オタマ、連日チョコレートを作っていたが、急に飽きたらしい。バレンタインには作るのだろうか。
シノン、オタマ、オトモ、幼稚園や学校から帰ってきたら、とにかくずっと遊んでいる。ぼうっとしている時が本当に無い。だから、途中でやめさせて何か勉強をさせるのが申し訳なく感じるレベル。
さるぼぼが欲しいんだって。家族みんなの分を買いたいんだって。
オタマとシノンが寂しくならないようにかなり気を使っているがそれでも全力で私を試しにかかる。テクニックとして定期的に「あー!私、シノン(オタマ)とすっごく抱っこがしたくなっちゃった!後ででいいから、ちょっと抱っこしてくれる?」と言って抱っこしてもらったりしてるのだけど、それだけじゃ足りないレベルになっている状況。
オトモが大きくなって、ますます目が離せなくなってしまっているからなぁ。オトモを療育に預けて姉ちゃんずに目を向けてあげたかったんだけどなぁ。色々計画が崩れた。
そんな中でたかしさんが二人の勉強を本気で見てあげているのはすっごく良いと思う。子どもたちが面倒くさがってもふてくされも全力で付き合っているのがすっごく良い。子供たちも面倒くさがって入るが、すっごく喜んでいるのが分かる。続けられたらいいと思う。
オトモはやっぱり幼稚園は早いよ。たとえ反対されたとしても、無理せず私たちのペースでいこう。
オトモみたいな子は、自分でやりたいことを見つける前に、脳の障害にとらわれて他のことが出来なくなってしまうことがある。高校生を教えている時、「ここ(床)をこのホウキで掃いておいて」で40センチ四方のみをずっと掃き続けてしまう子がいた。「この棚に炊飯器(12個)を入れておいて」と言った時、全部を上手く入れられずに何度も何度もやり直している子がいた。二人とも成績は抜群に優秀で超有名大学に進学していったが、日常生活やコミュニケーションにおいてはめちゃめちゃ支障のある子達だった。オトモはまだ、学業についていける知的レベルを持っているかはわからないが、おそらくコミュニケーションについては、このタイプの子たちと近いと思われる。
オトモは水流を見ると囚われて動けなくなる。棒を振り続けて見続ける癖がる。ここで教師たちに「あー。オトモ君は水が好きなんですねー。一時間以上見続けていましたー。」「オトモ君は棒を振りながらお散歩していましたー。」とはやってほしくない。オトモは水と棒が好きと言われたらそうかもしれないが、なんというか、パチンコみたいな、ツムツムみたいな、オトモにとって発展のない時間なので、他の遊びに促して欲しい。シノンの幼稚園はすっごく良いと思うのだけど、ここを理解してもらえる気がしない。
ちなみに、当時、家庭科の実習で問題があった高校生たちについて、保健の先生と担任に報告したが「普段の授業では特に問題の無い生徒たちですし、こういうことを学校側から保護者に言うと、名誉棄損とうの大問題になることがあるから、学校からは何か伝えるつもりはありません。先生も生徒本人に何も言わないでください。」と言われてそのままになった。怒りと失望でリアルに吐いた。
ああ、きっと園と決裂するなぁ。違うアプローチが良いかもなぁ。
シノンのお手伝いは、ひき肉を丸めるとか、パン粉をつけるとか、料理の一部の単純作業が好きで最後まで丁寧にやり遂げる。オタマは卵焼きを焼くとか、目玉焼きを作るとか、チョコレートを作るとか、ソーセージをゆでるとか、はんぺんを焼くなど、一人で一品作るのが好き。料理ひとつとっても姉妹で全然違う。
療育施設の退園手続き。荷物を全部持ち帰ってきた。あとは書類関係が少し。一段落。
民間の療育相談に行った。オトモの行動で気になることについてすべて説明してくれた。愛情だけではどうにも解決できないことを知識でカバーできそうな希望が出てきた。やはり、専門的な知識は必要だ。ずっと求めていた専門家たちがここにいた。
専門家に相談し任せて療育をさせるべきと病院や発達相談などで言われたが、道のりはとても険しく消耗する。行政機関の相談は、相談の予約だけで2か月半待ち、その後の発達検査の予約や3週間待ち、個別の療育は月一回しか予約が取れず、通園型の療育施設への入園までに3か月かかった(といっても実は受給者証が発行されておらず、退園書類も書いたが、正式にはまだ入園手続きからして終わっていない。)この数か月、市からはオトモの検査結果を渡されたが、保護者に対してのメンタル面でのフォローはなく、支援の紹介も検査結果の分析や見通しなどが全く説明されなかった。
これは本当にしんどい。生活自体は全然変わりないのに 支援するという風で、周りの人に振り回されることばかりだった。今度、療育手帳を申請するのも横須賀まで子供を連れて行かなくてはいけない。そして、市で診断も出ている発達検査を再度受けなおすことになる。療育手帳を発行されるまでに3か月はみないといけない。そして、療育手帳について、市の人はどこの人も教えてくれなかった。
そして、市の言葉の教室も、療育施設も、オトモについての疑問に応えてくれない。ただ、決まったことを消化しているように見え、受けていても不安が募る。専門家に任せる療育って、こんなでいいの?というか、反射的にオトモを任せたくない、これなら家で私がやりたいと思ってしまった。
そんなわけで振り回されっぱなしだが、見えてきた。色々あったが、結局変わらない。私はオトモやシノンやオタマと毎日楽しく過ごす。これにつきる。声を拾い、声をかけ、遊びを発展させる。そして、専門家からアドバイスをもらう。
オトモは生きていくのが今は色々大変そうだ。この大変さを少しでもやわらげてあげられるように、その時その時ベストな選択をするのが私たちの役目だろう。その先のことを考えるのはまだ早い。それでいいんだと思う。自信持っていける。
というわけで、幼稚園もまだ早いな。明日、園長先生に言おう。
オトモ、「ジュウデンないわー」「たかしさんっ!いないの?」「おそといくー!」色々話す。
オタマが毎日チョコレートを作ってくれる。図書館で作り方を調べて、折り紙にレシピを写してきて、自分のおこづかいを使って一人で必要な材料を買ってきて作っている。本番に向けての練習なのか?もう、色々可愛い。
ホントに可愛いので、週末にすきなだけ材料を買うように、トミーズとダイソーに連れて行った。ハートのアルミカップやシリコン型やらロリポップ棒などを購入した。オタマ「毎日、作れるー!」
バレンタイン当日はどうするんだろうなぁ。ハロウィンですら、オタマは独自の解釈で男の子のおうちまでお菓子を届けに行ったからなぁ。
民間の療育はオトモにとって相当面白かったようだ。朝から、「キツツキやる!じゃあ、行きましょ!」と民間の療育で遊んだおもちゃを思い出しては何度も言ってくる。「おでかけマンにへんしんだ!」と言ってタンスからズボンを出して履かせろと迫る。こんなやりとり、今まで出来なかったから、ずいぶん成長しているなあと思いつつ。民間の凄さを感じた。
うん。退園しよう。早く。
今日はお昼寝もした。オトモは1時間ほど寝て、それから起きて帰りたいと泣いた。そのタイミングで帰ってきた。
多分、オトモにとって色々良くない。まだ集団生活はオトモには早いことを痛感した。ここに居たらオトモはずっと泣き叫びっぱなしの子か、好奇心がマヒし、気持ちが動く前に指示通りに動く子になってしまう。
先生たちは、無意識なのだろうけど職員同士で激しく毎日マウンティングしあっている。私が他の子と遊んで盛り上がってくると必ず誰かが交流を中断しにくる。私の膝の上に子どもが座ると、子供を注意してどかさせる(日本語変?)。たかしさんが子供たちに大人気になるのは、たかしさんが男の人で先生たちがマウンティングやカッティングを遠慮しているから。そして、私が「たかしさんが子どもに大人気なの、嫉妬するわー。私にももっと子供たちが来て欲しい!」と言ったとき、先生が「今、男の先生が居ないから、男の人ってだけで大人気で寄っていくんですよー」と言ったのも、あれ、私をフォローしている振りをした、マウンティング発言。
(だって、男の人だから。プロの私たちよりも子供が慕って集まるのは仕方ないよね?)と自分たちより人気がある事実を、性別なんか使って別枠にして成立させているの。プロなんだから余裕をもって普通に「すごいですねー。」って褒めていればいいのに。どう考えても人気に性別なんか関係ない。むしろ初対面の男の人なんて、自閉症児やダウン症児にはマイナススタートでしょ。近寄らないよ。ダントツにすごいことだよ。そして私は先生たちと同性だから、たかしさんと同じ理由が通用しなくて、子供が集まり始めると露骨に散らしに入る。
多分、初日の朝のバスの中で、先生が私の目の前に手を広げて、私の動きを3回も制したのも、今思えばそれだったんだと思う。初日のうちにそのポーズの意味と私がいる目的について質問したら、平謝りされて自由にして構わないですとの言葉をもらって。翌日からは分かりやすい失礼さは無くなったけど、それでもやっぱり皆マウンティングしてくる。実習生じゃないんだし、同僚でもないのだから本当にやめて欲しい。
そういえば、契約の日に実習の打ち合わせの大学生と間違えられたなぁ。 あの日も今思えばかなり変だった。「ねえ、実習生?」とすっごく雑に聞かれて、「いえ、入園の契約に来た平山です。」と言った途端、態度が急変したんだよなぁ。
職員同士でマウンティングしている世界はダメだ。誰が子どもを泣かせたか、誰が早く泣き止ませられるか、誰が子どもに人気があるか、誰が子どもを笑顔にできるか、などと競っていては、その先の目的を達成できない。というか本来の目的を見失ってしまう。現に、音が苦手な子供が泣かないように、静かに椅子に座らせてめっちゃ小さい音量でCDの音楽を聞かせていた。あれ、何のために音楽をかけた?音が苦手な子がいるなら、違う遊びすればいいじゃん。童謡って座って静かに聞くものだっけ?遊びなんていくらでも選択肢あるじゃん。
先生たちがそんなんで、子どもが伸びるわけがない。先生同士が笑顔で話していないんだもの。先生同士がお互いを監視することに力が注がれていては、子どもなんて見れないし、伸びる子だって伸びられない。
これが全部、私の妄想だったら良いと思う。今、施設に通う子供たちのためにもそうであって欲しい。
できるだけ失礼のないように。担当の先生は誠意がある方で、本当に良くしてくれている。色々書いているけど本当に感謝している。担当の先生の落ち度で退園する訳じゃないこととお礼を本人にはちゃんと伝えなくてはいけない。
というか、退園させてもらえるかが問題だ。
明日もある。寝よう。明日言うんだ。寝なくては。
療育施設2日目。朝のバスの中から、先生方の態度が昨日と全然違った。子供たちに元気に声をかけ、子供たちとふざける先生たち。逆に昨日はなんだったんだ?なんで声掛けもせずに市販のおもちゃで1時間以上も遊ばせたんだ?なんであんなに小さな音で音楽を聞かせながらフラッシュカードを見させていたんだ?
昨日、私が先生に言ったことがこんな風に変えてたのかな。「こんな表情のないオトモの顔を見ているのが辛いです。市販のおもちゃで集中して1時間以上一人で遊ぶことにどんな教育的効果があるのですか?小さい音量で音楽をかけて、フラッシュカードを見させることにどんな意味があるのですか?オトモは元々1時間でも2時間でも一人で遊ぶ子なんです。周りの人と遊べるようになって欲しいんです。音楽もリズムやメロディーを一緒に居る人と楽しむのが目的であって欲しいんです。私がこちらに求めているのは人と円滑にコミュニケーションを取れるようになることであって、先生方が朝からしていることは、私が日々やっている努力と真逆なんです。ここに来てから一回も笑っていない。こんなに笑わないオトモ、本当に見ていて辛いです。ちょっと通園を考え直したいです。」と泣いてしまったからなのか。
でも、そんな私の言葉で本当に今日の保育が変わったのだとしたら、それも問題な気がする。昨日のあれは、本当に何だったのか。あれが日常だったのでは?今日はどうして昨日とそんなに違うの?
オトモより早くシノンのお迎え時間が来たので、オトモをたかしさんに託してお迎えに行った。シノンと二人きりなんて久しぶり。オトモを迎えに行く時間まで、二人で楽しい時間をすごした。
療育手帳の申請のための第一歩は横須賀まで行くのか!トータル3か月くらいかかりそう。
年明けから始めた療育ごっこで、すごくオトモは変わった。よく目を見るようになったし、家族の名前も覚えて呼び始めた。うんちをしたのを教えてくれるようになった。一緒に笑いたいとか、ふざけたがるようになった。歌詞をアレンジして面白い歌を作るようになった。施設に通うより、自分たちでもう少し続けるのも良いのかもしれない。
ああ、やってしまった。一日中泣いていた。
なんなんだろう。本気だしていないように見えやすいタイプなだけなのか?
オトモの心が動いていないのだから、たとえ本気だったとしても、私が望んでいるものじゃない。
多分、私が望んでいる療育を伝えたところで、あの空気感が変わるとは思えないし、やり方が変わるとは思えない。
療育の後の幼稚園での、お母さん方の手遊び会の本気を見て涙が止まらなかった。子どもと向き合うってこういうことだよ。美しかった。
東京ハイジの五戸のおんこちゃんを見ると毎度涙が出る。私は田舎らしい田舎で育っていないし、五戸に縁もゆかりもないのだけど、なにか揺さぶられる。多分、共感力みたいなものが私は高すぎるのだと思う。
オタマとシノンがごっこ遊びをしているとき、オタマが「亀仙人っていうおじいさんはエッチなのね、だから、『おねえちゃん、ちょっと、パンツ見せて』」というセリフをシノンに向かって言っていて、シノンが素直に手に持っている人形のスカートをめくっていた。私は「ちょっとオタマ、亀仙人はお人形遊びに入れないで。シノン、そういう人が出てきてもパンツもおっぱいも大事だから、見せちゃだめ。」と遊びの中に入って中断させてしまった。
遊びは子供たちのものだと思っていて、よっぽどのことがあっても基本口出しをしていないのだけど、今回は反射的に中にはいってしまった。止めなかったらどういう展開になっていたのだろう。止めない方が良かったか?
ドラゴンボールでもドラえもんでも、ちびまる子ちゃんだってサザエさんだってシンデレラだって、白雪姫だって、北斗の拳だって、怖い話だって、私にとっては嫌な表現がある。だからと言って、子供に見せないという方針ではいきたくない。特定のジャンルを規制するのは良くない。性教育や女性観は普段からたかしさんと私で子どもたちに伝えていきたい。宗教観や占い・心理テストみたいなものも子どもに伝える必要がある。他に伝えることは何だろう。政治?経済?
ああ、無理っぽい。私と合わない。でも、お医者さんがやった方が良いというのだから、やった方がいいのだろう。
止めたい時は1か月前に言ってって。手続きとかの関係だって。
家と幼稚園でいいんじゃないかな。私が幼稚園に通ったらいいんじゃないかな。ああ、考えるのはもう少しあとにしよう。
自転車でいこうと思えばいける。一人だったら20分だね。あんまり危ない道もない。坂というか、山がすごいけど。
帽子を3個も編んだ。一つはクリーミーマミ色。
たかしさんの本気はすごいなぁ。子どもに対して今までわたしがやってきたことだって、相当本気だったのだけど、全然ダメだった感じ。
私は勉強に関しては殆ど何もしてこなかったから、たかしさんみたいに付きっきりで教えてもらうのは子供たちは嬉しいのだと思う。
シノンは、白いもの、発酵しているものは、食べるのを一切拒む。いちごジャムのババロアを作ったがいちごの色が弱く全然食べてくれなかった。おいしくできたのに残念。
神戸秋弘さんが考案した玉細編みという編み方が素晴らしい。たまたまテレビでちらっと見て気になって、翌日再放送を録画し見返しながら帽子を編んでみたけど、初心者でも簡単にマスターでき、どんどん編み進む上に、ふっくらと保温性に優れていて感動している。色々なものに使える、本当に良い編み方だと思う。これはもうかぎ針編みの編み方の基本の一つに入るようになると思う。
久々に天ぷらを揚げた。おいしいよね。やっぱり。
シノンの遊びはたいていオリジナル。遊ぶ前にシノンから遊びの説明を受けるのだけど、オトモがまとわりつく中で理解するのはほぼ無理。なので、適当に遊び始めて超怒られる。
いやあ、シノンの世界に一緒に入って遊ぶのは大変だよー。オトモを療育に預けるようになったらしばらくは付きっ切りでガッツリ遊んでやりたい。
お友達のだんなさんが立て続けに亡くなってしまった。かける言葉が見つからない。無力。何もできない。私の気持ちなんて邪魔でしかないだろう。時間が経つのを待つ。
美味しいどら焼きを頂いた。栗がちりばめられているの。京都に行けるときがあったら買う。
オトモの先生による家庭訪問。すっごいチェックされた感じ。幼稚園の家庭訪問の場合は、子どもが早く幼稚園に慣れるために、言葉通り子どものホームに先生が来て子どもと一生懸命遊んで仲良くなるのが目的だと事前に説明もあって実際そうだったのだけど、今回の療育の先生達は全然違って、カモフラージュに簡単な事務手続きや園の生活の説明をしつつ、家の荒れ具合とか、親がちゃんと育てているかをチェックされた感じ。そういうの、普通にばれるから最初から言ったら良いのにって思う。療育関係の日の後にぐったりするのは、先生達にすっごい「謀られている」感じがあって本音で話してくれていないのが伝わるからなんじゃないかなって思う。
オタマ、せっせと漫画を描いたり、手芸をしたりする日々。「わたし、学校で元気な女の子と話すとき、他の子みたいにポンポン言葉が出なくてハズレの子みたいになるのー。」と言っているが、悩んでいる様子はないので、まあ、いいんじゃないかな。そんなイケている子とノリよく話せないよねー。私なんて未だにそうだよ。
オトモ、替え歌を楽しむ。「おばけなんてないさ」を「トトロなんて」や「にんじゃなんて」に替えて歌っている。歌詞の意味がわかっている感じの変換だ。
公園で遊んでいて。オトモ好みの良い感じの石を手渡したら、「ありがと」と言った。新しい!
オトモ。公園で抱っこを求めながら「とうちゃん、とうちゃん」ってやたらと言っていたんだけど、私を呼んでいたのかな。目を合わせて言わないからよくわからない。
公園では2時間ちょっと遊んでいた。ずっとオトモに働きかけるのは難しい。だって、もともと滑り台の下で砂をいじっていたり、一人でぐるぐる回っていたいタイプなわけで。邪魔しすぎるものどうかなって思う。
シノンとオタマは二人で元気に遊んでいた。そのうちにお友達が来たりして、一緒に遊んだり。
私はそんな子らをみながら、「ああ、もういいかげん、おしゃれしたいなぁー。」と思っていた。今着ているダウン、もう8年も着ている。抱っことおんぶができるように、背中にファスナーが付いていたりして、全然かっこよくない。まあ、5本指の靴を履いている時点で終わっているとも言えるのだけど、それがこだわりっぽくアピれるような恰好に持っていきたいなぁ。
でも洋服屋とかに行く体力も時間もないから、結局ユニクロサイトを見たりしているのだけど。
ヒレカツ。700gの豚肉を揚げた。ほぼ子らに食べられる。
明日は何を作るかな。晴れたらまた公園に行こう。
たかしさんが本気で子どもの教育に力を入れ始めた。といっても、今日から会社なので、できることは限られる。たかしさんを見ていると、ああ、なんでもできる人なんだなぁとつくづく思う。会社たかしと子育てたかしの二人がいたらいいのになぁ。
やると決めたこと以外のすべてを棄てられる人は強い。普通、できないよ。その本気が子どもに伝わるから、たかしさんとの勉強に、オタマは必死でついていく。シノンはわくわくしながら集中して取り組む。素晴らしい。
さて。たかしさんが会社なので、私が変わるべきなのだろうが、おそらく無理だ。子どもたちはたかしさんと一緒に勉強することが楽しいわけで、私では務まらない。何より、たかしさんのように躓きを細かく分析してピンポイントに対応する教材を日常の中から見つけるのって、すごい技術と才能がいる。
日記をできるだけ書きたいと思いつつ、どんどん間が空く。
年が明けた。去年はまあ、色々あった。自分の行動を抑えて、ほぼオトモに費やした一年だった。オトモは永遠の1歳児で、抱き心地抜群、可愛くて可愛くて仕方がないのだが、このままというわけにはいかない。去年もまあ、かなり頑張ったが、今年もなんとか頑張って行こうと思う。
今年の頑張り方は、去年とはだいぶ変わりそうな予感。行政や幼稚園やその他の意見や情報と、私たちをどう合わせて何を選択していくかを常に真剣に考えて選び取っていかないとなぁ。その場の空気に流されていてよい問題ではない。
たかしさんが年末年始結構家に居てくれた。嬉しい。
発達障害の本を数冊読んで、あああ!たかしさんと会話がどうしても合わないときがあるのはこのせいなのか!と思うことがいくつもあった。今まで私が悪いんだと思っていたけど、そう思う必要もないんだなぁと。そして、たかしさんはそういう考え方の人で、直すとかそういう話ではないので、たかしさんも悪いわけではないのね。
でも、そうはいっても一緒にくらしているのだから、やっぱり私が気を付けたり我慢することになるのは変わらなくて。なんかそれは分かったつもりではあるが、すごく落ち込んだ。
オタマの漫画がちゃんと漫画。
暴飲暴食したいが、それで体を壊すのも嫌なので、暴飲暴食しているつもりで大根を沢山食べようかな。