スルースの興奮が未だに続いている。充実した隙きのないお芝居だった。正直、舞台が大好きと胸を張って言える私でも、観ていているこちら側が気恥ずかしくなってしまうようなお芝居や、強引で辻褄の合わないストーリーやキャラの薄さが気になる舞台が多々ある。それでもやっぱり舞台が好きだから、私は基本舞台の幕が上がるときから『大目にみる目』を導入して「よしよし、そうか、これもまた良し」と孫を愛でるような感覚で観るようにしたりもするんだけど、今回はそんな目を導入する必要が全く無かった。スルースは、そんな目を持っていることすら忘れて舞台に没頭した。本当に面白かった。
昔、寝る前にNHKFMの青春アドベンチャーというラジオドラマを聞く習慣があった。それでよく主役をやっていたのが吉田鋼太郎さんで。中学生くらいの私は、エンディングで「吉田鋼太郎」と名前を聞くたびに「ああ、やっぱりこの人が出るとラジオドラマがぐっと面白くなるなぁ。どんな人なんだろうなぁ。ラジオドラマでは、いつもめちゃめちゃかっこいいけど実際はどうなんだろうなぁ。」と想像しながら眠りについていた。大学くらいになって蜷川さんの舞台をBSで観て「ああ、この人が吉田鋼太郎さんか!」となり、そのうちテレビドラマに出る人になり。その鋼太郎さんをやっと!初めて舞台で動く生の鋼太郎さんを拝見した!迫力とリラックスが両立していて、めちゃくちゃ強い拳法の師範みたいだった。空間を埋めてくる声も間もすごすぎて心地よくてクラクラした。
今回の鋼太郎さんはきっと、共演のかっきーの魅力を最大限に引き出すつもりで演出したんだろう。自分とかっきーの相乗効果も計算しながら最高の舞台に仕上げていた。
野田さんの舞台を観ているときによく感じていたんだけど、野田さんは自分が喋らないでいる時、演出家の視線で相手役を見ていることがあって。鋼太郎さんにはそれが全然なかった。ずっとアンドリューのままでカッキーが演じるマイクをみていた。かっきーもずっとマイロだった。二人芝居で一回も自分にならないって相当な集中力だと思う。すごいよ。そんな二人を見ている私も、一回も「大目に見る目」が発動しなかった。
かっきーのマイロは舞台の上で輝きまくっていた。窮屈なところがなく、ものすごく気持ちよさそうだった。鋼太郎さんに自分の可能性を信じてもらって、かっきー自身も自信をもって演じている感じがした。今まで「かっきーは自分の可能性を信じて人生を楽しんでほしい、もっと自由に楽しく好きなように演じて良いんだよ!」と、どこから目線かわからないような気持ちを抱きながら応援していたんだけど、もうそんなこと私が勝手に願わなくても、めちゃめちゃ自由で良いかっきーだった。彼の肉体の可能性を感じる、命のかたまりのような、エネルギーのかたまりのような演技を観させてもらった。
っていうか、かっきーすごいよ。あなたは本当に何でもできるよ。そして多分、もっともっとできるよ。その可能性が眩しい。ものすごいよ。それしか言葉がでない。
次はどんな仕事をするんだろう。舞台ならもう予定が出ているはずだけど何もお知らせがない。テレビだろうか。もうこれだけのことができる人なら、ブロードウェイでオーディション受けてくる!などと言われてもおばちゃんは納得するよ。かっきーの未来が楽しみ。
なんてぎっしり感想を書いていたら、ポーの一族を見逃した!!!!!ああああああ!自分が信じられない。小池先生は縁がないのかな。ああああ!
「スルース〜探偵」を観に新国立劇場に行った。新国立劇場はたぶん20年ぶり2回目。前は野田さんの桜の森の満開の下だったような。深津ちゃんと堤さんだったような。Bunkamuraだったけ?まあそんなで。今日は時間があったから新宿から真っ直ぐ歩いて行ったんだけど、こんなに臭かったっけ?ってくらい町全体が臭かったので帰りは初台から電車に乗った。
舞台はとんでもなく面白かった。もう二人のための当て書き?ってくらい脚本と役者さんのカラーが合っているように感じた。役者さんの持ち味もストーリーも両方が楽しめる舞台ってそうはない。素晴らしかった。
たかしさんにも観てもらいたいなぁ。この舞台ならちゃんと聞き取れるし、舞台のプロの仕事のレベルの高さも堪能できるよ。本当に良かったー。というわけでありがとう。
コロナ禍じゃなかったら、チケットが数分で売り切れるはずだし、配信もなかった。コロナは舞台をみる趣味を私に復活させてくれた。明日はポーの一族をみるよ。オタマも一緒に見ると言っているから、一緒にの予定で。17時〜。
ああ、いいねえ。舞台って人のエネルギーや感情の解放を鑑賞するものだから、その気がなくてもエネルギーをもらう。変に「気を送ります」みたいな商売よりもよっぽど本物で健全だ。あんなことに引っかかってハマってしまった昔の同僚もこっちにハマっていたら良かったのに。
だいたい「幸福の気を送ります」なんて言う人にエネルギッシュで魅力的な人なんて絶対にいない!テレビや舞台や映画で素敵な人を見るとか、素敵な絵画を観るとか、素晴らしい文章や詩や漫画を見るとか、音楽を聴くとか、エネルギーの摂取なんていくらでも方法はあるでしょ。泳ぐ、走る、歩く、踊る、歌う、笑う、喋る、食べる…なんでもいいじゃん!
私は気を送るなんてしないよ。普通に暮らすよ。楽しく元気に過ごすよ。ああ、そんな馬鹿に引っかかっていないで、いいから帰ってこーーーい!私は何もできないし、手をださないが。祈って願うくらいは。
お経の会が自由で笑ってしまう。
はちゃめちゃな寒中見舞いを出した。ミニレターにしたらダラダラと好きなことを垂れ流しにできて楽しかった。
めちゃ安くておいしいチョコを買ってきてしまって。私とオタマとシノンで「ああ、おいしすぎてもう一個食べたくなるー!」と身もだえている。
美味しいお好み焼きが焼けたよ。実家の味。いや、実家よりも数倍美味しくなることをやっているけど、焼くテクニックは実家仕込み。
オトモが今日は荒れたね。幼稚園にフォローを入れなくては。
子らが可愛い。
難しくない?私の好きなように生きていいと言うが、子どもが普通にそばに居る時間帯に好きに生きられるか?好きな本を読むとか、好きな舞台を観るとか、好きな映画を見るとか、思うままに製作するとか、好きな服を着るとか、出かけるとか、一人でご飯を食べるとか。もう10年くらい全然できないのが当たり前になっていて、やっと最近少しだけやれることも出てきたけど、でも、だからと言ってそれは自由になれたわけじゃない。そんな簡単に心も体も自由になれない。今の私の自由は、十分な準備や段取りがあった上で時間を区切った限定のものだから5分前に帰ってきたよ!、さあ、自由に!なんてできない。まだそんなに上手に切り替えできない。
たかしさんがアニメを見る時間がとれないように。ゲームをする時間がとれないように。私は、たかしさんが見たいやりたいを我慢する、その段階を通り越して、自分の好きなことをやりたいと思う気持ちが薄くなってしまったんだよ。もう何かを作りたいとすら思わなくなっているんだよ。おっぱいも終わったし、せめて好きな服を着たいなぁと思っても、子どもにお金のかかる時に自分にお金をかけることが罪悪に感じてしまって着たい服を買う気にならなれないんだよ。自分の好きなことなんて、何もできない気がしてしまうんだよ。
でも、まだまだ生きるであろう自分の人生に対して、この気持ちは失礼だろうと思って、体操をしたり、歌を歌ったりしているわけで。それが自分を取り戻すリハビリみたいなもので。そんなだから、急に今から自由です!とか言われても。今はまあ、無理です。
すっごい風が強くて、海の公園が面白かった。歌を歌ってもその場でかき消される。
歌を歌うのは夢があるね。年をとったけど、まだ上達できる分野があるんだね。
昨日、駅前まで手紙を出しに行ったとき、空っぽになったお店がいくつもあって。ああ、本当にいま、商店街が死んでいっているって思った。
今回の緊急事態宣言がとどめをさしているんだな。大変だよ。あの店も、この店も、って感じだった。
うちの収入はあんまりコロナと関係ないから、のんびり過ごさせてもらっちゃっているけど、本当に大変そう。
お手紙、書くのたのしいね。
幼稚園が始まって。久しぶりに朝体操ができた。楽しいよね。
私の体重はとっても重くなってしまったから、なんとかしないとね。
漫画を貸したら、感想付きで返却された。熱い!こういうやりとりを学生時代にしたかったな。
日記が空いたが、文章は色々と書いていたような。
1月6日に色々と書いた文章を持って、1月7日は清瀬の伯母の家に行き、ケアマネージャーさんとヘルパーさんと話し合い。おばが退院してから3週間、今後一人暮らしができるようにするためにどんな支援が必要か、9日の納骨の日に外出をするための手配、とりあえず、父母が帰宅できるようにショートステイの申し込み等。
そうそう。お昼は清瀬の駅のそばでカレーを食べたのだけど貸し切り状態で、応援したい気持ちでいっぱいになって、テイクアウトも頼んだ。
1月9日は納骨。鎌倉を7時前に出発して毛呂山に出かけた。生理だったし、寒くて悪阻みたいに具合が悪くなった。懐かしい気持ち悪さ。駅について大急ぎでトイレに入ったよ。それからカイロ買ったり。ついでに甘栗も買ったり。
めっちゃ寒かったけど、いい納骨だったよ。永代供養墓がきれいだったし、伯母がご住職と会えたのも良かった。
清瀬に戻って色々と。ご飯の用意をしたり買い物をしたりしてから家に戻った。お土産にスイートポテトとマルセイバターサンド。
10日に、もう一度清瀬に向かった。母の携帯でテレビが見られるように手配した。
伯母は介護の必要はなく、ヘルパーさんに家事の介助をしてもらうレベルで生活ができる。そこを父母が手伝ってしまうと、いつまでも伯母が一人暮らしをするために必要なヘルパーが入らず、結局父母が自分の家に戻れなくなる。
考えてもなぁ。仕方ないよなあ。明るく楽しく過ごせればいいんだけど。
お赤飯を作ろう。
納骨の手配とか。たかしさんに「まきこはどうやって大人になってきたんだ?」と言われるほどこういうのが苦手なのに。私、頑張ったよ。
父母に限界が来ている。というか、母が壊れている。これは介入が必要だ。 それで色々と考えたことをまとめたりして、たかしさんにアドバイスを貰ったりしたんだけど、やっぱり「まきこは一体どうやって大人になってきたんだ?」とまた言われた。
そうなんですよ。私、全然大人じゃないんですよ。すみません。私の親族はみんな大人じゃないんですよ。なので、私、こんな時期ですが出かけます。漫画は何を持って行こうかね。
数か月間、シノンが寂しがっていたので療育時にオトモを預けた後に一度帰宅していたのだけど、今日は「私はどっちでもいいよ。お母さんが帰ってきたければ。」と言われた。
今日は色々と忙しくて、オタマとシノンに沢山手伝ってもらった。布団カバーやまくらカバーをつけて貰ったり。人参を洗って貰ったり、玉ねぎの皮をむいてもらったり。ーブルを片付けて食器を用意してもらったり、お皿を洗って貰ったり。お風呂のお水を抜いてもらったり。オトモの気を引いてもらったり。オタマにシノンの明日の準備の確認をしてもらったり。私が本当に忙しいのを感じていたんだろう。てきぱきとやってくれたから、本当に助かった。
逆に言うと、毎日これくらい忙しくないと、頼んでも何となくスルーされるんだよね。
伯母の介護についての話し合いの要点を書いた。話し合いでみんなが合意した方が良いことや、今後検討した方が良いこと、それをしなかった場合に起こることなんかを書いて託した。
本当は要点を書いた私が現場に行って司会をした方がいいのかもしれない。けれど、私は当事者ではないから、逆に私が話を回すことを歓迎しないかもしれない。それにコロナを過剰に心配する年代の元に押し掛けるのも印象が良くないし、話し合いは人数が少ない方が決まりやすい。ここは妹にお願いしよう。
渦中の人は、自分が頑張りすぎて息切れしていることは感じていても、改善する体力や気力がなくなっていて質を落としながら継続してしまう。それを断ち切って改善させるのは外部の人が良いのだろう。半端な身内がやると禍根が残るよ。がっつり渦中に入りながら介入しないと仲が悪くなっちゃう。住んでいる距離とか、言う内容とかを考えると、私が円満に解決に導ける可能性は低い。
朝、体重が52.7㎏もあった。そして10時半にまた計ったら52.2㎏まで落ちていた。トイレ3回行ったし。水太り。ああ、痩せよう。鍛えよう。
明けましておめでとうございます。今年も良い年になると良いなぁ。どうぞよろしくおねがいします。
オトモが便座に座って大をするようになった。すごくありがたい。
「時期がくれば自然にできるようになる」という教育観はたぶん正しいのだけど、教育者からそれを言われて安心できる親はまずいない。私がアドバイスをする立場ならば、時期が来た時に親が余裕をもって子どもの行動に対応できることが大事で、そのためにその子にあった環境を整えたり、やり方の伝授を試行錯誤する期間が子どもにも親にも必要だから「今はすぐに出来ると思わずに、ダメもとでのんびり色々試すしかないよね、大変だよねー」と言いながら思いつく方法を出来るだけ挙げる。
子どもができるようになる道筋は、子どもによってそれぞれだから、子どもができるようになるためのカスタマイズを親がする必要があって。カスタマイズを間違えると、できそうでできない時期が長くなって親子共に辛くなる。そんな風に悩んでいる親子に「自然とできるようになる」のアドバイスは何の励ましにもならないどころか凹ませる。
オトモのトイレの場合。もともと、幼稚園に通う前の頃2歳~3歳の頃はトイレで用を足すときは小は便座に座っていた。幼稚園に通い出してからは小の時に立ってするようになり、家でも座って用を足すことが無くなった。通い始めてすぐの1年半ほど前は幼稚園のトイレに座ってうんちが出来た時もあった。トイレが嫌になったのは、幼稚園のトイレが1980年代の建物のままで、換気扇音も電気が付く音も流れる水音も、今風のトイレよりもとんでもなく大きくて怖い思いを何度も体験してしまったからだ。
そんな幼稚園の先生たちに「自然と時期がくれば出来るようになります。行かせようしたら泣きました」と言われるのは本当に心外なんですが。恐怖心を取り除く工夫をせずに泣く体験まで重ねさせるとか、どんだけ邪魔をするんだろう、教育者としてクレイジーだよと思いつつ「ああ、お手数おかけして、ホントすみません」と謝りながら急いで家のトイレに連れて帰る。
だから、冬休みに入ってお家でのんびり過ごしているうちにトイレの便座に座って用を足せるようになったのは、オトモにとっては時期が来た自然な成長なのだけど。幼稚園のいう「自然にできるようになる」と一緒にされたくない!みたいな思いは沸々と湧いてしまう。
冬休みが終わってから、幼稚園のトイレをどうするか問題はあるなぁ。幼稚園のトイレはオトモがリラックスして出来るところじゃないからなぁ。排泄のリズムによっては、自主的に午前保育にしちゃうとかもありだよな。
そんな感じで、基本は目立たないように過ごしているつもりだが、やはりオトモは目立つので、親切心で色々なアドバイスを受けることが多い。その中で多いのが「オトモは空から平山家が幸せそうなのをみて選んで生まれてきたんだよ」という助言。
いやあ、そんなの逆に本当に辛いから。偶然の確率と遺伝的な優位の結果で生まれたっていう、それだけで十分なんですって。どんな子でも。それだけで十分。
正月早々、私は何を考えているんだろう。また今年も頑張ろう。
今年は初めておせちっぽいものを食べた。家で過ごすお正月って初めてかも。煮しめ、伊達巻、きんとん、なると、黒豆、昆布巻き、松前漬けみたいな。大晦日はお蕎麦ととり天も食べたし。
育てているアボカドがぐったりして心配だったが、年明けたら持ち直していた。良かった。支柱を立ててビニールハウスにしてみた。冬越しできるといいな。
水あげよう。