学校は行く動機がないと行かない、 という当たり前のことが感覚として理解できる先生はたぶん少ない。 「学校は行くものだ」「我慢は大事」 「学校は楽しいところだから行きたいに決まっている」 といった認識は単純に「理念で目が曇っている」ことから出てくる。 給料もらえなかったら会社行かないし、 給料もらえても苦痛すぎれば会社には行かない。 このようなことが当たり前でない ブラックな会社は減ってきていると思うが、 学校に関してはたぶんそうでもない。 大抵の子供はそれなりに我慢し、それなりに楽しみ、 周囲と違うことをすることを恐れるので、 まあまあどうにかなる。 しかし我慢し難かったり、楽しみがまるで見出せなかったり、 周囲と違うことをすることが怖くなかったりすると、 それは容易に崩壊する。
学校で勉強を習う、ということについては現段階では期待できない。 学校は「どれくらい学校に耐えられるのかを試験する場所」 と位置づけるくらいで良いだろう。 試験は毎日やる必要はなく、時間が長い必要もない。 我慢する訓練は基本マイナスだし、 その時間家で算数やった方が伸びるならそれでいい。 体育は単純に身体を動かすなら時間効率が悪く、 これも家でやった方がいい。
とはいえ、支援コーディネータの先生に相談はする。 選択肢は多く持っておいた方がいい。 もちろん完全に切り捨てた方がいい可能性は常にあるので、 「学校に行くことは当たり前ではなく、毎日行くかどうか検討するべき」 くらいに思っておいた方がいいんだとは思う。
教科書準拠でオトモに勉強を教え始めた。 学校でやれるとは現状思えないので自力でやる。
国語は鉛筆持って操作する器用さに不利があるので、 私がやる分は指でいい。鉛筆持てるようにする所はひつじこに任せる。 読み、内容理解、語彙の拡張、を主眼にしていく。
算数も書かせないで口と指でやっているが、 加算の教え方が違和感あって、即座につまづきそうなので手を考える。
5は3と2、というように分解していくのが最初なのだが、 これ、かなりリアルな物を扱ってイメージを作らないと無理だな。 最悪指で数えればわかる、という状態までまず持っていくことと、 暗記を並行で進める。 最初につまづいたのが、「8個あって、2つに分ける。片方は4個ある。もう片方はいくつ?」 という問題だ。 脳内に8個の物が浮かんでいて、片方を4個にしたらもう片方に何個残っているかがわかる、 という状態は相当高度だろう。 実際にモノを置いて数えればできるだろうから、 まずはそれで時間をそれなりに使う必要がある。 次のページは1-8のカードが置いてあって、どれをペアにすると9が作れるか、 というもので、さらに難しい。この前にモノを並べて数える訓練を かなりやっておく必要がある。 「この形は6」みたいな形のイメージのライブラリみたいなものも 一緒に作っていかないといけない。でないと数える速度が出ないからだ。 あとは「4個ある。そこに3個来た」という時に1から数え直さず、 4から出発する訓練だ。これをやらないと、加算の効率が著しく落ちる。 また、ブロックである程度イメージがついたら、それを指でやる方法を 学んでモノがなくても行けるようにする必要がある。 指でできるようになったら、暗記を強化して効率を上げるが、 最悪そこが雑でも「指があればできる」が保障されることは大きい。
その後、レゴブロックを何個か出して、「二つに分けて」と言って、 「2個と5個」とかに分けてもらうのをやった。 また、「あと何個あったら7個になる?」もやった。 そして、「途中から数を数える」がまだ不完全なのがわかった。 4から始めて5,6と進めるところに不安があるとうまく行かない。 先に「○の次は」と「○の前は」を完璧にしておく必要がある。 教科書の「何個隠れてるかな?」は相当高度なので、 このままやると絶対つまづく。 逆に言うと、「フツーの6歳」がどれだけ高度な智恵を持ってるか、 ってことなんだが。
冷蔵庫、製氷ができなくなった。2013年モデルなので、8年くらい経ってる。 後継機種への買い換えを検討したが、20万近くするので躊躇してしまう。 修理を試みてからだなあこれは。 取れるはずの製氷皿が取れないので、氷が詰まってる可能性がある。 一回電源切って開けっぱなしにして感じが変わるか試そう。 冷蔵庫を一旦できるだけ空に近づける。
オトモ、ひつじこが外出しても耐えられる感じになってきた。多少は泣くけど。 絵本4冊読んだし、まあいいんじゃないだろうか。
演劇はキツそうだなあ。 移動を要する段階でかかるコストが跳ね上がる。 時間が固定されているのも痛い。 データ配信する類の娯楽に対する不利が大きすぎる。 臨場感の問題はVRとかで補っていくだろうしなあ。
あと問題なのが時間の使い方だ。 tiktokとか見てると、とにかく短い。間がない。 23分のアニメですら倍速で見てる人が多数いる状況で、 速度を操作できない映画やら舞台演劇やらを 見られなくなる人は年々増えていく気がする。
ウクライナの虐殺が話題になっている。 それが本当にロシアの仕業なのかどうか、というところは 一次情報に当たっていない以上わからないが、 日本はもうウクライナについてしまっているし、 ロシアが侵略したこと自体はさすがに嘘ではないだろう。 軍が許可なく国境を超えてはいけない、 というのは絶対ルールとして取り締まらないと、 「みんなが得意なことをして交易して幸せになる」 という大きな世界観が壊れてしまう。
日曜日、シノンが後ろから背中に乗ってきて後ろに倒れ、 なんかよくわからんけど足首をねんざした。 大したことないだろうと自転車でオトモを公園に連れていったりしたのだが、 それなりに痛い。 その後派手に腫れてきたので、治打撲一方+桂枝茯苓丸加大黄。 昨日はギリギリ会社まで歩ける程度だったが、 今日はおおよそ普通に歩けてオーケーにも行けた。
ロシアの人は人権や民主主義の概念がない、 なんていうツイートを見掛けて、 そういう言い方は良くないだろうと思った。 私にだってそれらの概念があるのかは疑わしい。 「そのようなものがあることにした方がうまく行く、というだけで実際にはない」 と思っちゃってるからな私。 力関係が偏れば容易にひっくり返る。
なので、障害のことも結局こっちに力がないと望むようにはならない と思っている。 平等とか権利とかそういうものは実際には存在せず、 相手が言うことを聞きたくなるように持っていくなり、 言うことを聞かせる力を持つなりせねばならず、 その時の道具の一つとして権利みたいなものを使う、 という理解でしかない。
自分の道徳的な所には自信がない。 状況次第では悪いことだってするだろう。 「他の人も幸せであってほしい」と思うのは余裕があるからだ。 余裕がなくなれば身内なり自分以外を「幸せであってほしい」 の対象から除外していくだろう。 ロシアの人が悪だと断言できるほど自分の道徳的な所には自信がない。 こんなことにならなければ、それぞれの人はいい人に違いない。 しかしそれはそれとして、「法に違反したんだから悪と断言していいし、 そう断言することがうちらの利益になる」というのが今の状況なので、 私はウクライナに味方する。