だだもれ

2019年10月18日

こういう時に「どうしようか」と考えること自体が ダメなんじゃないかという気がしてきた。 問題を定義して解決を考える、というフロー自体がダメ、という。 ひつじこを寝かし、一人でいられる時間を確保し、 家事の負荷を下げる。金で解決する簡単なことはさっさと金で解決する。 といったことを列挙してる段階でたぶんダメ。 そういうことじゃない。

2019年10月16日

オタマが鈴木の4巻に入った。頑張るなあ。 ザイツが弾けるようになったら次はビバルディ。 50年前から変わらないバイオリンの階段は本当どうにかした方がいいと思うが、 良く出来た階段であるのは事実だし、もうしばらくは乗るのがいいのだろう。 ザイツの第三楽章は10回くらい一緒に弾いたところで、 ともかくも一人で音符を追いつつ弾けるようになったわけで、 なかなかだと思う。 さすがに楽譜を読めるようにしないと先生が教えにくそうなので、 楽譜のドリルを買ってきた。

現代の音楽を作る過程を垣間見られる貴重な機会があった。 録音をバラバラにやること自体が新鮮だし、 ドラムをmidiで録音して、時間量子化の加工をしてから他の楽器と組み合わせる、 という話になると、もうなんというか「楽器の録音」の概念が覆されるくらいの 衝撃がある。私個人は「音楽なんてその時限りのもんだ」という意識が強いが、 プロは何度も繰り返し再生される商品として音楽を捉えている。 シャンドールの本にも「録音はライブとは違うものが要求される。ミスタッチは避けろ」 とあったわけで、それが技術的に可能なのであれば加工するのが自然な流れだ。 何度も聞く時に、毎回同じところで音が間違ってるのはどう考えても気になる。 曲全体をミス0で弾くのに必要なスキルに比べれば、 数回弾いてミスのない部分をつなぐ方が遥かに低コストだ。 より低いコストで同じ質の音楽を作れるのだから、良いに決まっている。 でも、私はたぶん自分でそれはやらないなあ。 趣味でやる音楽はそこまでしなくていい。 人に聞かせる必要すらない。禅とか瞑想とか、たぶんそういう類のものだ。 夜中に海辺にでも行って、誰にも迷惑をかけずにやればいいんだと思う。 オタマも、そういうことをする気になるくらいまでバイオリンをやれれば、 まずはそれでいいんだと思う。私にとってはそれが結構な救いになっている。

シノンの絵本読みスキルがグッと上がった。はらぺこあおむしを 最初から最後まで続けて読めるレベルまで来た。 こどものとも年少版で来る絵本の大半は読めそうな感じになっている。 たまに妙に字が多い奴があってしんどいが、 それももう少しで射程に入ってくる。 卒園までに年少でない「こどものとも」がだいたい読めるレベルになるといいなあ。 それくらいになれば、漫画を自発的に読むようになって楽しくなるだろう。 今の速度では楽しんで物を読むのはまだきつい。

オタマにちゃおを買った。雑誌デビュー。 雑誌は世界を広げてくれるかもしれない。 「これも面白いな」と思って読むものが広がる効果を期待したい。 まあ、ちゃおの漫画が良質かどうかはよくわからないのだが、 そんなことはいいだろう。 親が読んでほしいものを読んでもらう、というのもまあなくはないしやっているが、 そればっかりでは歪むからな。 それはそれとして、どんな漫画なのか私も読んでおきたいのだが、 時間がない。プリキュア見てるヒマないなあ。

ひつじこが見てるドラマも、時間ありゃ見てみたいし、 孤独のグルメとか見てああだこうだひつじこと言いたいのだが、 やることが多すぎる。オタマとシノンのお勉強のつきあいで毎朝1時間半くらい使ってて、 これが楽になる気配がまだない。

台風前後、久しぶりにドラクエビルダーズをやって、リムルダールはクリアした。 いや本当良くできてるなと思う。 でも、ゲームやってる場合じゃなかった。 その時間にすべきことはいくらでもあったよなあ。

日記書いてたが5時になった。

2019年10月15日

ひつじこの誕生日祝い的な意味もあって、子供が幼稚園でいない時間に ドイツ料理を食べに行った。あのキャベツ作りたいな。

いろいろあって考えるのだが、 やはり自分はアスペルガー風味なのだろう。 何かの本に載っていた自閉症診断アンケート的なものをやったら フツーは出ない点数が出たことがあったが、 あれは所詮点数なのであまり気にしていなかった。 過去にはいろいろあったが、今は比較的どうにかやっているつもりでいたからだ。 しかし、ここのところいろいろあって、 wikipediaを見てみたりして、 とても「そういうもんだし」で済まされない気がしてきた。 自分がダメなところを、自分が比較的どうにかなることで補おう、 という考えは、事態を改善しない。

「病気」という認識はそれほど建設的な効果をもたらさない。 治療が存在して治るならいいが、自閉症の場合は治療というよりは訓練であって、 本人にも周囲にも半端ない負荷がかかる。 「スペクトラム」という考え方にのっとれば アスペルガーは「軽症の自閉症」であって、 治療は同じように訓練となる。自閉症に対処するABAとほぼ同様の訓練が必要だとなると、 それを大人になってからやるのはなおさら容易ではない。 なまじなんとなく社会生活ができているだけに、 ある種の「フツーはできること」ができないことは余計に重大になる。 できて当たり前のことは、できる人間にとっては「できて当たり前」であり、 それを求めるのは自然なことだ。 それができないのは異常であって、できない側に「原因」があり「おかしい」。 改善するよう求められるのは当然で、改善しない側が努力を怠っている、 とみなすのも自然だ。できるとかできないとかいう話じゃない。

wikipediaを読んでるといろいろ書いてある。 「社会的コミュニケーションの困難」は確かにあって、 無理矢理補ってはいるものの、本質的に得意ではない。 避けられるものなら避けたいし、避けてきた。 「狭い興味と反復行動」は、一見私には当てはまらないように思えるが、 考えてみれば私が興味を持つのは「構造」であり、 大抵の知識は「構造」を取るための対象なので、 個別の具体的なネタにどれくらい興味を持っているのかは正直わからない。 ネタなんて何でもいいのではないか、と思うことは多い。 さまざななネタで「構造」を取ろうと知識を得る行為を 繰り返すことを「反復行動」と言うことはたぶんできる。 もちろん、支障がなければ病気とはみなされないので、 これは個性と言っていいのだが、病気か個性かは人為的な区別にすぎず、 根っこにあるものはたぶん同じだ。 よくアスペルガーの特徴と言われる、 「電車の型番とかを異常に覚える」みたいなのはないが、 いろんな分野から得た「構造」をコレクションしている、とはみなせる。

「特定の分野について驚異的なまでの集中力と知識を持ち」 というのは、正直自分をそんなに高く買ってないのでなんとも言えないが、 他人から見てそう見えることはあるだろう。 「空気を読む行為が苦手」「細かい部分にこだわる」「感情表現が困難」 は全部その通りだな。「電話をかけながらメモを取れない」はかなり近い。 皿を洗いながら会話、が難しいのは聴覚障害だけのせいじゃない、という話になる。

「同時並行に複数の業務をこなすことができない、急な変更にうまく対応できない」 は完全にあてはまる。 最近会社の仕事が拡散してて、コード書いてりゃいい感じじゃなくなってるのだが、 能率が異常なほど落ちている。並列作業の効率が異常なほど悪い。 「細部に注意が集中し全体像把握が苦手」は、私にとっての「細部」 がたまたま「全体を近似した構造」なので害が少なく済んでいるが、 「情報を削ぎ落とした部分」であることに変わりはない。 全体の情報をそのまま知覚しておおまかに捉えているのではなく、 情報を削ぎ落として構造だけを認知しているので、 仕事のような「問題解決能力」が求められる局面ではどうにかなっても、 そうでないケースでは違いが際立って問題になってしまう。 問題を定義してから解決に当たる、というのは一種の近似であり、私の思考形式に合うが、 仕事以外では問題を定義しない方が合うケースが多い。

Wikipediaには「そういう障害があることが知られて理解され、支援が充実されるべき」 的なことが書かれているが、私は「べき」は信じられない。 普通の人がそうしないといけない筋合いはないだろう。迷惑を被る側なわけだし。 私は自分がこうなので、いろんな人に対してできるだけ優しくありたいが、 優しさを要求することは非現実的だ。 私の向上心はほぼほぼ劣等感から出ていて、迷惑をかけない存在になるか、 迷惑をかけてもなお許される存在になるかのいずれかでないと、 生存を許されない、と思っているフシがある。 比較優位の概念を学んでからは、 自分の能力をできるだけ効率的に使って「存在を許されるための成果」を上げたい、 という欲求が強くて、それがかえって良くないんだろうなと思ったりする。

なんかそのまんまなのがあった。カサンドラ症候群。ああ。 アスペルガーは病気ではなく文化であり尊重すべき、 みたいなことが書かれてるが、尊重する筋合いはないだろうし、 尊重してくれると期待することにも無理がある。 苦手なところはともかくとして、得意なことで埋め合わせをする、 例えば、経済面や社会への貢献によって帳尻を合わせる、ということは、 たぶん私にとってはそれほど難しくないし、 家事負担を引き受けることもそれなりにはできる。 でもそこには濃厚な「ソレジャナイ感」が残ってしまう。

「旦那さんはアスペルガー」。 amazon unlimitedで読めたので読んだ。 いや、自分がここまでとは思わんが、大差ないんだろなきっと。 私の方がヤバイ面もあるだろうし。 下手に収入を得る能力があることで悪化してる部分はあると思う。

「怒らない」は結構あるかもなあ。困ることは多いが、 怒ることはそんなにない。 アドラー読んでから「怒りは不要な感情でいいことない」というのは 本当にそうだなと思った。そして、実際滅多に怒らなくなったと思う。 そこで「実際滅多に怒らなくなった」というあたりがおかしいと言われれば、 確かにそうだ。

「やってと言われたら大抵なんでもやるし嫌がらない」 はあるかもなあ。寒かろうが暑かろうが、あんまり気にならない。

途中に「アスペとうまくやるためのコツ」みたいなのを医師が書いてるのだが、 「そこまでしてアスペとつきあう理由あんの?」 と思う人は当然いるはずだ。この本の読者の大半は 妻側に立って読むだろうし、すでにそういう人と結婚しちゃった人は ともかく、そうでない人はそもそもアスペに 理解を示す必要を感じないだろう。近づかなければいいだけのことだからだ。 でもまあ、この旦那私から見ても相当だな。

優先順位がわからない、はあるな確実に。 私の場合は程度がまだ軽くて、動的に変えるのが難しい、というのに留まる。 「問題を定義してから解決する」と同じで、 まず順序を定義してあとは自動で実行する。 実行開始後に制御を変えるのは苦手で、 割り込みに対処する能力が異常に低い。 認知と判断の固定コストがデカいので、 できるだけそれを一回で片づけてしまおうとする。 そのために起こることが、「一回やると決めるとほとんどコストなくひたすら継続できる」 ことだ。努力が自動的になされるので、上達に関してはかなり有利だと思う。 あと、実行開始前に順序を決めるのはたぶん相当速くて、 それは構造を抽出する訓練を積んでるせいなんだろう。 実行しながらの修正はできないが、実行を止めている間の判断が高速なので、 比較的補える。が、これが家事には役に立たない。 割り込みが頻繁な上に、各タスクにあまり効率化する余地がなくて、 「一回実行開始したら終わりまでやる」という挙動だと、 割り込みへの即応性が損なわれすぎる。 実行中に割り込みチェックを定期的に行うように修正しないとダメで、 これがえらいコストになってしまう。 いや、こんな奴プログラマくらいしかできないわ。

「未来の概念がなく今しかない」「突発的なことに大きな不安を覚える」 は当てはまるのかよくわからない。 ただ、未来に対して感情的なものがあまりないのはたぶんそういうこと なのかもしれない。過去も未来も、どう捉えるのが普通なのかよくわからない。 時間絡みで言うと「自己の連続性を実感しにくい」という話もあって、これはある。 前書いた本とか、自分で書いた実感がまるでない。 というか、「自分で書いた実感」って、それどういう感覚なの? 普通あるはずのそのような感覚が欠如してるのか、 それとも、「自分で書いた感覚とはどういうことか?」 とかいう考えが邪魔をして、その感覚を味わえなくなってるのか、 なんなんだろうなあ。直感と言語思考のバランスが取れてないのだろうが、 それは直感が損傷しているからなのか、言語思考を鍛えすぎたせいなのか。

「言葉をそのまま受け取る」は、あるのかなあ。 知識と経験があるので、むしろ「言ってることがそのままの意味でないことの方が多い」 ことは知っている。ただ、 「言っていることがそのままの意味でないとして、実際どういう意味なのか」 は選択肢が多くて、大抵は特定できない。可能性が絞れないので、 次のアクションを即座には取れない。 もしかしたら普通ならば表情その他から即座に絞り込めて、 対応する行動が導かれるのかもしれないが、ちょっとよくわからない。 自分がどの程度そこで劣っているのか、というのが度合いとしてわかってない。

いや、さすがにこの本の旦那まではひどくない、と思いたい。 とりあえず事前の断わりなしに会社は辞めないし借金もしないし。 が、それを決めるのは私じゃないな。 つうか転職してるわけで構図は一緒か。

病気なんだから許してやれよ、多様性だよ、本人も辛いんだよ、 的なレビューが結構ついてるが、無茶な話だ。 病気か病気じゃないかなんて知ったことじゃない。 仮に本人にどうにもならないとしても、 本人が辛いと思っていたとしても、現実に迷惑しているのだ。 私は自分がこんななので、できるだけ他人には優しくありたいと思うが、 しかしこの「優しさ」も曲者だ。 他人が期待に応えてくれる、という前提を置かなければ、 それは一見優しさに見える。しかしそれが本当に優しさなのかはわからない。 それくらいはできるはずだ、してほしい、と思い、できなかった時に 裏切られたと感じる方が、ずっと人として優しいような気もする。

オトモの療育も私メインにして、ひつじこが仕事に行けるようにしたら 状況が改善するのかなあ。 とにかく療育が大変すぎるのだが、 もしかしたら私はそんなに大変と感じないで継続できてしまうかもしれない。 肉体的な消耗はいかんともし難くても、精神的な消耗への耐性はたぶん高い。


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