ずいぶん空いたな。
去年の4月にDrawSaberなる製品を出してから、1年以上一人でゲームを考えては実装することを続けている。 幸い、11月にMannequin Downhillなる製品を一応世に出すことができ、 自分が考えて自分で実装したものが人に受け入れられる、という経験ができた。 本も二度書けて「どうやら自分は本を書いてもいい人間らしい」と思えたが、 ゲームも二度出せたのだから、たぶんゲームを作ってもいい人間なのだろう。 しかし、自分に才能があるという実感は微塵も湧かない。
ゲームを自分で考えるという行為は、はっきり言って恐しい。 面白そうと思ってもらえる題材を考えつき、 面白そうに思えるゲームプレイ動画が撮れる所まで実装を進め、 実際やってみたら面白くて長く遊べる、という所まで完成度を上げねばならない。 これを一人でやるというのは相当に大変なことだが、 じゃあ複数人いればいいかといえばそういうことでもない。 「これがどういうゲームなのか」「このゲームは何が面白いのか」 というのは合議制で決められるものではないからだ。 結局誰かがディレクターの役割を果たさねばならないことは変わらず、 分業による面倒が足されて余計にダメになることすらありうる。
私はずっと「自分ではゲームの面白さに責任を負わない」 働き方をしてきた。もちろん、実装を担当した箇所については気持ち良さだったり利便性だったりを 追求するし、絵を担当すればギリギリまで性能は上げるし、 バグが出にくいように設計から考えるし、 たまたまテストプレイしてて目について不愉快な所は、自分が実装した所でなくてもどうにかしたいと思うし、 手をつっこむこともある。 今の会社でも、他のプロジェクトの製品に口をつっこんで無理矢理手伝わせてもらうことは何度かあった。 しかしそうであっても、「このゲームを面白くすることに責任を負う」わけではない。 自分でゲームを考えるようになって初めて、そのような状態を経験した。 そしてここには麻薬的な何かがある。 「このゲームは何が面白いのか」「その面白さはどうすれば伝わるのか」 「その面白さはどうすれば増幅できるのか」 そういう思考が歩いてる時も風呂に入ってる時も頭にチラつき続ける生活は、 はっきり言ってヤバい。 しかしそこに何かゲームを作るということの醍醐味がある。 ゲームがらみで給料をもらうようになってから20年も経って、 今更そのことを知ったということだ。
しかし思い返せば、それに近しい経験を私はずっと前にしていた。 大学漫研で漫画を描いていた頃、 何をしていても漫画にどう使うかばかり考えていた時期があった。 その頃の日記はここにあるだろう(怖くて読めないが)。 描いた漫画は稚拙この上なく、「漫画の真似事」とでも言うべきものだったが、 正直今思い出しても自分では面白いし、 その経験が今役に立っている。 本を書く時にもきっと活かされていたのだろう。
本は2冊書いた後、未だ3冊目を書く機会は訪れていない。 ゲームも同じように唐突に機会が途切れてしまうかもしれない。 複数人で作る普通の体制に組み込まれれば、 私はまた一介のプログラマに戻るだろう。 担当箇所は完璧に仕上げたいし、たまたま目に入った場所はできるだけ手をつっこんで 良くするだろうが、しかし「それが遊びとして良いか悪いか」 みたいなところには目を向けなくなる。 それは悪いことではない。持ち場を守らねばデカいものは完成しない。 手をつっこむにも限度がある。 しかし、「自分でゲームを設計する」ということを、 いかに小さな製品とは言え知ってしまった私が、 そういう状況でどのような意識で働けるのかはわからない。
オトモのことも書いておこう。 最近は2桁+2桁で3桁になる加算と、3桁-2桁の減算をやっている。 これに関しては速度は遅いとはいえ、解き方を理解して解けているし、 1cm角くらいの大きさで数字を苦もなく書けている。 正直ここまで来られるという確信はなかったので、感慨深いものがあるが、 ぶっちゃけ感慨深いとか言ってるヒマがあったら次のことを考えるべきなので、 実はそんなに感慨深いとか思ってない。 そんな感じで気がついたら高校受験できるレベルになってた、 という展開を希望する。
次の関門は九九なので、 夏休みの間にそこそこやってしまうつもりでいる。 その前にcm/mm及びリットルデシリットルがあるが、 これに関してはちょっとやってみてキツければ3年生に回す。 先に乗算の筆算や小数、よりデカい加減算をやる方が、 おそらく容易い。同じアルゴリズムの拡張だからだ。 乗算の速度が上がれば除算も見えてくる。 概念的に困難が予測されるのは分数だが、 まずは分数をどうこうする前に除算まで 目算をつけておくべきだろう。 そして九九の5の段が十分習熟すれば、 後回しにしていた時計をやれる。 時間の加減算も可能なら2年生のうちに手をつけておきたい。 まあ乗算の進展次第だが。 ああ、でもその前に検算の概念と習慣つける方が先か。 逆演算の概念と直結し、その先には方程式がある。
筆算は今のところ繰り上がりもフルサイズの数字で書かせている。 小さい数字を書くのが難しいからだ。 しかし、乗算の筆算のように多段になると、 小さい数字を書けないと難しい。 そしてマス目がなくてもマス目的なものを想定してレイアウト できることが必須になってくる。 方眼紙に書かせるなどの補助はするにしても、 補助はいつか外す前提で考えないといけない。 これに関しては、国語で文字数を書くことが助けになるはずなので、 そっちも並列だ。算数だけやっていれば算数ができるというわけではない。
漢字の書きは相変わらず困難だが、 困難であっても一応やってはおり、やろうという意思がある。 読解のドリルもやらせてるが、今のところそれほど困難はない。 ただ書く文字数が多いとしんどいのと、 たまに予想外に理解に手間取る問題が出てくることがある。 というか最近読解はひつじこがやってるので、 何でつまづくかをあんまり見られてないな。