熱いシャワーはヤバそうだな。 ヒスタミンの総量を削ること自体は良くても、 皮膚の炎症が激しい時にそれをやると炎症と損傷が 強くなりすぎる。 炎症をひどくしない範囲でヒスタミンを削っていきたいところ。 そもそも、「蓄積されたヒスタミンを減らす」 という概念自体が正しいのかどうか、も確認したいのだが。
保湿はかえって痒くなる印象。 炎症と浮腫が激しい時に保湿はマズいのではないか。 抗ヒスタミン剤は飲んでいるが、効いている実感はない。
ビタミンC,D+K,ナイアシン,プロテイン, がどれくらい効くのかなあ。
一週間くらい前から肛門が謎の痒みに襲われ、 数日のうちに全身に広がってひどいことになった。 皮膚科に行ったが、アレルギーだろう、という以外に何もわからない。 抗ヒスタミン剤とステロイド外用薬+保湿、という いつもの組み合わせだ。 念のためサプリを止めてそれに従っていたが、まるで回復しない。
なのでせっかくだから実験してみた。 こんな所にナイアシン500mgを投入。 加えて熱めのシャワー。 ヤバい快楽が走る。呼吸が止まりそうなほどなので加減をする。 しかし、これで膨らんだ発疹のデコボコが明らかに引いた。 ヒスタミンを溜めこんで腫れて固くなっている所を、 ナイアシンで吐き出させ、さらに血流を良くして押し流した、 という仮説はどうだろう。
その後乾燥して余計かゆくなるから熱いシャワーはいけない、 というのが常識的な意見だと思うが、 「何故気持ちいいのか」「何故痒みが引くのか」 というところは気になる。 乾燥さえ防げば良いというのであれば、 やった後でヘパリン類似物質クリーム(ヒルドイド)でもワセリンでも 塗れば良い。
おそらく、この気持ち良さはアナフィラキシーだ。 溜めこんだヒスタミンがドカッと血管に流れ込んで、 皮膚の紅潮、気管収縮、血圧低下、を引き起こすのではないか。
血管に入ったヒスタミンは分解されていく。 だから、細胞に溜め込んだヒスタミンを吐き出させれば、 ヒスタミンの総量が減る。 よしこの路線で行こう。ステロイドで軽減してる気が全くしないからな。
ナイアシンたった500mgでこのフラッシュ強度ってのは相当ヤバいな。 前は1500mg飲んでもなんともなかったわけで。 肝臓のこともあって一旦止めてたが、 副作用が肝臓に来るのは徐放性のものがほとんどだ。 即溶ける素のナイアシンならたぶん問題ない。
自閉症の手当の申請をするために、精神科医を受信。 ずいぶんマシになったんだが、もらえるものはもらった方がいい。
つい先日受けたK式の結果は、認知63、言語59で、 11月よりはかなり改善していた。
アウアーのバイオリン奏法をちらっと読んで、 左手の親指の位置はD線のFの位置、とあった。 やっぱりそうなのか。私が間違っているのか。 確かになあ。小指のビブラート苦手で、 ポジション移してでも4じゃなく3か2にするもんなあ。 それは親指の位置がおかしいせいなのか。 どっかで時間取って検討したいがなあ。
オタマの親指の位置はそれよりも更に駒寄りだったので、 テープを貼ってFの位置に直させている。 その甲斐あってか、 1と3,4指の距離を開けられるようになった。
右手の弦にかける圧力は、人差し指を力点として、前腕の内転でかける。 アウアーには手首とあるが、 おそらく前腕の内転のことを手首と言っているのだろう。 たぶんこれで合っている。 肘を高い位置に置いて、前腕の重みを弦に乗せる奏法もあると思うのだが、 肘を持ち上げる筋肉は肩から首にかけてで、 弦に数十グラムの圧力をかけるのに使うには大きすぎる気がしている。
私が小さい時、上に来ると手首が山、下に来ると手首が谷、 というような指導を受けた気がするが、 それは結果であって、山にしようとか谷にしようとか思うと おかしなことになる気がしている。 腕を垂らした状態で手首と最低限の前腕の動きで、弓を上に向け、 そこから弾く弦に応じて必要最小限の高さまで手を持ち上げ、 その後で前腕を内転させて弓を弦に乗せる。 弓の位置と弦に応じて手首の高さは変わるので、 元弓か先弓か×EADG線、で8通りくらいやってみればいい。 そうして弦に触れた状態から弓を動かして音を出す。 この練習なら数回で理屈がわかる。 オタマとやるに際して、これを私は「踏切」と読んでいる。 弓を遮断棒に見たてて、まず垂直に向けてから倒す。
左手は親指の位置を定着させて音程を良くするために、 G線始まりの2オクターブ音階をやらせている。 G,G#,A,B,H,C,C#の7音を開始音として、長調と短調。 こうすれば楽譜は不要。指番号もいらない。
最近は1324の音階も混ぜている。最高音がE線の4で届く範囲なので、 こっちはG,G#,Aまで。規則的なので楽譜は不要。
なんつうか、基礎練習は楽譜なしでできるものの範囲に留めた方がいい気がしている。 練習曲とか、楽譜を要するような音階教本とかは、効率が良くない。 特に楽譜を読むのに労力がかかる子供の場合は。 覚えるのに時間を食ってテクニックに集中できないし、 音楽性が育ってない時代に、音楽的な価値が低いものを 覚えることに時間を使うのは惜しい。 機械的すぎるくらい機械的な練習と、あとは曲、でいいんじゃないかなあ。 カイザーとかクロイツェルとかは、やるとしても 楽譜に慣れて、かつ、「自分はバイオリンが得意技だからもっとうまくなりたい」 と強く思ってからでいい気がする。 つうか、やらなくてもいいんじゃないかな。 私ロクにやってないし。ビバルディ、ヘンデル、バッハあたりは 機械的なテクニックを般化するのに丁度いい曲がたくさんあり、 音楽的な価値も高い。 音楽的だから覚えやすく、楽譜がなくても指慣らしに使える。 その日の気分に応じてテキトーに移調して弾けばなお良い。
最近身体が痒い。肛門とか陰嚢とか、膝の裏とか。 なんだろうなあこれ。
一日5回以上おしっこが出るなら頻尿、という話を聞いて、 それはヤバイなと思った。 尿意があったら出す、というようにすると、 6回とかになる。我慢できてしまうので行かない、 としていると回数は減るがたぶん良くない。
文章短くする練習しないとなあ。 と思いつつ、それを進めていくと箇条書き的 なフォーマットになる。 情報を伝えるならそれで問題ない。
二語文は安定して出る。三語文も増えてきた。 特に促さなくても「みずくださーい」ができるようになってきた。 これ以上は「ください」が固着しすぎる。「~ちょうだい」「~がほしい」」 「~たべたい」あたりを広く正解扱いしていく。 風船をふくらませてほしい時に「ふくらまください」になってるからな。
言葉を覚えるというのは尋常じゃなく難しい。 なんでそんなことを自然にできるようになるのかがわからないほどだ。
ひつじこ、休ませたらいいのかなあ。 風邪が治り切っていなかったようで、 土曜外出したらいろいろあって発熱、日曜は寝込んでいた。
育休取って、ひつじこは2週間くらい湯治、 という選択肢を本気で考えないといけない気がする。
手助けなしで「いちごグミください」ができた。
からすシリーズ4冊購入。絵本は図書館で借りても壊してしまうことが多いので、 気に入ったものは買ってしまうことにしている。
褒められるのがムカつく、というのは良いことだと私は思っている。 応用行動分析(ABA)的には「ある行動をして良いことがあると、その行動をもっとやる」 わけだが、褒められるのがうれしくてやる、というのは、褒められなければやらない、 ということでもある。何らかの技で秀でるためには、 他人がいようがいまいが関係なくやる領域に行かねばならない。 自分の中に基準がある状態に早くも到達している、ということだから、それは良い。 のだが、外からの干渉が効きにくいので、 「もう何も考えなくても練習してしまう」という状態に至るまでは 扱いは難しくなる。やりたくない気分の時にはやらないからだ。 まだ習慣になってはいないし、 気持ち良く弾けるほどうまくもないし、 他にやりたいことがあればそっちをやりたいし、 で、放っておいたら弾かなくなるのは明白なのである。
なので、褒めるのではなく、自分で上達を実感できる経験をさせる方向で やるのがいい。できるだけ伴奏をつけているのは、 その方が音楽が広がっていい演奏をした感が増すからだ。 しかし、youtubeなりでうまい人の演奏がいくらでも見られてしまうと、 「自分うまい」と思うのは難しくなる。下手なうちは井戸の中にいる方が 心は平安でいられる。昔よりも楽器をやることは難しくなっているのかもしれない。
ヘンデルやりたくないらしい。それは音楽の問題ではなく、 先生がやらせたいと思っている曲をやることがムカつくからっぽい。 マジで厄介だなこいつ。それが良い方に出れば突き抜けられると思うのだが、 厄介は厄介。でもその方がいい。
肛門と陰嚢が痒い。排尿がイマイチだと痒くなることがある、と言ってる医師がいて、 本当にそれか試してみよう。 ハルナール誰かにもらえないかなあ。 飲んでる時期に痒みが消えれば原因はそれとわかる。
オトモの療育にTEACCHが取り入れられていて、 これ効くのかなあ感が満載なのだが、 これが応用できる局面を見つけた。 オトモじゃない。オタマだ。 バイオリンの練習内容をリストにしてホワイトボードに書いておいたところ、 機嫌の悪くなり方が軽減されている気がする。
あーこれ私もだ。 何かをしてくれと言われてすぐ実行するのは私は苦手だ。 その時にやっていることを中断するのが嫌いで、 それは一度中断すると復帰するのに恐ろしくコストがかかるからだ。 前もってやることリストに積んであって、 それが見える所にあれば、やるタイミングと順序を組み換えつつやれる。
オトモに関してTEACCHをやるのはいいが、 次に何をするか、は選べた方がいいと思うなあ。 2つあって順序を決められるだけでもいい。 ただ、現状「どっち?」に答えること自体ができないので、 まずそれをどうにかせねばならない。 どちらかだけが得られる、という状況自体に慣れさせないといけない。 最初は靴下とりんごを並べて「どっち?」と聞くくらいの ところからしつこくやらないとダメだろう。 「ください」はできるようになる雰囲気があるので、 このまましつこくやるとして、 「どっち」と「いや」は並行してどうにかしないといけない。 これができれば、たぶん相当状況が良くなる。
8日はオトモの入園式だった。 部屋に入れないとか、そもそも階段を登れないとか、 会が始まった瞬間に泣いて逃げるとか、 それくらいの覚悟はしていたが、完全にクリア。 写真を撮るための待ち時間に退屈してダレたり、 よくわからないタイミングで「くるくる回ってるねえ」とか言ったりといった ことはあったが、今はこれ以上は望めないくらいの感じだった。がんばった。
しかし、足りない。幼稚園に入れるには、幼稚園に耐えられればいいわけではなく、 幼稚園で成長が得られればいいわけでもない。 幼稚園に入れることが、うちで何かするよりも良い必要がある。 確信なんてどうせ得られないので、どこかのタイミングで 「えいや」と入れてしまうのだろうが、その「えいや」もまだ無理だ。
9日も民間療育。自費の方だけど、公費援助がある枠。 本来は集団の時間なのだが、一人しかいなかった。 まあいろいろだったのだが、あれだけ耐えれば大したものだ。 とはいえ、耐えること自体に意味はない。 評価と訓練は異なる。そして評価の頻度はそれほど高い必要はない。 訓練時間を取らないといけないし、訓練時間を長く取るためには、 それが楽しい必要がある。 我慢は欲望をあきらめる行為だ。 それが大人にとって都合が良ければ我慢と呼ばれ、 大人にとって都合が悪ければ無気力と呼ばれる。 集団から学ぶには一定の我慢が必要だが、 それは、その先にいいことがあることを本人が学べてこそ意味がある。 学ぶべきは我慢じゃない。リターンを期待した初期投資だ。
週4回入っているので、家でやる時間がかなり減ってしまう。 多くのやり方を学ぶために手を広げているだけで、 この頻度で持続するかどうかはまた別問題だ。 机でのお勉強時間を長く取ることで成果が出るなら このまま行くだろうが、 それによる副作用が看過できなくなったり、 もっと成果が出る方法が見つかるようなら 次第に間引いていくことになるだろう。
座っていられないのが、体幹が弱いからなのか、退屈だからなのかは、 簡単には確信できない。 単に退屈してるだけで問題ない、と言って良いのは、 運動能力に問題がないことを確信できてからの話だ。
退屈さえどうにかすれば、3kmくらいは歩ける。 引く力、押す力あたりをどうにか確認したい。 あと片足立ちさせたい。できるかどうかを知りたいし、 多少でもできるならいい訓練になる。
オタマバイオリン。親指の位置を直させ、 ソ、ソ#、ラ、ラ#、シ、ドの6音で長調短調の音階2オクターブ、 前腕の内転で弓に圧をかける練習を追加して一週間。 毎回ものすごい機嫌悪くて本当最悪だが、 どうにか形になってきた。もう一週あれば定着するかなあ。 なんか知らんうちに2曲終わってたから、 たぶん練習が当たったんだろう。 弾き方いじると最初はどうしても崩れるわけで、 崩れた状態で先生に見せれば、曲が終わることはないはずだ。 崩れる時期を過ぎたんだろう。
シノン楽器やらないかなあ。
プログラミング言語関係で何か書くと怒られること多いなあ。 素人が書くから悪い、というのと、 話を単純化してしまって細部を切り捨てるクセが玄人にウケが悪い、というのと、 まあいろいろあるなあ。 まあ技術力に自信があったことなんてないので仕方ない。
絵本でも「読んでください」。独楽でも「まわしてください」。 とにかく「ください」が要求であることを理解させるために たくさんやる。
公費負担でやる方の民間療育の研修会。以下はメモなので文章になってない。
むっちゃABAだ。つみきの会とほぼ同アプローチに見えるが、どうなんだろう。
服着せる時も選択させよう。
「いい臭いだねえ」が出たので嗅覚は壊れてないっぽのだが。 他の人が昼食を食べていて、食べ物の臭いがした時なので、 リアルな臭いと関係なく言っているわけではない。
親が関わる。早期に集中的にやる。社会性や発達的観点を重視。それでもなお個人差がある。 個人差あるよなあ。
応用行動分析は動物ベースで発生した理論だが、それだけに強力だ。 心理面についていらん推測をしなくていい。
環境をいじって子供の反応を操作する。人を操る技術だなあ。
コストパフォーマンスの良いABAは可能か、という問いに対して、 「親を使う」以外の答えは現状ない。 その上で生活の全てをABAにする。朝から晩までDTTは無理でも、 朝から晩までABAはできる。
半年経ってまだ残っていれば、セラピストを雇うことも可能とのこと。 だが、半年は親が覚悟を見せろ、というスタンス。それは正しそうだな。
70人くらいで1年やった効果が、IQで+20以上、という話。 しかし、IQ元から70とかある。1年で20上がるのはすごいが、 元が70というのは結構条件が偏っている気がする。 うちみたいに40とか50とかいうのはあまり混ざっていなかったのか。 DQの維持どころかその上に持っていかねばならないのだが、 うち厳しく見たらまだ50台だからなあ。
親にその場でDTTやらせて、セラピストがアドバイス。 なるほどなー。大変だー。
発達状態の管理ソフトがある。AI-PAC。 網羅性があるのは良いことかもしれんな。 「靴を履く」とかそんな感じの課題がドカドカ並んでて、 順次やってくと。複数並行でやる。
研究としてやっている、というスタンスだなあ。
マンド、DTTはわかるが、NETってなんだ?
神戸の人かなあ。確かそっちの学派が神戸中心だったはずだ。 むっちゃ大阪っぽいノリだこのセラピストの先生。
DTTで「そういう動作、そういう行動が存在することを伝える」 という考え方。バリエーションを増やすためのDTT、 という考え方は新しい。 NET(NaturalEnvironmentTeaching)、 で般化させる。
タッチはごほうびに取っておきたいので、 注意引くために使うのは少しもったいないかな。
犬や馬の調教だと人権ないから理屈が通りやすいんだけど、 人だとそうも行かないのが難しいなあ。一緒なんだけど。
強化子は飽和するので、逆に強化子に使うものは 望ましくないものでもいいと言える。 最初効いてくれればいい。
強化子の提供が訓練になると最高なんだがな。
動作模倣(言語なし)、 受容言語(指示された物が描かれたカードを渡す)、 命名(これなに、に答える)。 この三つでロールプレイ。
間違ったり反応がなかった時は、再度出題からやり直し。 間違った後でプロンプトしても遅いし逆効果。 これはどこかで書いてあったはずだが、 あんまりDTTをやってないのでまだ熟練できてない。 気をつけよう。
2時間半みっちり研修を受けた後に、 帰ってみんなで鶴岡八幡宮。その後でサイゼリア。 気軽にサイゼリアに行けるくらいになった、 というのは結構なことだが、 昨日の療育を思い出すととても楽観はできない。 しかし、楽観できようができなかろうが、 改善はしているのだから、それは良いことと思っていい。
サイゼリアでも、スパゲティを皿に少量づつ盛って、 「おかわりください」を言わせ、 親が頼んだハンバーグについてきたポテトを欲しがっても、 「ポテトください」を言わせる。 起きてる時間は全て療育。 「ください」はプロンプトありなら行ける。 あとはプロンプトを少しづつ薄めていく。
共同注視がそこそこになり、 声をかけて反応する率がかなり上がり、 2語文がそこそこ使えるようになり、 ハイタッチできるようになり、 「ください」が軌道に乗った。 次の「やるとお得なネタ」はなんだろう。
「yes/no」と「どっち」は明らかに他に波及効果が大きいネタだ。 どうにかしたいところ。
自費の療育、入会して一回目。 わかっていたことだが、本当「普通ならできることができない」。 療育のやり方がどうとかいう話でなく、 単純に「普通ならできることができないことを突きつけられる」 ことがしんどいんじゃないかという気はしている。 どんなに気に食わないやり方でも、 あっさりできるなら気にならないし、 あっさりできれば、そういう凝った不自然に見えるやり方(PECSとか)をするまでもない。 できないからこうなっているのだ。
結構「ください」が言えるようになってきたのだが、 外で他人に対してはできなかった。 人の般化、場所の般化、物の般化、が必要だ。 今のところほぼグミだけなので、水とかおもちゃとかでもやらないと。 「くださいを言うだけじゃなくて、誰に言うか、というところが重要」 という指摘は重要なので、「なんか言うだけ」になってないかはチェックしよう。
長時間座っていることができない。 胴体の筋力強くしたら多少はマシになるのかもしれないが、 それだけではない。 家で机に座らせて何かやらせるなら、 最初は食い物で釣る手を使ってもいい気はするんだよな。 効かなくなるのは早いだろうが、そこまででも 結構できるようになることは多い気がする。
さて、公費で受ける方の療育はどうかな。 自費の方はマジでできないことを突きつけられるので辛いは辛いが、 それだけ課題がはっきりする。
オトモに「ください」を言わせることに成功。 グミを欲しがった時に、オタマとシノンに「ください」を言わせて即グミを渡す、 というのをやった後、オトモに「ください」と言うのを 何度かやった所、「グミください」を言えた。1秒で渡した。 その後いくつか欲しがり、「ください」が出た瞬間に渡した。 しばらくはよほどのことがない限り即渡すようにして、 「ください」を定着させる。
今日は民間療育2箇所目の初回。 自費で通う所と別に、公費負担で行ける方を一箇所申し込んだのだ。 こっちはかなり正統派のABAで、 自費の独自路線な感じの所とは赴きが違う。 とはいえ初回は親とセラピストの顔合わせ+状況アンケートで、 オトモは基本遊んでいただけ。 セラピストはうちら親やオトモを観察して情報を得て、 こちらはセラピストの力量と今後のやり方を推し測る。 まあそういうもんだよな。 そして大量のアンケート的な書類をもらってきたので全部書いた。 ひつじこの方がよくわかる質問も多くあるが、 気にせず私が書いた。 プログラム終了時に同じのをやって、 どれくらい改善しているかを見たいのだろうと思う。 エビデンスを重視する正統派だろうし、 協力できるところでは協力したい。
しかしまあ、ああいう所の世話になる子の中では オトモは軽症なんだろうな。今となっては、だが。 11月のK式の結果見返すと、ひどいもんだからな。 ほとんどのテストが実施不能だ。言われてることがわからんのでやりようがない。
オタマのバイオリン、ちょっと特訓がいるなあこれは。
基礎をテキトーにしたまま慣れだけで進んできたが、 最近先生の要求が高度になってきていて、 そもそも右腕の使い方とか、左手の位置や角度とか、 そういうところがテキトーだと、これ以上上達し難い。 私としては、音程が多少アレでも、音質が多少アレでも、 とにかく曲の難度が上がってバイオリンという楽器に慣れ、 「自分バイオリン弾ける感」が育てばいいかなー程度に 思っているのだが、それで済まされない感じになってきた。 レッスン時間のほとんどが 音質と音程の修正で止められるような状態だとキツい。
最優先課題は音程と音質。 アップダウンの間違いは楽譜を読む能力が上がらないと 直らないのだが、多くの場合失敗して弾き直す時に発生し、 失敗は音程や音質なので、そもそも失敗の頻度が下がれば問題としては軽減する。 違う指で押えてしまう、ということもあり、 例えばA線のレ#を3で押えるか4で押えるかみたいなのもあるのだが、 そういうのは音程が正しければ指摘されない。 というわけで、音程と音質だ。
音程がズレる原因は、手の位置、音程を聞く耳の経験不足、 の両面にある。オタマの左手の親指は中指と正対する位置にあり、 人差し指よりもかなり手前にある。 いやーいいのかなーと思っていたが、直されないし、 本人がこれでいいと言うので放っていた。 でもやっぱりこれが根本原因な気がする。 自分でやってみると、1を下げにくい。 1を下げようとして親指ごと動くと、 普段の感覚で3や4を押えた時に低くなる。 オタマが音程を指摘されるケースのほとんどが「1が高い」「3と4が低い」 なので、かなりこれが疑わしい。 さらにビブラートもかけにくい気もする。 今いくつかバイオリン指導関係のサイトを見てみたが、 人差し指と正対する感じのものが最も多い。 人差し指と中指の中間という流派もある。 中指と正対しているものはあまり見当たらない。 ハイフェッツはD線でFを押える時の位置と言うから、 結構手前だが、それよりも手前としているものは見当たらない。 せいぜいそんなもんなんだろう。私も1と2の間くらいだ。 手の大きさによって最適な位置は違うだろうが、 3/4の楽器を使っていて適正なはずなので、 たぶんそれほどの誤差はない。
音程を直す一番簡単な方法は、音階だ。 それも、多くの調を連続でやる。 それによって、「長調短調で同じ指でも位置が違う」 ということを身体と耳で理解できる。 曲を弾きながらこれを体得するのは結構時間がかかるし、 音階も一つの調だけやってもダメだ。 G-major、G-minor、G#-major、G#-minor... と長調短調を切り換えながら半音づつ上げる。 これなら楽譜はいらない。 セブシックは音階に重音を混ぜているが、 重音みたいに難しくて、しかも、できなくてもあんまり支障がないテクニックは 後でいい気がする。重音がある曲を単音にアレンジして弾いたって、 曲の骨格は変わらない。ましてピアノの伴奏があるなら、 和音はピアノに任せればいいのだ。それに、レラファ、ソレシソ、の定番和音くらい なら真面目に重音の練習をしなくても弾ける。
あとは右手。音質に芯がない。 オタマは抽象的な物言いだと理解できないので、 「強い」とか「弱い」とか「元気良く」とかでは通じてない気がする。 これは音程の話だが、長調を「明るく」、短調を「悲しく」 と表現してもイマイチ通じない。 聴覚的、情緒的な言葉でなく、視覚的、物理的な言葉で わからせた方が効率がいい。 そういうわけで、 「弓の棒と毛の距離が少し狭い」「弓と弦が直角」「全ての毛が弦に触る」 の3つで伝えているのだが、 なかなかうまく行かない。これで相当改善したのだが、 先生が求める水準にはこれだけでは足りない。 「全ての毛が弦に触る」は全然できていないので、 それができればかなりマシになるのだが、 それを実現するにはたぶん右手の持ち方の修正が必要だ。 先の方の弓を使った時の圧力が不足しているのが、 一番の指摘ポイントで、腕の重みを乗せるように指導されるのだが、 なにせオタマは身体の操作が不器用なので、 週30分やそこらの指導でそれを掴むのは相当しんどい。 「腕の重みって何だよ」的なことになるし、 「肩を上げないで肘を上げる」みたいなことも、程度がわからない。 私だったら「ワザとやってんのかお前?」とキレそうになるくらい おかしなポーズになる。 だから、 これも「視覚的、物理的な表現で、正しいかどうかが明確に検証できる伝え方」 を考えないといけない。
たぶん、弓の持ち方が悪い。人差し指と他の指がくっついている。 そうすると、てこが使えない。 親指を支点、人差し指を作用点にしててこを作動させれば、 弓に容易に圧力がかかる。 てこなしでは手全体で圧をかけねばならないが、 それをやるのに前腕、上腕の筋肉を使ってしまうと、 弓を動かすのに支障を来す。 何十グラム分か脱力して弦に重みを乗せれば良いのだが、 前腕や上腕のように大きな筋肉を十グラム単位の 微妙な制御に使うのは相当難しい。 オタマはとにかく不器用で、上腕前腕を使って圧をかけると、 弓を動かす方まで影響を受ける。スタッカートを腕でやると、 力みまくってしまい、次のスタッカートでない音までスタッカートになってしまう。 それくらい不器用だ。とても数日や数週で直せるとは思えない。 しかし、手の力で圧をかけるのであれば、10グラム単位の制御は容易だし、 弓の動きに手の筋肉は使わないので、干渉しにくい。 弾き始めの圧を高めにして引っかけ、動いたら圧を下げる、 ということをやるための第一歩にもなる。
なので、まず弓の持ち方を検討する。 その上で、弓の上1/3だけで弾く練習をする。 棒と毛が少し狭い、直角、全ての毛が当たる、 の3点をそれで実践できた上で、 スタッカートがそれでやれれば、かなり状況は良くなる。 しかし、今まるで使っていない手の筋肉の制御を足す、 というのは難しいかもしれない。 その場合でも、上記3点の制御精度が上がれば状況は良くなるだろう。 雑に曲を弾きながらでもそれらが徐々にできるようになれば、 それが一番楽しくていいんだが、 ちょっとそれを待っているわけには行かなそうだなあ。
さっさと上手になっちまった方が楽だろう。 別にそれを職業にするわけでもなく、 音大に行くレベルにもならんだろうが、 「なんか自分に得意技がある感」はあった方がいいし、 音程や音質を先生に指摘されるのは愉快なことではあるまい。 もう1年2年は景気良く進んで、どんどん速い曲が弾ける ようになればそれでいいと思うので、 そのための障害を最速で取り除く方策を考える。
とりあえず奏法の本を二冊買った。 古い定番っぽいのを選んだので、それを軸にすれば 自己流の変なものが混ざる心配もなかろう。 私の先生は正統派だったはずなので、 私の弾き方もそう外道ではないと思うんだが、念の為だ。