だだもれ

2023年10月25日

twitterに連投したのでここにコピーしておく。

今日の末っ子ドラクエ2。3人になり、風のマント取りに行ってMP尽きて途中離脱。どの敵をローレシアで殴り、何にギラ/バギを使うべきかを、多少自分で考えられるようになってきた。

ギラ使う一撃で倒せるのが2匹と、一撃で倒せないマンドリルがいる時に、ローレシアとサマルトリアで2匹を倒し、マンドリルにラリホーを使ってダメージを予防、という意味もなんとなく理解したぽい。一人でできるかは怪しいにしても意味がわかればいい。

次は船取れるか取れないかくらいか。船取った後は諸々辛いので、最短サポートかなあ。

まず銀の鍵(まだ取ってない)、金の鍵、ろうやの鍵、ロトの兜、ロトの盾。ここまでは海の敵が倒せれば行ける。switch版はハナッから地図があるので、情報なしで巡っても不自然じゃない。いかづちの杖が取れるかは海でどれだけレベルが上がるか次第か。

大灯台と海底洞窟はかなり後回しにすべきだろう。MP配分考えつつ高速に戦闘をこなせるくらい上手くならないと、末っ子の精神的体力の範囲内でクリアできない。

攻略サイトの地図見て最短で行ったとしても戦闘回数は20回では済まない。1戦闘2分でこなしても40分かかるわけで、末っ子の体力が持たない。中断セーブはできるが、次の日に何も覚えてないとキツいからな...

にしても、初めてバギ使った時に、36とか28とかいうダメージ見て「強い!」って言ったのはすごかったな。数字見てたんだ!そしてその大きさを理解してる!最初数字見てなかったからな明らかに。

一生しゃべらないかもしれないとまで思った子が、3x1桁の乗算をし、2年生の読解ドリルを解き、ムチャクチャサポートしてるとはいえドラクエ2を楽しく遊んでいる。大したことだと思う。

勉強教える時のプロンプトと100%同じことやってるけどなドラクエのサポート。さらに言えば、絵カード並べて「りんごちょうだい」的なガチ療育の頃にやっていた手法がベースになっている。

これはたぶん勘違いなのだろうけど、大人に物教えるのはずっと簡単な気するんだよな。会社の場合は強制力もあるし利害も納得させやすい。何に使うかも明瞭だ。この子とドラクエ一緒にやるよりはるかに簡単な気がする。

まあ大人になるとプライドの問題みたいなのが加わって複雑化するのが難しかったりはするが、私、たぶんそこそこ説得力があるからな。年齢とか実績とかで。「おまえの言うことを聞く筋合いはない」とはなりにくい。

でもまあ、そんな機会がないのは幸せなことか。24の時と大差ないくらい、自分で手を動かして物を作ることに時間を使う生活をしている。人に何か教えるのは家の中だけで十分だ。

大人は対等であって、大人に教えようなんて思うと自分の心が腐る。プログラムは私ちょっとうまいと思うけど、プログラムの腕がそれほど重要とも限らない。それぞれの戦い方があるだろう。プログラムはゲームを作って当てるための手段の一つにすぎない。

以降は直接ここに書いている。

かけ算が普通に教えられる所まで来られるとはあまり思っていなかったな思い返せば。 しかし、そこまで行かないだろう、という思いがあったわけでもない。 なので、「まさかかけ算ができる所まで来られるとは!!」 みたいな感動は別にない。かけ算できたくらいで今後立ちはだかる分数やら方程式やらを クリアできる確信は得られないし、社会や理科は現状放置状態だ。 漢字を書くことに関しては依然キツいハンデを抱えている。 しかし、これらのことが時間とともに解決しないと予測しているわけでもない。 高校受験できるかは不明だし、大学受験できるかも不明だし、 独立して家を出ていけるかも不明だが、 それらのことをできないだろう、という予測をしているわけでもない。 かけ算もそうだったし、そもそも会話ができるようなるかもそうだった。

私、どうやら予測というものをしないタイプなんだろう。 つまりこれは、目標を立てないということでもある。 子供の教育に関して目標なんていらんのではないか?

目標が道具として機能するとすれば、 何をどういう順序で達成していくかの道筋を立てる機能と、 勝利条件と敗北条件がはっきりし、さらなる投資について判断する判定基準を提供する機能だろう。 しかし、何をどういう順序で達成するかの道筋を立てるのに目標は必要ではない。 日々やってることから「この方向は筋がいい/悪い」はわかるわけで、 筋が良い方向を優先しつつ、筋が悪い方向も重要性に応じてコストを割り振る といったことをやれば良く、そこで必要なのは目標というよりは資源配分だ。 そして子育てに勝利条件や敗北条件はない。 勝利したから投資を増やすとか、敗北したから投資を打ち切るとか、 そういうことは子育てにおいてはできない。うちの子はずっとうちの子だし、 能力が上がれば上がるほどこの子の人生は良くなるのであって、 許容できるコストで「できるだけやる」でしかない。 どこに投資するかの判断は「筋の良い悪い」で日常的に細かく調整するのがメインであって、 まあ「今年中に3x2桁の筆算はできた方がいいな、そのために先に九九範囲の除算やっとこう、 そのためには3mm角で数字書ける器用さが欲しいな」 みたいな道筋は立てるが、それは目標というほどのものではない。 いや、それを目標と呼ぶことはできるが、 「達成できたか、できなかったか」という価値判断はしないので、 その意味では目標ではない。

そして私、仕事でも目標を立てることを基本的に嫌うんだよな。 「今期何本作る」とか「今期何本当てる」とか、意味を感じない。 自分だけでどうにもならない結果に関する目標は、達成できたとしても運だし、 達成できなかった時に「じゃあどうするか」という行動につながらない。 たぶん私は、「自分がそれなりに合理的で確度の高い方法でがんばること」 に疑問を持っておらず、それが担保されるのであれば結果などどうでもいいと思っている。 それで当たらなければ、それは私の能力が根本的に不足しただけであり、 仕事から外してもらえればそれでいいからだ。 私は他人の成果に責任を持つ立場ではなく、 自分で作った物が当たれば良い。 だから、思考は極めてシンプルになる。 そしてこれは、うちの子の教育についても同じことが言える。

でもたぶん、私が他人の成果に責任を持つ立場になったら、 話が完全に変わる。たぶん私は目標を立てて期限を設定し、 評価して意思決定するだろう。 うちの子の教育に関しても、妻や私、子供から成る組織とみなして、 受験だかなんだかの目標を達成することを求めるなら、 たぶんそういうやり方をする。 でも、そういうことじゃないと思うんだよな家は。 いや受験とかはそれなりに重要なので、 多少はそういう戦略的なアプローチをやった方がいいのかもしれんけど。

まあ全くやらないわけではないんだが。 最近オタマが中間テストで結構ひどい点を取ってきて、 テスト勉強の時間がほとんどゼロに等しいことがわかった。 というか「勉強するべきであること自体を理解していないしやり方もわからん」 という状態だったことがわかった。 なので、社会、理科、英語は即日参考書とドリルを買ってきて、 「要は問題解いて解けなかったらダメで、テスト勉強とは 事前に問題解いて解けない問題がない状態にしておくこと」 という一番単純な指針を示した。教科書読むとか無意味だ。 範囲が多少ズレててもいいから市販の問題集を解いて、解けなかった時に 参考書を読む方が無駄がない。 シノンも最近放置気味だったので、何がどこまでできてるかを確認しておいた。 割り算そこそこできるし読解も出来てるので、社会と理科も 土日だけはやらせることにした。


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