だだもれ

2021年06月16日

「社会人になっても」かあ。社会人になれるのか、というところからなのだが。

友達の真似をする、ということができるようになればいいんだけどなあ。 とりあえず真似しときゃいいか、と思えれば、おおよそのことはどうにかなる。 問題はどうやったらそこまで行けるかだ。 知能高くても、そこが引っかかって苦労するケースは多いわけで。

補助しながら行くのが最良だと思うけどなあ。 補助するのが大変すぎて無理、とかでなければ。

ABA系の療育は理論の土台が動物実験なので、 人間を人間扱いしてない所がある。 「人間であるならばこうであるはずだ」という人間に対する高い期待を 一旦脇に置かないとやれないからだ。 これは鬱を病気として認めるか認めないか、みたいなのと構図は同じだ。 「鬱は甘え」という人は、言うならば人間に対して高い期待をしている。 意思なるものが存在して、それを誰もが発揮して鬱を乗り越えられると信じている。 鬱を病気として認めたり、ABAで障害児教育に取り組んだりしていれば、 必然的に「フツーの人間もそういう人と地続きで、同じアプローチが有効であること」 を認めざるを得ない。 「自分に対してABAが効くか?」と真面目に問いかけてみれば、 真面目にやっている人間ほど「効く」と答えるだろう。 つまり自分と障害児が地続きで、その間に明確な境界線などない ということを認めざるを得ない。 「障害児だからABAが有効だが、健常であればそんなものは不要どころか有害」 という線引きをしたくても、 「どこからが障害児なのか」というところの線引きの問題が発生する。 「人間はそもそも善いもので手を加えると悪くなる」 というルソー的な世界観で教育に当たる人にとっては、決定的に相性が悪い。 どれだけがんばってABAして伸ばしたとしても、 「それは元々そういう力があったからでABAなんてなくてよかった」 という立場を取らざるを得ない。

ABAの考え方を一歩進めれば、自分を含む全人類に対して余計な期待をして 裏切られることはなくなるので、気分は楽になるんじゃないかと思っているのだけど。 仏教ってそういう教えじゃなかったか。

2021年06月07日

またヤバい痒みが来たな。チョコレートのせいかと思って断っていて、 しばらくは何も起きなかったが、 ここ数日で急に悪化した。

ステロイドが効かない。

2021年06月06日

相手に自分にとって利益になることをさせるのに、 どういう戦略を取るか、という問題だと思うんだよな。 ゴツい印象を与えることで、 相手がこっちの利益になることをしてくれるならそれも良かろうが。

というか、個人が役所の窓口に行って交渉をできるとは思えない。 窓口の人はそもそも交渉をする権限を持っていないと思うのだが。 目的は話を聞いてもらうことでも、理解してもらうことでもなく、 うちらの利益を引き出すことだ。 でないとオトモのためにやったことにならない。

オトモのためのことと、オトモに限らない似たような境遇の人達のためのことは、 分けて考えた方がいい気がする。その二つはしばしば矛盾する。 <--

「理解されたい」というのは あんまり利益をもたらす感情じゃないと思う。 「相手がこちらに利益をもたらす行動をしてくれないのは理解が足りないからだ」 というのは、「理解されれば必ず自分の利益になる行動をしてくれるはずだ」 という前提があるわけで、雑に言って傲慢だ。 別に傲慢でもいいんだが、傲慢だと思われると諸々不利になる。 そして、「理解した上で望むように動いてくれない」という可能性を受け入れるならば、 そもそも理解自体が大した問題ではない。

また、「理解されたい」と思う前に、まず相手を理解する努力を した方がたぶんいい。あらゆる人は主観的には合理的だ。 自分で自分をおかしいと思っている人は基本いない。 したがって、相手をおかしいと感じているうちは、 その人のことを理解できていない。 相手のことを理解していないのに、自分を理解してほしいと思うのは、 第三者から見て理性的な態度ではなく、立場を悪くする。 「理解されたい」は「言うことを聞かせたい」の婉曲表現にすぎない。 なので、そもそも理解という定義も効力もあやふやな概念に 頼らない方が、話が簡単になる。 -->

2021年06月02日

まあいる時間を半分にしたわけだし、介入したくなったらしてもいいか。 できる範囲で目立たないようにできれば良いけど、無理ならそれでも。

シノンは文字を読める。識別はできるということだ。 しかしそれは形を取れることとは違う。 おそらく物を探すのも上手じゃないだろう。 もし、それを根本的に改善できる訓練が何かあるならやった方がいいが、 字を書くことでやるのはしんどい気がしている。 ピアノをやらしてるのは結構その目的で、 実際苦労してるので、苦手な能力をピアノが使っているのは間違いない。 楽譜が一回視界から外れるとどこ弾いてたかわからなくなる、 というのは、昔絵本読んでた時にすぐどこだかわからなくなってたのと同じことだろう。 文章に関しては慣れてある程度補えたが、 「今どこにいるかわかる能力」そのものがさほど上がったわけではない。

なんか知能テスト受けさせたらいろいろわかるんだろうけどなあ。 自費でいいからwisc-iv受けさせるかな。 今度オトモの件で行った時に相談するか。


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