去年の4月ごろ、DrawSaberというゲームを企画開発して、 なんかそこそこ成功した、ということがあった。 「企画開発」と言うとなんかえらそうだが、 実態は一人でプロトタイプ作って一人でリリースし、 各種指標が良かったので継続開発して全世界配布したら数が出た、 というだけのことだ。アートは多少頼んだし、収益化の設定などは 私の管轄じゃないが、開発とリリース作業に関してはほぼほぼ私一人だった。 公開情報の範囲では、1000万以上ダウンロードされている。 正直意味がわからない数字だ。もっとも、本当に売れているものは億のオーダーなのだが。
ゲームが工業製品化して、集団で長期間かけて作るのが当たり前になったはずだったのに、 なんでこんなことになっているのか正直あんまりわかっていない。 AI配信広告と、電子的配布によって、 客単価50円みたいなゲームが市場に存在できるようになり、 個人開発が再度脚光を浴び得る状況になった、という理屈は理解できるが、 「なんでそれを自分がやってんだ?」というのは未だにさっぱりわからない。
まあ、まぐれ当たりってものはあるんだろう。 そう思いつつDrawSaberの開発を止めてからはまた他の製品をちくちく作っていたわけだが、 10月にMannequin Downhillという製品が全世界配布できる条件を満たした。 すでに100万ダウンロードは超えている。
本当、意味がわからない。「おまえ、遊びをわかってねえよ」って先輩から言われ、 前職では新卒一年目以外はずっとゲームそのものを作らず下層ばっかり やってた人間が、なんでゲームを自分で考えて実装して、それが世に出てるんだ? 集団の中で技術部分を担当して、 「何を作るか」でなく「どう作るか」で貢献するのが私の仕事だったはずだ。 ゲームデザインには関わらず、ゲームデザインしている人に対して 憧れの視線を向けながら、裏方の仕事をしていたのが私だ。 私はゲームの中身に関わってはいけないのだ、とすら思っていた。
といってもカジュアルゲーム開発者は有名になるような存在ではなく、 10月のUnityのイベントで講演動画を出す というくらいしか名を売る機会があったわけではないのだが、 これでも十分意味がわからない。 なお、この講演の最後付近のスライドに、まだ売れるかどうかわからなかった Mannequin Downhillの画面写真が写っている。
思えば本を書いて売れた時も意味がわからなかった。 あれは自分が「何を作るか」を自分で決めて売り物を作った初めてのことだった。 「え、それ私やっていいの?」みたいな。 本は2回当たったので、どうやら本は向いているらしいということを 受け入れるに至ったわけだが、ゲームも2回だ。 まさか、私、ゲームを作ってもいい人間だったのか?
ただ今回はまだまだ信じがたい。 本は作業時間が半年以上かかるボリュームがあって、 全身全霊をつっこんだ。 しかし、ゲームはどちらも開発期間たかだか3ヶ月程度だ。 プロトタイプは1週か2週しかかけていない。仕様は極めて小さい。 かつてなら「ミニゲーム」としか呼べない仕様の小ささだ。 無料配布するなら許される、という規模でしかない。 それだけに実感が薄く、自分がゲームデザイナーになったなどと思うことは到底不可能だ。 「まあそういうこともあるんだな人生」くらいにしか思えない。
とりあえず、まだ同じ仕事をしているので、 また何か作って当てないといけないわけだが、 当たるのは結果なのであって、当てようと思っても無駄だ。 せいぜい「当たらない条件を前もって列挙して除く」 ことと、「あれ?これちょっと面白いぞ?」と 感じてだんだん気分が乗ってくる所まで持っていくよう努力することくらいだろう。 自分が面白くない奴が当たることもあるのかもしれないが、私たぶん無理だからな。
3回も4回も当てるとか、自分が作ったものの儲けが例えば私の生涯賃金に匹敵する規模になるなり、 なんかそういうことがあったら、「ゲームデザイナー」と自称して 恥しくなくなったりするのだろうか。 いやたぶん無理だな。何個作ってもダウンロードがなんぼになっても、 私の中でゲームデザイナーってのはもっとなんか違う何かだ。 緻密なルールを設計するとか、お客さんの体験をデザインするとか、 お客さんのテンションの上下を設計するとか、 なんかそういう人達だと思うんだよな。 でも私、そういうところは何もやってないし、 今後もやるようになる気がしない。 どっちか言って「技術玩具」なんだよな私の。 物語性とか、キャラクター性とか、 ルールの緻密さとか、演出の素敵さとか、 そういうのがない。まあ5日でプロトタイプ作って出して、 仮に評判良くても追加開発せいぜい3ヶ月で一人、 みたいな感じだとそういったものを入れようもなく、 必然ではあるのだが。 でも、ペルソナ5Rとかやってると、 「これ作った奴本当すげえな」と思うわけで、 自分をゲーム作家の類だと考えるのは一生無理な気がする。 まあそもそも次に当てる日が来なければ、 遠からず元の技術屋に戻ることになるのだが。