を居心地よくしたい。

社会的な常識に囚われなかったら、自分で作り出せる。社会的な常識に従おうとするから、社会にお願いせざる負えなくなって、その結果できなくなっている。 今は、社会に求めても無理なのだから、自分でやったほうが良い。

さて。土曜日はみかん狩りイベントに参加した。色んな世代の方の中に混じって、うちの家族も行動できた。基本、オトモのサークルなんだけど、シノンやオタマも居心地が良さそうで良かった。また参加できそうなイベントがあったら、申し込みたいが、たかしさんはどうだったかな?

オトモは外食をマスターした。自分の好きなものを注文して、席で待っていると、食べ物がテーブルに用意されることを理解した。ドリンクバーでは、好きなジューズを選んでボタンを押してコップに注げること、テーブルに運んでから飲むことを覚えた。回転寿司屋さんとサイゼリアはもう大丈夫。

おでかけでの問題はまだ色々あるが外食ができるようになったのは助かる。

トイレ問題はなかなか厄介。一つはドアが閉められないこと。鍵がかかって出られなくなると怖いという。私と離れられない問題もあるので、私がトイレに入るときは、ドアを開けっ放しで用を足さないといけない。

トイレのもう一つの問題。自動で流水音が流れたり、水が実際に流れたりするのが怖くて便器に近づけないこと。とりあえず、100円ショップで売っている簡易トイレ袋に用を足せるようにはなっているので、便器のそばに近寄らずに袋の中に用を足せるようにはなったが、使用後の袋を持ち歩くのは色々と不安で気をつかうので、できたらトイレでできるようになったらいいな。

日曜日はオトモのバースデーイブ。不二家のケーキを食べてお祝いした。ろうそくを立ててフーっと消すことができた。

土曜日のみかんをひたすら食べて過ごす一日。絶対に太っている。

オトモはバビブベボディというEテレ番組が好きだね。体の中のことを知りたいんだね。

オトモ、お誕生日、おめでとう!嬉しいよ。

2021年12月16日

この1ヶ月のオトモは脳の回路が繋がったように色々出来るようになった。そのために、色々なことができなくなった。

さて。そんなわけで、一番できなくなって困っているのがドアを締めておくことなのだが。これが本当に厄介。

幼稚園の門が閉まるとパニクる。まあ、行けないよね。

どうやって折り合いをつけていくか。

寒いの、嫌だな。暖かくして過ごしたいな。

2021年12月13日

昨日はお風呂でゆっくりと体を洗った。すべすべになってスッキリした。

今日も幼稚園には入れず。お寺で麦茶と飴を食べて、庭を手入れしている人とお話をしてから、一度家に戻ってサッポロポテトを持って海浜公園に行った。途中、ローソンでパリチキを買って。

12時近くまで公園で遊んだから、良いのではないかな。

家に帰って。タンスの中で着ていない冬服たちを収納袋に入れて、引き出しの中の服を少なくした。捨てるのは忍びないから収納袋。

帰宅後のオトモは、しばらくのんびりしてから14時半頃にラーメンを食べたり。ちょうどシノンの下校時刻と重なったので、シノンのおやつもラーメンに。その後、オタマもラーメン。

海がすごくきれいだったから、なんか、スッキリした。

もう、理解されようとか思わない。理解してもらう運動は、もう少し余裕のある人達や声の大きい人に任せて、今は私は楽しく過ごす。

先週オトモがおっぱいを卒業した。夏頃から暑さのせいか思い出したときや眠っているときしか飲まなくなって、それで左は完全に出なくなり、右もだいぶ母乳の出が悪くなってきて。 出なくなると寝ぼけて乳首を咥えてもすぐに離すようになって、夜間もほぼ飲まなくなった。

11月の下旬辺りから、寝る前に乳首の詰まりを確認したり観察したりしていたんだけど、先週、「もう、出ないね。終わりだね。」と言っておっぱいから離れた。

また飲むかと思っていたが、あの日以来飲んでいない。5歳11ヶ月。最後は自分からあっさりだったな。

2021年12月12日

オトモ、シノン、オタマでカルタ取りが出来た。オトモとシノンが同時になった時に「シノン、どうぞ」と札を譲ったりしている。すごいな。

オトモの誕生日が近いので、、誕生日ケーキの予約をしに出かけようと言ったが、「僕、進化したくない。ケーキはいらない。」と答える。うーん。お祝いなしのほうがいいのかな。

ケーキって高いよね。うちはガッツリ食べる派だから、18センチ〜20センチくらいのが良いと思うんだけど、5000円くらいするね。オトモが要らないっていうなら無くてもいいか。

オタマバイオリン、たかしさんがビオラ。かっこいいなぁ。音が重厚になっている。上手くなっている。

シノンもピアノが上手くなっている。オトモのピアノも上手になっているよ。みんなすごいね。

私は太ってきた。そりゃ、太っちゃうよね。幼稚園にいる間は14時すぎまで飲まず食わずだったものね。

膝の裏が汚れているのが分かった。今日はお風呂で丁寧に洗おう。ちょっと楽しみになってきた。

2021年12月11日

幼稚園に行けなくなると、同伴していた私の生活も一変する。幼稚園に滞在していた9時〜14時が、何かできそうな時間になった。落ち着いて、ちょっとここで私を色々と整えたい。

ああ、病んでいるなぁ。こういうことを何度も書かないと、元気になれそうにない。

まだ救いがあるのが、ドラマを面白く見れていることだ。和田家の男たちは面白かったなぁ。アンという名の少女も面白かった。群青領域も良くなってきたし、最愛の気合も楽しい。ちゃんと楽しめる。まだ大丈夫だ。

さて、お芝居を観に行くことも再開したいなぁ。

部屋とかボロボロだけど。部屋を片付けるエネルギーはまだ出てこないな。

ちょっと元気がでたんだろうな。ナンを焼いたよ。粉200、イースト5くらい、砂糖15くらい、牛乳130くらい、溶かしバター10くらい、塩ひとつまみで。捏ねてちょっと寝かせて。6等分して三角に伸ばしてからフライパン。だいたい15分くらい焼いたと思う。

明日はチーズケーキとココアスポンジケーキかな。

カレーにミックスビーンズを入れると美味しいね。

たかしさんの髪を切ったよ。

2021年12月09日

7日のオタマの音楽演奏会は、オトモと私と尚さんででかけた。場所が就学前健診を受けた体育館だったので、急に記憶が蘇ったようで、しばらく入るのを嫌がったが、なだめなだめ中に入って入り口で鑑賞した。

ちょっとのところでとても目立つし、はみ出すのがオトモなんだよね。

8日、雨振りで寒かったし、幼稚園はおやすみ。オトモと勉強したり、絵本を読んだりしてすごす。急に宮西達也さんのメリークリスマスおおかみさん、ときょうはなんてうんがいいんだろう、の2冊が気に入ってずっと読んでいた。勉強じゃなく読む本があるのはとってもいい。何度でも読んであげた。

療育って難しい。基本、おもちゃで遊ばせながら合間に課題をやらせるパターンで、オトモの今の課題は会話の受け答えだから、おもちゃに集中してしまうと会話の働きかけや内容が頭の中に入ってこなくなる。だからといって取り上げてしまっても会話に切り替えられるほどオトモは情緒が発達していない。

家だとおもちゃがないからな。

幼稚園の先生が嫌い発言。11月はじめから幼稚園にいる人に名前があることを繰り返し教え、そして顔と名前が一致するように取り組んだ結果、11月の終わりオトモは、担任の先生が(ああ、この人がいつも自分のやりたいことを中断させて追いかけてくる人だ)というのが分かってしまった。同時に理由をいう練習をさせたことで、それまでは、「ぼくは動画を見るのが大好きなの(だからここが嫌の意味)」としか表現できなかったのが、「幼稚園にぼくの楽しい遊びがないから、幼稚園がきらいだ」としっかり言えるようになった。

練習をすれば、気持ちを外に表すことができるようになるのが分かったのは、大きな成果だ。気持ちを伝えてくれれば周りが応えてくれるのを学ぶ良い機会だ。朝、幼稚園に行くかどうかを話し合うこと、何を食べたいか、飲みたいか、勉強は何をしたいか、などで、自分の気持ちを相手に伝えると叶う経験を沢山積むといい。

それはそれとして、幼稚園PTAに、オトモは幼稚園に通えなさそう、色々な仕事が無理っぽいと伝える。

せっかくお家にいるのだから、部屋をきれいにしたいなぁと思うのだが、私もこの1年近く本当に疲れたので、うまく体が動かない。

こんなことを毎日書いている内に元気になってくるかなぁと思う。

ホットケーキとレーズンバター、最高!

オトモが耳かきをした!「シスコーンみたいだな」と耳垢を見ていった。

2021年12月07日

昨日のオトモ「お友達にウイルスを移してしまうのは良くないから、僕はお家にいるよ。」と。一日お家で勉強をしては動画を見る生活。

軽い勉強をしては動画30分を繰り返していたら、「ぼく、もっと長い本を読もうかな。動画も長ーく」と言い出した。

「動画を見ながら、マグフォーマーをやろう」と。解説書を見ながら丸いのを作りたいと。展開図の状態を作って、それを持ち上げて円形にするのを何度もやった。ペンギンのぬいぐるみの卵に見立てたり、お菓子に見立てたり。ぐしゃっと壊れてしまっても受け入れるようになった。

お昼の時間は一緒にテーブルについて「いただきます」とか。

ピアノが随分と上手くなっている。和音を間違えると気がつく。

ドレミソラシドの指運びの練習。

夜寝る前に本を読みたがる。沢山会話をしたがる。これはこれで習慣としても良いし、学習効果も高いから続けたほうが良いと思うが、とにかく私は眠い。

これはこれで、十分に学びのある一日だ。楽しくない時間をただ走ってやり過ごすよりもずっといい。

社会的な働きかけや幼稚園とのやりとりは、時代と他の人に任せて、今は、オトモをよく見て、シノンやオタマをよく見て、一日一日を学びのある楽しい日にした方がいい。

今、私がやるべきことはそっちだ。不安になることもあるけど、ここは自信を持ってやっていこう。

久々にリングフィットやったよ。

さて。今日はオタマの音楽演奏会。

2021年12月05日

昨日は一日中悶ていた。歌が恥ずかしすぎてフッっと思い出して「あああ、たかしーぃ!」ってなった。失恋のあとみたいに、徐々に傷が癒えるのを待つしかない。

それは置いておいて。オトモと一昨日の夜にお寿司屋さんの話をしたのをしっかりと覚えていて、昨日の夜に「あ、ぼく、お寿司屋さんに行くのを忘れていた!」と言ったので、「じゃあ、明日に行こう」となり。今日、開店と同時にお寿司屋さんに行った。

私は行く前に牛乳プロテインとカニカマを食べてお腹を膨らませてから行った。ちょっと風邪っぽいし食べすぎたくなかったから。

オトモ、お寿司屋さんでお箸で食べた!。ピアノもいい感じに弾いているし、鉛筆も持ち始めているし、これはお箸の練習を始める時期が来たってことか。

オトモについては、家で色々取り組んだ方が効率が良かったり、効果がある時期が来ているんだと思うのだけど、1人でオトモと24時間向き合うのって、結構大変なんだよね。だからといって、他の人にお願いした時に覚える悪い行動や心の傷が定着するのは困るんだよなぁ。

私の覚悟が必要だな。忙しいのはすっごい知っているけど、尚さんにも覚悟を求めたい。私はオトモの会話力を伸ばすのが上手いから、そっちをやる。尚さんは私よりも勉強を上手に教えられるから、家にいるときは尚さんが勉強を見てほしい。小学校に入るまでの3ヶ月ちょっと、私達でどれくらいできるか。

寒いのが今後の課題だな。外で遊ぶのが結構辛いな。

和田家の男たち、面白いよ。たかしさん、面白いよ。絶対に見ないと思うけど。

アンという名の少女も面白いんだよ。尚さん、絶対に見ないと思うけど。

他にもいくつか見ているけど、たかしさんに伝えたいのはその2つだね。

シノン、干しいちじくにハマる。

おばちゃん、調子が悪いらしい。もう意識のあるおばちゃんには戻らなそう。

寒いし、歌は思い出すと恥ずかしいし、オトモは幼稚園が嫌いと宣言するし、なんか風引いちゃったし。色々と凹みがち。

11月の第4週にオトモが「幼稚園がきらい」「担任がきらい」「どうして僕を幼稚園に行かせるの」「どうして幼稚園はお弁当を食べるの」と言うようになった。 私は「オトモは5歳だから幼稚園に行ったほうが楽しいかなぁって思って、幼稚園に行こうって誘っていたけど、オトモがすごく嫌だって分かったから、もう行かなくてもいいよ」と言って12月第一週から無理に誘って通わせない方針にした。 完全に幼稚園に行かなくなるかと思ったら、オトモは「僕が嫌いって言ったから、幼稚園に行かないの?」と聞いて朝だけスタンプを押しに行ったりしている。 12月第2週の明日、月曜日からどうなるか分からないけど、まずはオトモの気持ちを言語化させて、その後にどんな行動をしたいかをゆっくり話し合うようにしようと思う。

オトモの口から、「幼稚園は僕の楽しい遊びがないから嫌い」と「担任が嫌い」という言葉がでた。「幼稚園は楽しいこともあるけど、嫌いなことがある」と言う。友達と笑い合ったり、友達と見つめ合ったりするのは好きなようだが、トータルで嫌いが勝っている様子。園の中に入るのは辛そうだ。友達と笑い合うのは大事でこの機会を失うのは本当に心苦しいが、幸い家には姉二人がいる。この二人と遊ぶことを大事にしていこう。

さて。幼稚園に行かないとなると、その時間に何をさせるかだ。幼稚園の外でフラフラと遊びながらおしゃべりを沢山させるのがいいだろうが、何しろ今は寒いから、外でじっとしていることはできない。支援センターなども行き先候補に入れようと思う。支援センターに相談したほうがいいかな。

療育も日数を増やそうかと思ったが、今、オトモと気が合って教育効果のある先生が少ない。オトモが療育自体を嫌いになってしまう可能性もあるので、やはり家庭ですごすのを中心に考えていこう。

自分の直感を研ぎずまして、オトモに対して本当に良いことを求めていこう。結局毎度あがいてあがいて、結論が出るのが私のパターンだから、こうして頭で一生懸命考えても仕方がないのかな?とも思うけど、この作業をしてから、初めて神様は手を差し伸べてくれるんだよね。この作業大事。

これからも小学校とかでもこういうことはあるだろう。子育てや教育は、家でやること。学校はオトモに悪影響なら通わせないようにする。を基本方針にしていこう。

これはシノンやオタマも同じだ。学校で不足な部分は家で補う必要がある。レベルは子どもによって全然違うが、対応と方針はみんな同じだ。

そして何より大事にしたいのは、楽しく過ごすこと。毎日を楽しいと思える日にしたい。その積み重ねが大事だと思う。

2021年12月03日

オトモが色々と喋る。

12月1日からオトモが幼稚園に居たくないと言ったら行かないようにしている。 すると、オトモ「僕が幼稚園が嫌いというと、行かないの?」私「そうだよ。今日は幼稚園に行く日だけど、オトモが行きたくないって知ったから、行かない方が良いと思っているよ。」オトモ「行く日なら行こう」と言って朝にでかけた。

幼稚園に行くと言ってでかけはするが、幼稚園の中に入るのは、オトモにとってすごく大変な壁があるようだ。だから、お寺でおやつを食べたりしながら過ごす。

オトモは平日は幼稚園に行かないと、オタマやシノンがなかなか帰ってこないと思って出かけるようだ。一日を家で過ごすのはしんどいと思うのは良いような気がする。

話を良くしているんだけど、「赤ちゃんのときの幼稚園は楽しかったんだけど、大きくなったら嫌いになった」と言い始めてきた。それは私の見てきたのと一致しているなと関心したり。

「今日の夜は、お母さんと一緒に夢が見られたらいいな。おんなじ夢を一緒にみたいな」って。本当だね。

歌、恥ずかしすぎる。

この年になって、歌声が恥ずかしくて悶えるとか、もうそれ自体が恥ずかしい。


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