肝炎、ナイアシンかもなあ、と これとか これとかを読んで思った。 徐放性のナイアシンで量を増やした途端に激しいALPの上昇と黄疸で入院、 という例がその記事に書かれている。普通のナイアシンよりも徐放性で よく報告されている、というのも合う。 たまたま間違って徐放性のを買ってしまったからだ。 食中毒とほぼ同時、ということから考えれば違う気もするが、 肝炎ウィルスが全部陰性なので、ウィルスの可能性は低い。 でも飲んだり飲まなかったりだったし、今更というのもなあ。
この解説わかりやすい。徐放性だとゆっくり代謝されて、 アミド化されたナイアシンが長時間居座り、これが肝臓毒性につながる。 即効性だとアミド化される前の素のナイアシンが身体中をかけ巡り、 アミド化される前に尿から排出されるので、アミド化されたものはあまり居座らない。 素のナイアシンを使え、ということなわけだ。
オタマに6時に起こされて算数とバイオリン。 続けて掃除。なんか時間が空いてゆっくりしてたが、考えたら病院だった。 大遅刻して行った。
数が20未満の加減算詰め合わせセット、みたいなものを時間を測ってやっている。 三日間の結果が21、24、21分。 最初の5分で半分くらい終わってる雰囲気だが、急激に減速する。 今日も相当調子良く始まって、15分は切るなと思ったが、21分かかった。
計算そのものはたぶん問題ない。ほぼ答えは覚えており、 10を作る手続きが必要になる頻度はかなり減っている。 問題はそこではなく、「算数という苦手なことをやっている」という意識によって、 隙あらば他のことに逃げたいという衝動が凄まじく強いことだ。 とにかく外的な刺激に反応しやすく、集中が妨げられる。 そうでなければ2+5に10秒とか凍る理由が説明できない。 加えて、「読むのを速くしてみたら?」 のような指示を出すとなおさら機嫌が悪くなる。 バイオリンもそうだが、何か言うとほぼ例外なくムカつく。 先生なら大丈夫なのが不思議なところだ。 「なんでとーちゃんだとムカつくの?」と聞いてみたが、 「とーちゃんだから」とのこと。 「親は物を教わる対象ではない、おまえにそれは期待してない」ということだろう。わからんでもない。 というかすごくわかる。 ただ、残念ながら、というか幸いと言うべきか、 私の親はバイオリンを弾けなかったから教わる必要がなかったのと違って、 私は結構バイオリンが弾けるし、勉強も得意なのだ。 加えて、いろいろあって人に教えるということに関してもそれなりに経験がある。 なんとしても利用してもらわねばならん。
さてどうするかな。一応、「春休み中に15分切らなければ とーちゃんの手には負えないので公文でも行ってもらうことになる」 と宣言はしてある。原因が算数の理解面ではないのであれば、 さっさと外の「何か言われてもムカつかない環境」で、 アホみたいに反復練習してさっさと上手になってしまう、 という手もある。 バイオリンも、つまるところ「言われてもムカつかない先生」 につくことで、家で私が一緒にやっても大丈夫なところまで来た。 現状は教えてるのほぼ私だからな。 自分がやれる、やりたい、と思えば、ムカつく私と一緒でもやれる ということだ。公文にも同じ効果が期待できる。
バイオリンは、ミニヨンのガヴォットに苦戦。 リズム感がないせいで、短い音の並びが繰り返されると多すぎたり足りなかったりする。 膝を曲げながら弾くという結構苦行な練習を提案したら、 なんかやってくれて、それをやってる時には数を間違わなかった。 しかし一方で、膝を曲げると同時に弓が上げ弓、というのは難しくて、 弓の上下がボロボロになる。私だって難しいわそれ。 丁度いい課題が見つかったということだし、この曲は今週終わらんでもいいだろう。 先生はこの曲が済んだらヘンデルやらせようと思っているみたいだが、 一週おあずけかな。しかし、前にやってた曲もどう考えても雑な完成度で終わりになってたので、 「どんどん進めちゃえ」と思ってる可能性も高い。それならそれでいいのだが、 右手の訓練を集中的にやる時間が取れないなあ。
バイオリンの右手は、つまるところ、 「弓の棒と毛の間がちょっと狭い」 「弦と弓が直角」 「弓の全ての毛が弦に触れる角度」 の3点がいつでも守られていればいい。 速く動かした時も、先まで使った時も、弦を移った時も、それらが満たされるようにする。 つまるところそれだけだ。それが当たり前になったら、 もう「子供の音」ではなくなっている。 これら三つはは目で見れば簡単にできているかがわかるから、一人でも練習ができ、曖昧さがない。 一方「強く」とか「かすれないで」とか「引っかけて」といった表現は 曖昧だし検証可能ではない。ほぼほぼそれらの指示は上記3項目に置き換えて問題ない。 音楽性はその後のことだ。
昨日はシノンもバイオリンちょっとだけやった。どれくらい接待すれば続けられるか、 というのがだいたいわかってきたが、この感じだと「半年かかって一人でバイオリン持って音出せたらオーケー」 くらいだな。まあそれでも良かろう。他にもっといいネタが見つからないならそれでいい。 ピアノでもいいんだけどな。バイオリンと違って不自然な姿勢を強要されないし、 運動発達がイマイチなシノンにはピアノの方が良い気はする。 音感があるかないかもよくわからんしな。
オトモは習い事どころではないのだが、言葉で人を呼べること、yes/noが答えられること、 指差しでいいから選択ができること、あたりは幼稚園入れるにあたって必要条件になりそうではある。 問題行動の大半はコミュニケーション手段なので、それら3つができれば激減するだろう。 どれか一個できれば、他の二つにも波及するはずなのだが、 さてどれをどういう手でできるようにしようか。 とはいえ、春休みが終わらんと時間が取りにくいので、 春休みは上二人を多少手厚くした方がいいだろうとは思う。
掃除機の片付けは一緒にやれる。パンツとズボンをはくのも少しづつ手助けを減らしている。 Tシャツももう少し手助けを減らせる。 しかし、これらは言葉が通るようになれば遥かに小さな手間で教えられるので、 コストをかけすぎるのは非効率だ。あくまでコミュニケーション訓練の一環としてやらないと。
生まれて初めて株主総会というものを見学した。 仕事せんとなあ。何をどうするかは考えないといけないが。
ブレストは良い。正直、楽しいという以上に 毎度プレッシャーがあるのだが、 終わった後の感想はだいたい「案外どうにかなった」 になる。
革靴が崩壊していたので買ったのだが、 新しい奴は歩くと疲れる、ということを思い知った。 しかし、前のと違って馴染むのにはずいぶんと 時間がかかるだろう。 前のは容赦なく日常でも履いていて、 運動しに行く時すら気にせず履いていたくらいなのだが、 ビブラムに慣れすぎた今となっては そういうことにはまずならない。 次履くのは一体いつになるのか。
オトモは放ってはおけないなあ。 去年末の状態で児童相談所に行っていれば、 重度の知的障害で月5万円支給されたかもしれない、 というレベルにヤバい。 むろんのこと杞憂に終わればそれで良くて、 来年あたりに普通の4歳になっていれば それで良いし、そうなってほしいと思っている。 しかし今のところはやることをやってリスクを減じるべきだ。 未だに「うん、ううん」ができないからな。 それができない状態で幼稚園に入れても、 活動に参加できないし集団で学ぶことの価値が出てこない。 肯定否定を表明する、ということは今の最優先課題だ。 それが達成できれば幼稚園に行けるか、はわからんが、 それは必要条件だと思っている。
金沢動物園は広くて動物の毛並みが良くて、良かった。 子供なしで行ったらカンガルーやらサイやらの前で ずっとボーッとしてたいんだがなあ。
オタマ、何故か久しぶりに計算をやると言うので3項加減算をやらせてみたらひどい。 3+7や8+9で10秒とか凍る。 学校のプリントその他で3桁の加減算を筆算でやってるのは見てるので 根本的にできないわけではなさそうだが、 書いて計算するのと書かないで計算するのは脳の使い方が異なるのだろう。 暗算だとうまく行かないようだ。 計算の般化が甘いんだろうな。そしてオタマは計算が般化しにくいタイプなんだろう。 許容できる範囲であればそれに頼らない工夫を編み出してプラスになることもあるが ちとこれは介入が必要だな。 「公文か何かをやる」「自力でどうにかする」「とーちゃんが手伝う」「大丈夫だから何もしない」 の4つから、とりあえず今日のところはどれがいいと思うか選ばせたところ、 「とーちゃんが手伝う」ことになった。明日の朝難度を下げて計算をさせる。 まずは2項を5分でいい。
計算にはいくつかの経路がある。 「さんたすなな」と聞いたら「じゅう」という音が出てくる聴覚的な経路。 「3+7」という図形を見ると「10」という図形が出てくる視覚的かつ記号的な経路。 3個の何かと7個の何かが視覚的に浮かんで、10個あるのがわかる完全に視覚的な経路。 オタマがどれが得意なのかがまだはっきりしない。 はっきりするほどやってない、とも言えるし、 それがはっきりしないくらいやってない、とも言える。 これが得意になるとはとても思えないわけで、 「許容できるレベル」までできるようになればそれで良しとしたいのだが、 さすがにこのまま放ってはおけん。
でもこれ、計算の練習をすれば計算はできるようになるだろうが、 根本的な原因は凍ることの方だ。 感情のレベルが高まると何もできなくなる。 計算はやるにしても、そっちをどうにかしないと。 バイオリンがその手段に使えるといいんだが。
シノンのできることを増やしたい。根本的なところの自信が足りないから、 行動に積極性がない。なので、 幼稚園のジャングルジムにくっついたクライミングウォール 的なものを登る練習をさせていたのだが、金曜に登れるようになった。 まだ安定しないのでもう少しやった方がいいが、 そのうちそれも不要になるだろう。次は何だろうか。 楽器やらないかなあ。
ヘンデル、op1-3、6, 13以外はヘンデル作でない可能性が大らしい。 イ長調の奴以外は確実とは言えないそうだが、 むしろそれだけヘンデル風に書けたということがすごい。 有名なバイオリン教本に載ってる奴が根こそぎニセモノかもしれないってすごいな。 それでもいい曲なんだからそれでいいとは言えるのだが。
ヘンデルは音が読めん。次どうなるかわからんし、 「このメロディアリなのか?」というようなメロディが結構出てくる。 6番の第二楽章とか相当意味わからんメロディだしな。 そういえば、ヘンデル真作と言われてる曲はどれも読みにくいが、 そうでない曲は読みやすいような気もしてくる。
オトモ、機嫌が良ければ結構いろいろ通るなあ。 機嫌を損ねないで学習を進めていかないと今は効率が悪い。
オタマも機嫌がいい状態でバイオリンやった方が上達が速いんじゃないかと思うんだが、 奴は毎朝超不機嫌でバイオリンを弾く。これを上機嫌にさせるのは知恵がある分だけ難しい。 弓の上下反対だと指摘するとムカついて腹いせに弓で壁を叩く。 とはいえ、弓の上下を指摘してもなお続けられるところまで成長した、 というのは確かなことだ。以前ならそれで終わりになっていたから、 指摘はしなかった。どんなに弓がおかしくても一切指摘しないで まず曲を覚えることに集中していたが、 今は最初から上下をある程度指摘しても耐えられるし、 間違って覚えたのを是正する手間がかからないので進行も速い。 少しづつ楽譜も見られるようになっている。 ファを弾くべきところでラを弾く、みたいなのは 玉の位置を一段取り違えた時に起こるミスだ。 前は音楽的におかしくないが全然違う音で間違えるケースの方が多かった。 あとは同じ指だが弦が違う、という間違いの率も減っている。 指番号しか見てないとそうなるが、玉の位置を見ていればそのミスは起こりにくい。 確かに進歩しているようだ。 曲の音域が広くなってドレミで歌って楽譜を読む練習をするのが難しくなってきたので、 もうそれはナシにしよう。自然に楽譜が読めるようになるのを待つ。
ある程度古い音楽の方が進行の定石が定まってなくて多様性がある、 という面もあるかもしれない。
プリキュアの映画を見たいというので二人を連れていった。 ひつじこが末っ子の世話から解放される時間を作るべきだということから言えば、 ひつじこに行かせるべきだったなあと思う。 ひつじこはプリキュアは見る気にならないようなので仕方ないのだが、 正直今回のプリキュアは私も見る気にならないものだったので、 どっちでも良かったとは言える。 でもまあ、見る気にならないものを見なければならない苦痛を 味わうのが私で良かった、とは言えるか。そういうの慣れてるしな。
なんだろうなあ。この雑さは。前のとは予算規模が違うんだろうし 仕方ないのだろうが、それにしたって雑すぎるだろう。 作画に目をつむるとしても、脚本の雑さが半端ない。
オトモ観察。「何何する人ー」「はーい」のやり取りが、 「何何」を聞いてないことがわかった。 たぶん最後の「人ー」あたりしか聞いてない。 遠めの公園で「自転車乗らないで帰る人ー」 と言っても「はーい」だった。 fffsa MNHGT421` これ、一回この学習を壊してやり直さないとダメだな。 ただ、今日は一度も「これ何?」に答えてくれておらず、 また、一旦は水が欲しい時に「みず」と言えていたのに、 それも見られなくなっている。 泣いたり暴力に訴える閾値が下がっているのと関係あるな。
泣いたり暴力をふるったりした時に望みが叶うような ことは断じて防がねばならない。 やむを得ない場合でも強度に応じて望みの叶い具合を変える、 というテクニックを使って少しづつ弱めていかないとなあ。
ヘンデルの楽譜が来たので見てみたが、これムズいな。 いきなりフルスピードで弾くのは不可能だ。
オタマ、鈴木3巻のブーレの初レッスンで、最後まで弾いてしまった。 もちろんまともに弾けたわけではなく直されまくりだが、 この長さの曲をレッスン中に最後まで一応でも弾く、というのは結構なことだ。 先生的にも「7月の発表会でこれはないな」という気分になってしまった。 ヘンデルのソナタの楽譜を6000円出して買った。 ちと真面目に練習させすぎたのかもしれんが、 この手のことは上達の速度が決定的に重要だ。 スキルは練習しなければ時間とともに落ちていくが、 腕が上がるほどスキルの低下度合いは小さくなっていく。 昔拳法の先生は「上手になると練習しなくても腕が落ちない。月は落ちてこないが、 飛行機はエンジンを止めれば落ちてくるだろう。それは高さが足りないからだ」 みたいなことを言っていた。日常の動作や脳の使い方にそのスキルが浸透して、 全ての動作、全ての思考が練習になっていくからだろう。 この機を逃さず、 バイオリンが得意技になるところまでレベルを上げてしまった方がいい気がする。 それが軸になって他のスキルにも般化されていくかもしれない。 実際、私の基礎を作っているのはバイオリンだ。
どこまで行ったら「得意技」と言えるか? 個体差もあるだろうしわからんが、私が「自分はバイオリンが弾ける」 と感じたのは、 ビバルディの協奏曲ト短調第一楽章が弾けたあたりだろう。 同じビバルディでも イ短調の方が弾ける程度ではまだ不足で、 この時期にはそのへんで聞いた曲を苦労なくなんでも弾く、といったレベルには達しなかった。 あと2年くらいでそこまで行くと楽だなあ。放っておいて良くなる。 私との腕の差があまりなくなるから、そもそもやれることが減る。
バイオリン曲の難度。あんまり参考にならんなあ。 音楽的に難しい、を言い出したら、きらきら星だって相当難しいわけで、 「楽譜に書いてある音をそのまま出すことの難しさ」だけでいいと思う。 それも、印象に影響が小さい部分を簡略化して良ければ、かなり落とせるはずだ。 バッハの無伴奏なんてハイフェッツが超絶アレンジしたのが標準みたいになってるけど、 元の楽譜見てどう弾くか自分で決めていいならどうにでもできるからな。
ヘンデル、モーツァルト、ベートーベン、バッハ、ビバルディ、 あたりで気持ち良く弾ける曲をリストに並べといて、 難易度順にバンバンこなしてくのはいい気がする。 3巻超えてくると鈴木や白い本を使う意味がどんどんなくなってくる。
新しい設計のバイオリン消音器を買った。 弓と弦が接する所が見えなくならないし、消音効果も高い。 楽器が傷つく危険もほぼない。これはすごい。 私用にもう一個買おう。これなら5弦でも使えるから、低音入りで伴奏しやすい。
シノンもやらんかなあ。
できることが増えるほど普通の子との差が際立ってくる、というのは確かにあるな。 犬と猫を比べる気にはならないが、ポチとタロを比べる気にはなる、 みたいな話でもあるし、もっと実際的な問題もある。 誰がどう見ても100%障害者なら障害者としての生き方があるが、 中途半端に改善すると一般人の枠で生きていかねばならない。 それが余計に過酷になる、ということはあるだろう。 単純に待遇や扱いは違ってくる。 もし11月時点で療育手帳を取りに行っていれば、 重度の知的障害者という称号を得て、毎月結構な額のお金をもらっていたかもしれない、 みたいなことだ。 そういう話は今後もあるはずで、障害者枠での就職が不可能になるとか、 施設に入れなくなるとか、そういうことは起こる。 しかし、今はそこは気にしない。 単純に改善するほど良い、と考える。それ以外の考え方はできない。
実際問題どこまで普通に近づくのか、というのは正直わからない。
がんばってる、と自分で思うようながんばり方は、持続可能じゃない。 自分の努力が自覚できない範囲が適正な努力だ。 とはいえ、ひつじこは自分でその手加減ができないようなので、 私が肩代わりするしかないんだろう。 ただ、私が家事と育児に参加すればするほど、 それに合わせてひつじこが療育の強度を上げてきて、 結局負荷が減らないんじゃないかという気もする。 オタマが小さい時はそんなだった。 でもまあ、それならそれでいいか。その分、オトモが改善するのだから。
新しい言葉を覚える速度は、遅いには遅いがそんなに絶望的ではない。 「これなに?」に対して、さっき「クッション」と答えたら、 一発で覚えた。「クッション、おもしろいねえ」とか言う。 十分以上経ってから、「クッションどこ?」と聞いたら、 クッションを指さした。定着も悪くない。
ただ、修正の速度が遅い。 「おかいもの」を「おかももの」と言っていて、 親は当然「おかいもの」と言っているのだが、修正はされない。 言葉だけでなく、一旦学習したことの変更が効きにくい。 だいぶ暖かくなってきたのに、上着なしで外に出ようとしない。 過学習に陥りやすいということか。 学習速度が遅いなら過学習にはなりにくそうなものだが、 どういうことなんだろう。 ありそうなのは、「学習速度は遅いが、入ってくる刺激の幅が小さい」 かな。過学習を防ぐには刺激の幅を大きく取らないといけない。 絵のりんごと、リアルなりんごが同じ「りんご」として学習されるためには、 「りんご」として提示される刺激に多様性が必要だ。 同じりんごの絵ばかり提示されていれば、その絵だけがりんごだと思ってしまう。 外に行く件で言えば、外に行く時に受ける刺激が狭いのだろう。 同じ玄関、同じ靴、同じ上着だ。 普通ならば、時間の違い、前にやっていたことの違い、 行く目的の違い、などが多様なので同じにならないが、 取れる刺激の種類が少なければそれらが見えなくなって同じになりやすい、 ということはありそうだ。文脈の違いを認識できるほど言語理解が 進んでいないとか、短期記憶が足りないとか、そういうこともあるかもしれない。 できるだけいろんなことを散らした方がいいんだろう。 刺激の幅を狭くした方が、つまりできるだけ同じことが同じように起こる方が 学習自体は速いが、それで学んだことの般化は難しくなる。 そこのバランスだよなあ。 とりあえず靴はローテーションしてみよう。 そして、上着なしで外に出る機会を伺おう。 また同時に、暑いとか寒い、とかいうことに対して着る物を調節すると快適さが変わる、 みたいなことをどうにかして伝えたいのだが、 それを個別に教えるのも辛いものがある。 やっぱ言語理解だよなあ。そして言語理解を進めるための鍵は、 他人を見て真似することだ。そのためには他人を見る気にさせないといけない。 と言ってもだいぶ改善したので、この調子で行けばいいのかもしれないのだが、 効率を上げる手を探す努力は怠らないようにしよう。
やけに片づける、とかも気になる。 片づけてからでないと次の行動行かないからなあ。 困るわけではなくむしろ歓迎だが、何かの表れな気もする。
日常一番困るのは、未だに「はい、いいえ」の意思表示ができないことかもな。 一番簡単な形式の質問のはずだが、まだだ。 一番簡単なはずのことでつまづいているのには何か理由があるはずで、 そういうことほど解決した時の見返りは大きい。 4月入って療育に通うようになったら真っ先に相談しよう。 本も見直してみるか。何か書いてあった気もする。
あと、寝ないな。とにかく寝ない。 睡眠時間自体が少ない。22時に寝ても7時に起きる。 年齢から考えて、全然足りてない。 昨日今日と昼寝もしてないみたいだしな。 運動が足りないとかいう話じゃないだろうこれ。 寝る前に風呂に入れる、何か食わせる、 みたいなことで改善できるならやった方がいいのか。 でもこれも相当改善したからなあ。 日が変わるまで起きてることはもはや稀だし、 夜中に起きて外に連れていけと要求することもここの所はない。
「ダメだね。これはちょっと、後でやろう」とオタマが寝言。
二日連続家族お出かけで糖質摂取祭。
昨日は藤沢湘南台のプラネタリウム。 姉ちゃんズの要望だが、そんな暗い所にオトモが 入れるはずもない。しかし、 前と違って、ただ脱走するだけでは済まないのが今のオトモだ。 みんなを連れ出そうとする。 親一人では足りず、姉ちゃんズ二人も連れて出ようとする。 やむを得ず私が連れ出したが、泣きまくり。 隣の公園に連れて行っても泣きやまず、 元の場所に戻ろうとする。 しかし、戻っても近づくにつれて泣き方が激しくなり、 行きたいのか行きたくないのかどっちだよな状態。 結局、建物前の広場から建物の入口までを何往復かしながら時間を過ごした。 せっかくだから、問題行動の消去のテクニックとして フリーオペラントの本で紹介されていた奴を試してみたのだ。 泣いたら抱き上げて建物から遠ざかり、 泣き止んだら降ろす。 どうも理解したらしく、泣くのをやめて降ろしてもらい、 建物に向かっていくのだが、 近づくと怖くなるのか何なのか、また泣けてきて、 抱き上げられてしまう、という繰り返し。 そのうち、疲れたのかあきらめたのか、 入口から少し離れた階段に座って落ちついた。 まだ無理だな。幼稚園のイベントとかで部屋に入るのも 難しいだろうな。あの幼稚園昼間はあんまり電灯つけないから 外より暗いし。
プラネタリウム後、合流して相鉄ローゼンで炭水化物満載の 食べ物を買い、公園の桜の近くに敷物を敷いて食べた。 少し遊んでから、駅前の小さなオーケーで少し買い物をして帰宅。 あのオーケーは小さすぎてオーケーに期待するものが手に入らない。
今日は新子安の公園で正午あたりまで過した後、みなとみらいの遊園地。 オトモは午前中で体力を使ったせいか、だっこで寝ていた。 オタマはローラーコースターの類が好きらしく、 一番激しそうな奴に乗っていた。 その後ワールドポーターズでサイゼリア。 そこまで外出してもサイゼリア、というあたりがうちの限界なのか と思ったりはするが、オトモいるからな。 洒落た所には行けない。ソファ席がないと無理なのだ。 オタマは炭水化物控え目でミックスグリルを注文していてえらかった。 高いけど。結局ケーキ食ったからそれほど控え目でもない。
オトモにおこさまランチ的なの頼んだの不要だった気がするなあ。 普通にオトモ用にスパゲティ頼んじゃえば良いのではないだろうか。 白い米食わせても仕方ないし、最初からそこにデザートあると、 他の子がデザート頼むタイミングとズレてしまうので、 結局姉ちゃんズの頼んだものもオトモに分けてやる羽目になる。
食の好奇心を満たそうという思いは、 家族でどっか行く時には捨てないといけないなあと本当思う。 子供の世話しながら食べると味がわからん。 であるならば、炭水化物を食ってダメージを受けるのは損だ。 炭水化物でダメージを受けるだけの価値があるような、 そんな時に炭水化物を食えばいい。
カカオマス200g、47%生クリーム200ml、きび砂糖100gで生チョコを作ろうと画策。 先週は同じ分量で完全に分離して、カカオバタ+乳脂肪、な何かと、 ニュルニュルしたペーストができた。 温度が高すぎたのだ。 なので今日は生クリームを50度で止めてみた。 それでも若干分離したが、若干で済んだ。 なかなかいい。カカオ含有量40%だから、そこそこビターだ。 生クリームが多いので、完全に固まらず固いペースト状だから扱いやすい。
スパゲティ食べたい。サイゼリアで中途半端な量を集中できずに食ったので、 まるで満たされん。この前買った韓国唐辛子の粉をアホみたいに入れて赤いペペロンチーノ 的なものを作りたい。だが、メールを書いていたらもう23時目前だ。 スーパーが閉まってしまう。この日記を書き始めた時に時間に気づければ間に合ったのだがなあ。
オトモの課題。やはり反応が鈍い。反応される気がしない、 という過去のレベルとは雲泥の差だが、まだまだ遅い。 それだけ反応する閾値が高いということだ。 言語理解が進めば改善するんだろう。 しつこくやるしかないなあ。 名詞はもういくらでも増やせる印象があるので、 意識して動詞を増やしていきたい。 今日はなりゆきで「上げる、下げる」をボールを持ち上げたり降ろしたりしながらやったが、 さて、わかってんのかなこれ。
言語理解さえどうにかなれば、後のことはどうにでもなる。 根っこはそこだ。コミュニケーションに価値がある、 ということをわかってもらう、という第一段階は どうにかなりつつある。話を聞いたり、話をしたりするといいことがある、 ということはわかってもらえつつあるだろう。 とはいえそれで待っているわけにも行かないので、 言語理解を加速する手を打ちたい。 「チョコとプリンどっにする?」と言葉だけで尋ねた時に、 「どちらかにしなくてはならない」ということを理解してもらった上で、 どちらかを答えてもらう、ということができるようにならないとしんどいからなあ。
オタマ、7月の発表会で鈴木3巻最後のブーレを弾く、 という話になっていたのだが、 「もっと先に行けるんじゃない?」的な雰囲気になってきて、 ヘンデルのソナタという話が出た。 ところが私はヘンデルとハイドンは全然わからない。どっちがどっちだっけ、 くらいの勢いでわからない。 当然聞いたことあるはずだし、篠崎や鈴木にあった曲なら当然やっているはずだが、 印象に残ってない。 で、youtubeで探して聞いてみた。 これ、私が練習すべきじゃないかむしろ。これ初見で弾ける自信ないぞ。 私が初見で弾ける範囲でない曲ってオタマには相当キツいはずなんだが。
バッハよりも音が新しい。音の予測がつかない。 次こうだろ、と思う音が鳴らない。 ということは弾けば世界が広がるということだ。
とりあえず楽譜買うかと思ったが、6000円もする。躊躇する高さ。 さすがに今年はブーレくらいでいいのか。 なんと言っても、楽譜が読めないので曲が長くなるとキツい。 勝手に作曲した部分が定着する速度が、楽譜を見て訂正する速度に 勝ってしまう。「このレ、ミでも良くね?」 みたいなところがちらほらあるしなあ。
機械的な所の基礎がいつまでも課題になる。 弦と弓が直角であること。弦と弓の圧力が適正であること。 弓の毛が全て弦に当たり傾かないこと。 この3つの上に、一つの音の中での圧力変化が加わる。 それがある程度できれば「子供の発表会の音」 を抜けられる。差がつくのはビブラートじゃない。 ビブラートがない音を綺麗に出すことに注力した方が、 練習効率もいいし、そこに聞かせる力も宿る気がするんだよな。
病院行ってきた。ALTは200まで下がっていた。ASTは50。 超音波でも異常なし。肝炎になったが今回復中、というのが医者の見立て。 もし2月中旬に受診したら入院してたかも、という。 その頃町医者行ったんだが血液検査まではしなかったからなあ。
予期せぬ幸運として、検査項目にフェリチンがあった。 170ほどあったので、鉄不足はないだろう。 しかし尿素窒素は17で、プロテインビタミン派的には蛋白不足 ということになる。20までは上がってもいいんだしプロテイン飲もう。
FT3は少し低いんだよな。あとCKが高い。 まあこれは如何ともしがたい。
具体的にどうというのではないが、白血球が3000くらいしかなかった。 しかも6割以上好中球。これどっかで見たなと思ったら、弟がこんなだった。 リンパ球がとにかく少ない。3000の2割ってことは600しかないってことだ。 1000ないと抗癌剤の効きが悪い、とか言ってる医者がいた気がする。 実際統計上どうなのかはわからんが、イメージ的に癌への耐性が低そうに思える。 好中球がリンパ球の3.7倍以上いると癌で死にやすい的な話 もあるし。これは癌になると死ぬなあ。ならないようにするのと、 なってもさっさと発見するのを心がけないと。 とりあえず飲酒喫煙肥満はないので、糖尿の原因になることは避けよう。
もうこれは治療として蛋白質食わないといかんな。 薬を飲むようにプロテインを飲まないと。 それくらい重大な問題だ。
そういえば、火曜に興味本位で血液検査をしてきた。 鉄が足りないと良くない、という流派の医師がいて、 その理論が自分に当てはまるのか知りたかったからだ。 ひつじこはフェリチンを測ってもらえたが、私の方は鉄関係ないだろ、 ということで測ってはもらえなかった。 自費でいいんだけどなーと思いつつ、まっとうな医師だからこそ それに応じてもらえなかったということでもあるので、まあいいかなと思う。 で、昨日結果を聞きに行ったのだが、 私の肝臓の数値がおかしい。 ASTが500近く、ALTが900とかになっている。 急性肝炎としか思えない。γ-GTPは低くアルコール性ではない。 自覚症状はよくわからないのだが紹介状を書いてもらったので、 月曜に病院行ってくる。
ナイアシンの大量服用でASTとALが基準値の倍程度 まで上がることは知られている。しかし、今回は基準値の10倍以上なので、 少々考えにくい。 急性肝炎と考えると、ウィルスか、薬物か、ということになる。 薬物としては、フィナステリド、ナイアシン、ビタミンC、ビタミンB、 くらいだが、フィナステリドはもはや毎日飲んでないし 年単位なので今更感があるし、 ナイアシンでそんなに上がるならとっくに発売禁止になっているだろう。 ビタミンCやBは害がある量ではない。 2月3-4あたりの食中毒騒ぎと、 その次の週10-12あたりの体調不良が関係あるのかもしれない。 微熱で食欲不振、というのは急性肝炎の症状としてはありうる。 食中毒でウィルス感染したかもしれないしなあ。 まあ明日行けばわかるだろう。
なお、HDLは70、LDLは110で、コレステロールはいい感じを維持していた。 ナイアシンはコレステロールに関しては効く。
ひつじこのフェリチンは30で、鉄不足派に言わせれば鉄不足となる。 普通の医学では、5以上あれば正常なので、鉄不足ではない。 とはいえ毎日18mgのキレート鉄を飲んでいてその値なわけだし、 フェリチンの基準値上限は150あたりなので、 倍に増やして数ヶ月しても突破することはない。 そんなに簡単に上がるなら世の中の貧血の人は苦労してないからだ。 生理が止まるまでは過剰になるリスクは極めて低い。 実験してみてもいいんじゃないかなあ。 フェリチン上がってくるといろいろいいらしいし。
オトモが結構発達してるのだが、さてどうしたものかな。
目合わせはほぼぼぼクリアした。視界外から声をかけると反応が鈍いが、 視界外から声をかけても結構反応している、ということでもある。 要求が声にならないケースもちらほらあるが、 「たかしさん、ヨーグルト、かして」 的な言葉は結構な頻度で出るので、しゃべるだけの精神的余裕があれば しゃべれる、という感じだろう。しゃべることのコストが下がってくれば、 言葉にする率は上がるはずだ。 なお、「たかしさん」が私を意味しているかは微妙で、 何か頼む時の枕言葉になっている可能性もある。プリーズ、の意味で使ってる のではないか疑惑。 要求の言葉よりも共有のための発語、例えば、 「ボール、おちたねえ」みたいなのの方が多いのだが、 その方が緊張せずにしゃべれるからかもしれない。
通る指示は増えている。カレーを食べた後におしりふきを渡して「ふいて」 と言ったら拭いた。ウンコの後に、先に私がトイレに行って、 「うんち、グルグルするから、おいでー」と呼ぶと、 大抵数回のうちには来る。トイレに慣れさせるために、ウンコオムツを 脱ぐのはトイレ前と決めているのだ。その後ウンコを便器に入れ、 オトモに流してもらう。 オムツを履くのは徐々に自分でやってもらうようにしている。 足を通すまでは難しいので補助しており、 両足を通した後は自分で尻まで上げてもらい、 最後にズレを直す。オムツを脱すればパンツになって難度が下がるので、 ここは真面目にやらなくても良い。気温が安定して15度を超えてきたらやる。
字はまだ読めないし始めていないが、「て」だけは知っている。 紙に「て」を書いて家の数カ所に貼っているからだ。 次は「め」にしよう。 絵は、丸が書けるようになってきた。グチャグチャにしてしまう欲求を 抑えられるようになってきたのだろう。 補助して顔を描かせることもできる。「目」とか「口」と言うと、 それらしい所に手が運ばれる。放っておくとそこからグチャグチャ書きになってしまうが、 目や口を書くように手を添えても抵抗はしない。 伴ってかどうかわからないが、何か持って手をひらひらさせる行動の頻度は下がっている。
今日は「いや」が出た。大事そうに持っているものを「貸して」とお願いしたら、 「いや」が出た。機嫌を損ねない程度に反復して率を上げたい。 こちらのリアクションを楽しげにしつつすぐに引き下がれば、強化されるはずだ。
動く物を追うことに関しては不安がかなり減った。転がるボールは追えるし、 追う気にもなる。ただし、ボール投げ遊びはあまりできない。 単純に魅力がないのかもしれないし、難しいので避けたいのかもしれない。 姉ちゃんズとやって、それを真似させる方向が良いだろう。
買い物に一緒に行くことをよく求める。 手をつないで500m離れたスーパーまで歩き、 頼んだものをカゴに入れてもらう。結構な率で、入れる時に品物の名前を言う。 勝手に走り出さず、レジで支払う時も待っている。 袋詰めを手伝える。カゴを片づけるのもやってくれる。 そういうわけで、買い物をする時に問題になるようなことはほぼほぼ消えた。 まあ夜中や出勤の時にそれを求められるのが困ると言えば困るのだが、 良しとしよう。
いってきます、おかえりなさい、を間違えることは多いが言う。 ごちそうさま、を言う頻度が結構ある。 これらは親が芝居的に教えたから出てきたとは思えない。 日常実際の場面でやっていることの真似だろう。 挨拶の類は真似として覚えないと効率が悪いし、 準備が出来ていれば勝手に真似するので教えるコストはゼロだ。 そこに労力をかけるべきじゃない。 別に挨拶するようになったからといってこちらの手間が減るわけでもないし、 それが他の何かに波及するとも思えない。 フリーオペラント法の本を読んだ直後だから、というのもあるだろうが、 しつけの類は「それで親が楽になるか」「それができることが他に波及するか」 の2点でやるかどうかを判断すれば良いと思う。 どちらでもないことは多少社会的に不適切であろうが、優先度を下げていい。
運動面。ストライダーに乗せたい。トランポリン時間を増やしたい。 あとしつけ面。食事で毎度汚すのが大変なので、スプーンの操作精度を上げたい。 服と靴を自分でやらせたい。オムツを取りたい。 コミュニケーション。要求を言葉で出す率を上げたい。 肯定か否定かを言葉で表現させたい。 「どっち?」に答えさせたい。
介入を決意してから4ヶ月、方向性が緩いDTT+PRTかフリーオペラント な感じで固まってきてから2ヶ月。ひつじこの努力の甲斐あって、 ずいぶんと進歩している。行ける所まで行くしかないが、 これに関しては「十分」というレベルは果てしなく遠く、 ひたすら継続するしかない。自閉じゃなく健常であってもそれは同じなのだが。
お試しで4回ほど行った民間の療育だが、 本格的に入会して、年間60万ほど払うことを決めた。 菓子を使わないものの、比較的机上のDTTを基本とする流派で、 PRT気味のDTT、という感じだ。PECSなどもやっている。 ひつじこが家でやるのがかなりフリーオペラントなので、 多少DTT寄りのことを混ぜる意味でも、民間療育はそれで良いだろう。 オトモが混乱するほど矛盾するなら問題だが、あの感じなら並行して害はない。 頻度的に足りなければ、DTTのセラピストを別途雇って週1 くらいで来てもらっても良いかもしれないので、 それは別途考える。
ヘルシオの電子レンジ機能が壊れ、スタートボタンが反応しない率が 無視できないほど上がったので、 買い替えた。8世代後のモデルAX-XW500。 かなり進歩している様子で、今の所良さそうに見える。 そして「いらねー」と思っていたAI機能が、案外使えそうだ。 「鳥」と言うと焼き、蒸し、煮込みの鳥レシピを提示してくる。 どうせその通りには作らないにしても、加熱の設定をそれにしてくれれば楽だ。 今日も頂いた餅を焼くのに「餅」と言ったら、それ用にセッティングしてくれた。 ただ問題は、タッチパネルでボタンを押すとしゃべるので、 オトモがそれに夢中になってしまいそうなこと。 無線LANにつないでおくと勝手にネットからいろいろ受信するので、 そのへんも面白すぎてしまう。 使わない時はコンセントを抜いておくことにした。 機械が動かないのは「ジュウデンナイワー」と言えば オトモはそれで納得する。
肝炎なあ。もしそうならA型かE型しかありえないが、 AST,ALTがどれくらいだと症状出る、 みたいなのがわからないなあ。 黄疸も褐色尿も出てないんだが、どういうことなんだろ。
発達障害児の言語獲得―応用行動分析的支援(フリーオペラント法) を読んでいる。この前読んだ本にあった話の実践を、 一人の子供の事例の形で紹介している。 理屈はそれっぽいんだが、統計で見られるレベルの エビデンスがない。もっともそんなものがある療育法は 現状存在しないわけだが。 一番データがありそうなDTTにしても、 長期の予後に関してはよくわからない。 少なくとも満足の行く結果ではないだろう。 もしそうならもっと普及しているはずだ。 週40時間セラピーを2年続けて、ようやく半分が通常学級に行けた、 という程度では、それを標準治療として推進する気にはなれない、 ということだろうか。
オトモが世話になる民間療育の講演会みたいなのに行ってきた。 いくつかの領域で評価を丁寧にやって、 特に弱い部分を改善の重点目標としてデコボコを減らしていく、 という方針は、まあ良いのではなかろうか。 全く真似ができないとか、「どっち?」と聞かれて答えられないとか、 そういうレベルでは個性がどうとか言っていられない。