ひつじこ

2021年07月22日

20日はジーザス・クライスト・スーパースターコンサートに。劇場に入って動揺した。あれ?チケットの「2列」って2列目じゃない!わ!最前列(しかもほぼ真ん中!)!うわ!これ、黒板と一番前の席の人の距離だ!凄すぎる人たちをこんな距離で感じられるのか!だいぶやばい!

舞台上の演者さんから客席は見えるのかな?もし見えるのなら、安心してパフォーマンスに集中してもらえるような態度を示したいなぁ、などと自意識過剰な思考に陥ってドキドキしだした。最前列、恐ろしい!幸せな気持ちと同時に物凄く緊張する!

前に席が無いんだもの、足の先まで気が抜けない。お行儀よく真剣に観ている感じをアピるために、2時間ちょっと、内腿の筋トレだと思って足を閉じてシャンとして観る!

お気に入りの膝丈ワンピを着てきて本当に良かった。足は開けないけど、もしリラックスして観劇できる普段の服だったら、多分自分を消したくなっていた。緑のイヤリングをしてきて良かった!自分の味方になって気持ちを奮い立たせてくれる服やアクセサリーって大事!

両サイドの字幕は諦めよう。いや、最前列でも配置的には全然読めるんだけど、これだけ演者さんが近いと文字を追う時間がもったいない。こうなったら念で!おでこ辺りの何か(?)を開いて感じるイメージで!スター達は歌声や体から発する何かで全てを伝えてくれるはず!

目の前には舞台セットのみ、観客のおしゃべりの声はなくて、放課後のブラバンがめっちゃ上手くなったみたいな音がする。字幕に頼らずに、自分の体全部を使って、舞台の上で起こることを受け止めると覚悟して静かにしていたら、自分の内側の世界にどっぷり浸ってしまって気持ちよくなってしまった。

JCSコン、自分の体から溢れ出ちゃうくらいの沢山のパワーを頂いてしまった。始まる前は、私も音楽に乗って舞台上のパフォーマンスに応えようと思っていたし、一曲めくらいまでは、演奏後には目一杯拍手をして感動したことを伝えようと決めていたんだけど、全然無理だった。

パフォーマンスが凄すぎて自意識が飛んでしまい、ただただ目の前で起こってしまう出来事を息を殺してこっそり覗き見しているような気持ちになった。苦しいくらいの迫力とエネルギーにやられて、タオルを握る手が最後まで胸から下に降ろせなかった。

言葉の壁はなかった。歌声と存在で十分に伝わった。気持ちが刺さりまくって動けない時に限って「世の中の流れはこっちだよ!世論の大多数はこっちだよ!さあ一緒に音楽の波に乗ろうぜっ!」と拍手や手振りを要求してくるから、もう、リアルに気持ちが辛くなったり痛くなった。無理ー!

ノリノリの歌の中のユダの心配とか、イケイケな民衆の中でのジーザスの憂いや孤独感とか、ピラトの誠実さと責任感とか、運命を受け入れ切れずに心情を吐露する二人とか、覚悟を決めた二人とか、後悔して語り合う二人とか。しんどい気持ちを受け取り過ぎて(手拍子とか無理ー!)って何度もなった。

最前列なのに!アンサンブルの方の優しいアイコンタクトにも(なんか笑顔でお返しできなくてすみません!全然上手く乗れないけど許して!見逃して!)って思いながら硬直してしまった。そのうち、(もしかして、この群衆心理と自分の気持ちとのズレがお芝居のテーマなのか?)と思ったりした。

アンサンブルって凄いなあ。ジーザス大好き使徒、威勢のいい商人、カヤパの仲間、貧しく不幸な民、ジーザスを捕えて喜ぶ民衆など、瞬時にいろんな人になって真逆の感情の演技や歌を歌ったりするの!役者さんって本当に凄いなぁ。私はあんなに間近で優しく誘われたのに民衆にすらなれなかった。

ペテロがすっごく可愛かった。あんなヤツ知らないと歌われても、ペテロだから仕方がないなぁ、許してあげようと思えた。ペテロの健全さと明るさが眩しくて、歌声が綺麗で強くて。ペテロの中の人の他のお芝居や歌をもっとみたいなぁって思った。

シモンはジーザスも仲間たちも大好きで、ジーザスに会って辛かった人生から救われた過去が見えるような強い歌声だった。熱っぽい眼差しでジーザスを見ていたシモンが変貌していったのは、自分の希望の星だったジーザスの惨めな姿を認めたくなかったのかな。見てて辛かったー。

前半の健全なペテロと熱いシモンが仲良しなのが微笑ましかったな。シモンとペテロがマリアに優しいのもすごく良かった。コンサートっていっても、歌の回りで出演者全員がガッツリ演じ続けてくれているから、どこを見ても物語があって本当に面白かった。

カヤパとアンナスは、そんなに悪い人じゃないよね?って思える所が面白かった。「立場での発言ってこうなっちゃうよね、わかる、わかる!」って感じ。ユダを追い詰めて居場所を吐かせたり、ジーザスを捕まえたりした時もあんまり悪くみえなかった。

でもって、自分達が残酷なことを決めているのに「あいつがあんなだから仕方がないんだ」みたいな空気に持っていくのがすごく上手で。カヤパみたいに低い声の圧で振る舞うのも分かるし、アンナスみたいにキーキーと追い詰めていくパターンもあるなぁって思った。

カヤパとアンナスがそこまで悪人に見えなかったのは、中の人の人柄が滲み出た結果なのかな?それとも意図的に「ジーザス側からみたら、そりゃ悪いキャラですよ、そっちから見ればね。でも俺は仕事しているだけだよ」って感じをわざと作り出したのかな。だとしたら凄く今の世の中っぽくって面白い。

本当に性根が悪そうな人はヘロデ王だよね。統治する立場なのに世の中の動きとか全然興味なくてどうでも良いんだよね。自分の目の前が面白ければよくて、周りの人をバカにしながらのびのび生きている感じが凄く良かった。責任を負う仕事は他人に回してしまうし。こういう人がいるのも常だよね。

そんなヘロデ王やカヤパやアンナスに仕事を押し付けられたピラト、おしゃれな切り替えのある赤銅色ジャケットがすっごく似合っていてめっちゃかっこよかった。そして歌声が大変だった。喜ぶ民衆、さめざめと泣くジーザス、辛そうに数え歌を歌うピラト。どこを観てもドキドキだった。

帰りは誰の歌に脳内支配されるかなぁと思っていたら、がっつりマリアだった。I don't know how to love himがエンドレス。ちゃんと愛しているのに自信がなくて包んであげられないと悩む感じがもう。私が友達だったらペテロやシモンが慰める中に混じってEverything's Alrightを歌ってあげるよって思った。

そんなマリアの中の人の、漲る存在感と自信に満ちたオーラが素敵だった。歌声ももちろん素晴らしくて、舞台の上の人のもつエネルギーって凄いなって彼女を見て改めて思った。本人のパワーは消さずに自信なさげな役を演じて曲のメッセージを伝えられるんだーって、うわー凄いなぁって思った。

マリアもだけど、ユダとジーザスの歌唱力と表現力がものすごくて。3回くらい泣きそうになったけど、マスクと眼鏡だったからタオルで涙を抑えるのは面倒くさかったし、一度涙がでちゃうと眼鏡が曇って前が見えなくなるからぐっと堪えた。コロナめ、感情に任せて泣くこともままならないぜ。

ユダは誰よりも良い香油を使っていて周りがよく見えている優しい人だった。中の人が滲み出ちゃっているだけなのかは分からないけどそう感じた。だから、神様に選ばれてああいう辛い役回りをやることになったのかなって。体にズドーンと突き刺さってくる力強くて自由な歌声に震えた。

ジーザスは本当にジーザスだった。こういう人だったんだろうなぁって思った。自然と人が集まっちゃうよねっていう。浮世離れした感じと青年らしい未熟な感じが共存していてすっごい魅力的だった。ジーザスもユダがちゃんと最後まで好きだったよね、って信じられるような演出に感動した。

観ていて辛かったり痛かったりもしたけど、同時に愛に溢れたステージだった。出演している皆さんのチームワークや人柄の良さや愛情の深さや心の広さや真面目さみたいなものも凄い感じた。お客さんへの感謝の気持ちもすっごく感じた。みなさん、本当にキラッキラで魅力的な人たちだった。

お芝居としても、ジーザスから周囲の人への愛情もすっごく感じたのが新鮮だった。ジーザスもユダもピラトも、自分ではどうしようもない運命を最終的には受け入れて役割を全うした感じ。お互いへの愛情や労りを感じた。大いなる神の流れには逆らえないね、仕方がないよね、って。

抗っても逃れられない運命や苦悩がテーマにあると思うのだけど、みんながそれぞれの苦悩の塊をボンボン投下してくるからその表現の豊かさに気持ちがのたうち回った。歌で迫られると自分の気持ちの中にまで役の苦悩が入ってきちゃって揺さぶられるんだな。感情が忙しかったよ。

皆さん、歌に気持ち乗せてそれを人に伝えられて与えられる技術力とハートを持っているのがすごい。歌唱のレベルがすっごい高いから、歌の鑑賞を自然に通り越して安心してお話の中に入り込めた。あらゆる芸術作品は、人間の力みたいな物に触れたいんだったことを改めて思い出させてくれた。

ステージの皆さんのパワーを浴びて、お話の中にめっちゃハマって浸りきった。拍手ができなくなるほど感動して体が固まってしまった。だからすごいノリの悪い人になっちゃったけど許して。これコンサートってなっているけど思いっきりお芝居だった。自分でもびっくりの体験だった。


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