フリーオペラント法の本を読んだ。 大半雑談じゃね?ブログか? というノリなので情報密度自体は薄いが、 著者のキャラがわかることが大事なこともあるのでこれはこれでいい。 PRTの本の激しい後書きを書いた人の本だ。 たまに出てくる療育テクニックは結構使える。 逆模倣と触りまくりが今オトモにやれそうなネタかな。
真似させようとしてもうまく行かないことが多いので、 逆にセラピストが子供の真似をする。 二人の人間が同じことをしていればつながり感が出るのだが、 それは自閉症であってもそうだという。 真似をされることが報酬となり、「人を意識して何かをする」 という頻度が上がる。それが全ての始まりだという。
笑うようにくすぐるのは結構難しいことだが、 感覚のでこぼこを是正する効果があるという。 くすぐりに限らず、皮膚刺激には 地味だが確実な効果があるそうだ。 満足して自分から去っていくまでの時間が20分くらいになるように やるのがベストらしい。
問題行動の消去に多大な手間をかけるのは時間の無駄で、 明らかに障害になっているものだけを相手にし、 それも、消去よりも軽減を優先する方がいい、という話。 泣いた時に言うことを聞いてやれば、泣く行動が強化される、だから屈してはならない、 というのが普通言われるわけだが、 「度合いが激しい時には言うことを聞くのを遅らせ、 度合いが緩ければすぐに言うことを聞く」という程度のことでも、 子供にとっても激しい問題行動はコストが大きいので、 すぐに度合いが緩くなるのだそうだ。 とにかく労力をコミュニケーションの確立に全振りすべき、 という話だな。それはわかる。 それが一番多方面に効くからだ。
著者の主張として、強化子は学習によって作るべき、 ということがある。菓子では効果が永続しにくい。 逆模倣やふれ合いによって、 「褒める」「笑う」といった社会的な強化子の力を強め、 最終的には本人の達成感みたいなものを強化子として使えるように 持っていければ、もう何もしなくていい。 自発的に学習するようになれば、 仕組みがわからなくても、何を学習させるかをいちいち決めなくても 改善していく。
PRT 〈Pivotal Response Treatmentの理論と実践〉: 発達障がい児のための新しいABA療育 を読んだ。ひつじこがやってる療育に近い。 平岩医師の本に書いてあった奴もPRT気味とあった。 伝統的ABAは椅子に座らせて一対一で課題を教え込む。 可能ならば余計なものがない部屋や環境を作って、 課題に集中させようとする。 課題ができたら菓子を与えて教え込む。 それはそれで効率がいいのだが、そこで覚えたことを 他で使えるようにならないケースが多発する、という欠点があった。 PRTではそれをどうにかするため、「そもそもその課題がやりたくなるようにする」 ことを重視して、その流れでできるだけ自然なごほうびを利用する。 なお、翻訳者はフリーオペラント法というPRTの親戚のような流派の人で、 前書きや後書きでツッコミを入れまくっているのが面白かった。 PRTとフリーオペラント法がどう違うのかに関しては、 両方とも本を追加で買ったので、数日後にわかるだろう。
伝統的ABAには成果の統計データがあるという利点がある。 エビデンスがある、とよく言われる。 週40時間やったら重い自閉症の子が半分以上普通学級に行けた、という話で、 それ以前の状況を考えればめでたい話なのだが、 週40時間セラピストがついてやる、みたいなのは無茶だし、 普通学級に入れたところで終わりというわけでもない。 PRTの主眼は「これができるようになると勝手に学習が進むようなネタを探す」 ということにある。「質問できるようにする」というのはその一つで、 質問できれば日常の不満状況を解消する糸口が掴めるので、 癇癪などの問題行動の頻度が激減し、 質問が要求を叶える手段として便利なことを本人も学ぶので、 頻度が上がり、学習効率が上がる。
理屈は良さそうだが、問題がある。 PRTの提唱は20年以上前なのだが、メジャーになっていない。 大規模なエビデンスもない。 理由はたぶん、標準化できないからだ。 子供が遊んでる所に上手に介入してコミュニケーションを図る、 というのは、誰にでもできることではない。 椅子に座らせてカリキュラム通りに課題をやって、できたら菓子を与える、 的なことはマニュアル化しやすく、セラピストの養成や試験がしやすい。 短期的には物を覚えるので、成果の測定もしやすい。 つまり量産効率がいい。だからエビデンスが出るほどの数が揃えられたのだろう。 しかしPRTはそうは行かない。 セラピストに高い素養が必要な上に、親をセラピスト化することが前提なので、 親の素養によってもバラつきが出る。 さらに、標準化されたテストによって評価をすることをよしとしないので、 測定がそもそもしにくく、データ化しにくい。 データにならないと保険や公費などでの補助が承認されにくく、 普及が進まない。
もっともPRTが本当に良いのであれば、うちにとってそれらの欠点は問題ではない。 楽に意味のある改善が得られるならそれで良い。 ひつじこや私にPRTをやる能力があれば、 セラピストの質の問題など知ったことではない。 すでにその路線で試していて改善している気がしているのだから、 それでいいのだろう。
ただし、伝統的ABAには「やらないよりも明らかにマシというエビデンスがある」 ということは確認しておくべきだ。 また、試験としても使える。まっとうに改善してればABAであるような課題をやらせて できないわけはない。 それに、つみきの会のように、ごほうびの種類を工夫したりして 欠点を補う試みは多数されていて、 何も伝統的な方法をそのままやる必要もない。 椅子と机があった方が教えやすいこともある。 要は使い分けなんだろう。 ただし、そういう匙加減をやればやるほど、大規模な試験がしにくくなっていき、 エビデンスが出なくなっていく。 「とりあえずこの通りやれば、やらないよりはマシな結果が出る」 というエビデンスによる安心感はなくなる。 でもそれでいいんだろう。エビデンスの平均値が成果として得られても うれしくないわけだからな。
物捨てまくり大会。 壊れたdellのモニタも捨てる手配をした。 dellのサイトから申し込めるのな。知らなかった。
オトモたすく(民間療育)2回目。 姉ちゃんズが早い時間に帰ってきてたので連れてったのだが、 邪魔するなーこいつら。好奇心を抑えられないのはいいことだが。
幼稚園の入園は遅らせる方向で話がついたが、 遅らせずに入れてもいいかなと思うくらいの速度で改善させたい。 現状の制度では小学校には留年がないし、猶予もない。 一旦落ちこぼれたら取り返しがつかなくなる。 脳が未熟なうちにやれることをやっておかないと、後で余計に大変になる。
いろんなことがわかってないので指示を聞けない。 PECSをやるのはいいとしても、あれ家でもやらないと全然効果ないだろう。 何をどうにかしたら一番効率良く改善するかなあ。
運動能力を伸ばしたいのだが、知恵がないと 高度な運動はできない。歩く走る跳ぶ登る、的なところ の量を増やすのでもいいのだが、それをやる動機をつなぐにも知恵がいる。
一緒に絵を描いて、「もも、描こうか」と言ったら 桃色のクレヨンを、「ぶどう、描こうか」と言ったら 紫のクレヨンを出してきた。次は赤いクレヨンを取ってから、 「あかちゃんのりんごー」と、りんごを描くことを要求してきた。 色はわかってるっぽい。言葉に連結してないのか。 赤という言葉を知らないわけではなさそうなんだが、 あんまり出てこないし「赤いのとって」と言っても反応が鈍い。 ここは不便なので集中してやるべきか。
最近「これなに」をよく言う。答えたことを復唱して 後になっても覚えていることはあるので、 たぶん「これなに」の意味は知っているっぽいのだが、 答えても再度「これなに」と言われる頻度は高い。 「これなに」に対してレスが来るのを楽しんでいる、 と自閉症の人が書いた本にあったが、 そういうこともあるのだろうか。
絵本を読む時間がそこそこあるので、何かしら広げたい。 「xxはどこ?」「これは何?誰?」 と聞くのはやってるが、それ以上内容わからんしなあ。 「何をしたか」が問えるようにするにはどういう段階を踏めばいいだろう。
整理はまず物を捨ててからだろう。 服と本とおもちゃをごっそり捨てるのが良さそう。
20時消灯に持っていって朝型にしたい。 人類は色の識別能が高いのだから、昼行性の生き物のはずだ。 オトモを連続11時間寝かせられる状況をどうにかして作る。
オトモが寝ない。寝ろよ。 昼寝を終わらせないとダメだが、夜寝るのが遅いせいで睡眠が足りず、昼寝なしでは持たない。 下手に昼寝させずに夕方6時とかに寝てしまうとその深夜は地獄になる。 安全に望ましい状態に持っていく術はないものか。
学習速度が遅いせいで幼ないだけ、と単純に考えていい気がする。 「そもそも言葉を発しない」というタイプの重篤な自閉症じゃない。 学習速度が遅いのは、世界からの入力が少ないか、 学習に欠陥があるかのどちらかだ。 感覚が普通じゃないことはわかっているので、前者の可能性が高い。 だからそこに集中して対策を練る。 入力を増やす。入力を妨げるものをなくす。 ABAごっこによる訓練を間断なくやり続けることと、 タブレットのように特定刺激だけえんえん続けられてしまうものを排除する。
ボタン押すと音楽が流れるおもちゃは個人的には捨てたいなあ。 youtubeを排するならこいつも排したい。 リアル楽器の地味な刺激から面白みをみつける訓練をして頂きたい。
自閉症判定の直後に療育手帳を取りに行けば月3.3万が 最低2年はもらえただろうなあ、と思うと、あの時にちゃんと 調べて行動を開始しなかったことが悔やまれる。 あの当時にK式をやっていればDQ50には達しなかっただろう。 50未満であれば中度になり、B1等級だったはずだ。 支援が全然違う。 もっとも、うちよりも優先してもらうべき家庭は他にあるだろうけどな。 行政側が聞かれない限り療育手帳のことを話さないのは、 理由がないことではないのだろう。 そういう決まりがあってそうしているのかはわからないが。
上二人連れて遠出。横浜でラーメンを食べて帰った。 といっても、5歳を連れて行けるラーメン屋、というのは 結構条件が厳しいので、ダイエーのフードコード。 ダイエーは閉店2日前だった。 確かに建物古そうだったし、あの場所ならもっと価値がある施設が作れるだろう。 仕方ない。
夕方から夜にかけて、オトモを自転車に乗せて大船のコーナンと藤沢のオーケー で買い出ししてきた。16kmの行程。 療育に使えそうなホワイトボード、マグネット、 クレヨン、あたりをコーナンで買い、 毎週のソーセージやチーズはオーケー。 以前ほど勝手に走り回らないし、 指をさせば「チーズ取って」と言えば入れてくれる。 今日は袋詰めも手伝ってもらった。 トークンエコノミー用にエンゼルパイを買ったが、 それを見て「今すぐよこせ」と泣くようなこともない。 途中コーナンの隣のライフでちょっとお菓子を買って、 店内の椅子で食べた。
自転車に乗ってる間はオトモへの働きかけはしにくく、 療育的には無駄な時間だが、 家に置いていってもひつじこの体調が悪くて何もできそうになかったし、 だったらひつじこを休ませた方がいい。 それに、移動中でも効率は悪いもののできることはある。 例えば夜なので信号は良く見える。指さして「赤信号」 と言ったら、「あかしんごう」と復唱してくれた。 何がどうなのかわかっているかはわからないが、 とにかく繰り返そう。 トンネルなら「トンネルだねー」と話しかけ、 「トンネルだねー」と返してくれる。 トンネルという概念はわかっているので、 ただのオウム返しではない。
鎌倉から大船に出る道は結構ややこしい。 八幡宮の横を通って北鎌倉を経由するルートはわかりやすいが、若干遠い。 鎌倉中央公園の横を抜けるルートは道が細かくて複雑な上に高低差が100m あって自転車ではモーター付きでもきつい。登りも嫌だが下りも嫌だ。 まして一人ではない。 加えて自転車の電池が残り少なかったので、勾配は避けた。 そういうわけで、深沢を経由して川沿いを行くルート。 モノレールに沿って北上する方が近いのだが、 これも坂がヤバい。
76枚で1500円のおむつと、56枚で1338円のおむつ。 どちらの単価が安いか。ひつじこが直面した問題。 電話を忘れて行ったので、電卓での割り算はできない。 76は75に似ているので75とすると、 75*2=150なので、1枚20円とわかる。 56は55に似ているので55とし、 これが仮に20円だったら55*20で1100円になる。 これは1338円より安い。だから、単価は1500円の方が安い。 私ならこういう順序で判定する。
みたいなことがどれだけ使えるかがいろんなところで効いてる気がするが、 普通に脳内で除算ができてしまうならそれはそれでアリなのか。
風邪がひどくて一日あんまり動いてない。 ひつじこがお出かけで5時間くらいいなくて、 その間お散歩に行ったので余計に悪化した印象。 せっかくだからビタミンCの大量摂取の実験をしよう。 といっても、今日だけですでに10g以上飲んでいるのだが。
下痢をする寸前まで飲め。それが適量だ。と言っている医者がいる。 すぐ下痢するようなら足りていて、なかなかしないなら足りていないのだと。 そんな都合のいい判定ができるように身体ができているのかは謎だが、 まあ試してみたっていいだろう。 なお、この量飲むとなると錠剤は高くつくので、 風呂の塩素中和用に買っている粉を使う。
会社の技術ブログを10個ほど書いてみて、 どうにも技術ブログにならんな、という感じ。 人にまともに説明しようと思うと、 「なんでそんなことしようとしたか」 「実際どう運用するのか」 というところまで含めて書きたくなるので、 技術ブログっぽくなくなっていく。 といっても、それはそれでいいかなと思ってはいる。 うちの会社は個人が更新できる社内用のwebサーバがない。 プロジェクトごとのwikiはgithubにあるが、 プロジェクトごとでは使いにくい。 更新情報も配信されない。 秘密にする必要がないなら、いきなり外に置いてしまった方が早いのだ。 そういうわけで、社内向けのライブラリや、検証、サンプル類もいきなり社外に置き、 これに関する説明を技術ブログという場所を借りて置いている。 プロジェクトに先につっこんでみてから汎用化して公開する場合もあるし、 先に汎用版を公開してしまってから個々のプロジェクトにつっこむ場合もある。
社内サイト、みたいなものをあんまり重視しない、というのはIT企業らしいのかもしれないな。
療育手帳の申請に先立つ検査のために、横須賀の児童相談所に行ってきた。 K式から間がない、ということで簡易的に遠城寺式で判定して、DQ58。 今37ヶ月なので21ヶ月相当の発達、という判定になる。 1歳9ヶ月。 3ヶ月前に1歳0-2ヶ月相当、と言われたわけだから、 ここのところやってることが間違ってなさそうだ、とは言える。 療育手帳の等級はB2で、軽度。もらえるお金はない。 税の軽減だけ。手続きは年末調整に療育手帳のコピーを添付するだけ。
明日は療育手帳の申請で検査を受けに行く。 これで手帳をもらえない判定だったら短期間での進歩を喜べば良く、 もらえる判定でも補助金が出るのでその点は喜べば良い。 今更結果でどうということはない。 タダで3ヶ月の進歩を測定できると考えればプラスしかない。
2歳10ヶ月で1歳判定が出るということは、 12/34*100=35だ。2領域35で。運動だけ100。 もし同じ数字が出れば、重度ということになる。 補助金が結構出るので、それはそれで喜べばいい。 今の感じからして1歳1ヶ月相当、ってことはないと思うから、 もう少し高い点数が出そうだが、 そもそも検査で指示に応じられるか?というところが一番問題なわけで、 何一つできないという可能性は結構ある。
社会が知的労働以外を必要としなくなってきている上に、 最低賃金があるので、おおよそ一時間あたり 2000円以上の利益を生み出す能力がない限り雇用することができない。 最低賃金が上がれば上がるほど、雇用不可能な人間を増やすことになる。 そこは生活保護なり障害者支援なりの形で社会で養うしかなく、 「労働によって人に貢献する」という行為から阻害された人間を増やしていく。 最低賃金の副作用は結構大きい気がするなあ。 こういう状況にならなければ、そんなことを考えることもなかっただろうが。
tasuc療育1回目。いやヤバいな。指示が通らない。 訓練をする前提を整えるところからだ。 しかし逆に言えば、そこがマシになれば訓練効率は 大きく上がるだろう。 週1で1時間では全然足りない。 家にセラピスト呼ぶのも併用した方がいいかもしれんが、 結局は家で親がどれだけやれるかが運命を分ける。
感覚異常がいろいろなところで問題になる。 白いのが見辛い。黄色が見辛い。 見慣れない板に足を置けない。 プラスチックの板に手を置けない。 照明を消してもらい、ティッシュを置いてその上に手を載せてもらい、 みたいな状況。
感覚異常そのものを治す方法は現状ない。 知能でカヴァーするしかない。 自分で軽減させる方法を考え、 軽減しきれない所は我慢をし、 我慢していることのストレスを自覚して、 許容量を超える前に回避する。 知能を鍛えなくてはならない。
ひつじこの努力もあって、毎日いろんな進歩が見られるオトモだが、 「この棒にブロックを刺して」的な「要求された課題」 に応える能力はなかなか上がらない。 椅子に座れるだけでも大変な進歩なのだが、 それで満足できるはずもなく、先は長い。 「後ろから呼んでも振り向けよ」というレベルからだ。
長時間録画できる機械買おう。 何に使うかわからんが、とにかく録画しておく。
朝6時前、私も下痢した。これは食中毒だな。 忙しい時にステーキを焼いてはならない、ということだ。 発熱があるということはサルモネラか。
オトモ、白い色鉛筆でも気にしないで描きまくっている。 白い紙なので普通の視覚では見えにくいのだが、 もしかしたらこいつには鮮明に見えているのかもしれない。 側方抑制が猛烈に効いているのであれば、 マッハバンドのようにコントラストが強調されるはずだ。 芯がひっこんで出てこなくなった色鉛筆でも そこそこ気にせず描く、というのも同じだろう。 紙がへこめば若干暗くなる。それが十分によく見えているのかもしれない。 ちなみに、描いているもの自体はまだ殴り書きなのだが、 物を持って手をひらひらさせる行動が殴り書きに置き代わるだけでも ずいぶんと良い。
土曜夜に食べたステーキがまずかったのか、 ひつじことオタマが夜中に嘔吐。 しかし、食べてないオトモも嘔吐。風邪なのかもしれない。 私とシノンは無事。 オタマは一番重くて、明け方から昼ごろまで嘔気が 止まず、救急でナウゼリンの坐薬をもらってきた。 そのあたりで発熱開始。最高39.1度で、 その後しばらくで38.4まで下がる。 汗なし。寒気なし。
オタマが便秘気味であることが今更わかった。 腹痛があるというので便のことを尋ねたら、 出ない日の方が多いという。 浣腸したらいかにも硬そうな奴が派手に出た。 医者には嘔吐がある時の浣腸はいけない、と言われたが、 こう言っている医者もいてよくわからない。 便秘を育ててしまうと厄介なので、 カレンダーにウンコシールを貼ってもらって把握したいが、 実行できるかは謎。 とりあえずウンコシールを買ってこないと。
ようやく、つみきの会のテキストを粗く読めた。 本当に細かい。そして気が遠くなるほど項目が多い。 自閉症の子は学習を般化させるのが苦手なので 何もかも個別に教えねばならない、というのが前提にある。 「これをやると関連していろいろ良くなる、というようなものはない」 とロヴァスによる研究でわかったとあり、それはなかなか辛い。 ただ度合いの問題はあるだろうから、 オトモで最適な匙加減を探す必要はある。 何かの指示をこなせるようになったとしても、 ある部屋でしかできない、ある人に言われないとできない、 みたいな限定がついてしまえば使い物にはならなくなる。 机上でつめこんでいた初期のABAが持っていた欠点はまさにそれで、 訓練を終えて元の環境に戻った時にはまるで使えなかったという。 だから、特別な所に通って訓練するのではなく、 家でやらねばならない、という結論に達したわけだ。 ロヴァス氏の研究で改善が見られた方法は、 数人のセラピストがローテーションを組んで訪問し、 一日あたり8時間以上貼りつくのを2年間続ける、 というものだったそうだが、それを実践するには どうしたらいいのかさっぱりわからない。 いくら積めばできるのか、そもそも金でどうにかなるのか、 というレベルでわからない。 キツかろうがなんだろうがそれしか道がないならそうするし、 現状確度が高い道それならまずはそうするが、 さてどうしたものか。
個人でバイト雇ってる人いるわ。 どこでどうやって募集かけたんだこれ。
トイレは気温上がってきてからが楽そうなので、 それまでにコミュニケーションを可能な限りどうにかしたい。 目が合わない感はかなりなくなってきたので、 後ろから声をかけても反応しないのを改善したい。
好ましい行動をしたらごほうび、できないうちは手助けし、それでもごほうび。 話は単純だ。しかし、個別課題にどう応用するかは簡単じゃない。 後ろから声をかけて反応したらごほうび、を実現するための、 最初の手助けってなんだ? たぶん、これに関してはまだ段階が来てないんだろう。 達成させる手助けがはっきりしていて、達成の定義がはっきりしている 課題を先にやった方がいい。 前に回りこんで目が合ってから話す、 の練度が上がってくれば改善すると思おう。 今注目していることにしか意識がいかず、 音による割り込みに反応しにくい、 という根本的なところを改善しないといけないのだが、 さてそれどうすればいいんだ。 もうちょっと本を読もう。 具体的なスキルを通してその力が育つなら トイレやら箸やら着替えやらをどうにかするのだが、 たぶんそうではない。それはそれでやるけど。
この前相談した所では、「ABAはたぶん今は向いてない」と言われている。 しかし、ABA以外に「効果があると広く知られている体系的な手法」 は存在しないし、マニュアルもない。 参考にしている平岩医師の本もABAなのだが、 「1,2歳からセラピストをガチでつけてカリキュラム組んで 進めるぞ」的なノリではなく、データはない。 それだけでは足りまい。
子供が休んで寝ていると、一対一でABAができなくなるので、 上の子達の体調を崩さないことも重要だ。 明日はオタマが休むだろうけど、 まあ寝てるならそれほど邪魔はしないだろう。 たぶん「学校行くには不安だけど、寝てるほど具合悪くもない」 という中途半端な状態になるだろうけどな。
すべり台を逆から登る行動を消去するには? みたいに考えてみると、これまたABAの難しさが実感できるな。 理屈上、逆から登った時に褒美が得られず、逆から登った時以外に褒美が 得られれば、逆から登る行動は消去される。 しかし、逆から登るのは注目を得たいからではなく、 それで得られる身体感覚が心地良いからだ。 それ自体が褒美なので、褒美をなくすことはできない。 登ろうとする度に持ち上げて階段の前に降ろす、 とかすれば、禁止されてしまうので褒美はなくなるが、 持ち上げられて移動することが褒美になる可能性も捨て切れない。 でも正直、他に人がいない時は逆から登ってほしいんだよな。 そっちの方が運動の質がいい。滑り台の階段登って滑り降りても、 今となっては身体の鍛錬にならんだろ。 理想的なのは、滑り台が鍛錬になるうちは、 他の子がいない時間帯にたくさんやって、 十分鍛錬してしまい、飽きてしまうことなんだろうな。
ブランコは今のところ座面を抱えて乗る。どうせ座ってもこげないんだし、 普通に座ってるより負荷が大きくていい。 親が押してやる必要もなく能動的だ。 なので今のところはこれでいいだろう。 もっとも、押してもらうのが好きなら、それを強化子として使えるので、 そうなったらなったで利用する方法を考える。
オトモが寝ない。22時だぞおい。 昼寝をそろそろやめたいんだが、下手にやめると 夕方昼寝して余計ひどいことになる。
「自閉症を克服する」。問題行動のやめさせ方。 自傷、他傷、奇声、号泣、等々。 まず、それが褒美にならないようにする。 泣けば避けられる、といったような経験は、それを強化してしまう。 そこは徹底して、絶対に折れない。
理屈はわかっていても、実践はなかなか困難だ。 そもそも、それが本当にいいのか確信が持てない。
ただ、やるとなれば私は結構容赦なくできる方な気がする。 例えば、オタマがおもちゃを片づけないとする。実際片づけない。 ひつじこの場合、片づけるのが正しいと思っているから、 片づけろと言う。しかし実行をその場では確認しない。 言った段階でボールはオタマに移っているわけで、 それ以上言う筋合いはないし、それ以上言わなくても やるべきだと思っている。しかし、実行されない。 何度かそれが繰り返され、怒ることになり、 オタマを泣かすことになる。 これが私なら、ルール化してしまう。 例えば、「片づけられずに落ちているものはゴミとみなして袋に入れる、 一定期間後に捨てる」。それが本気であることが伝われば、 たぶん片づける。というか、実際やったことがあったと思う。 しかしそういうやり方は、 片づけることの意味を理解してやっているのではない。 「片づけなかった結果悪いことが起こったので片づけた」というだけだ。 ひつじこが求めるものには遠い。 ひつじこが嫌がるし、日中子供といるのはひつじこであって 私ではないので、今はそういうことはしていない。 さて、オトモに関してはどうするのが良いのか。
ABAというのは、言ってしまえば何もかもをその流儀で捉えて、 望む形の行動をするように介入することだ。 障碍がある場合はそうせざるを得ない、という話だと思われているようだが、 私は、健常であろうが障碍があろうが、区別なくそれでいいと思っている所がある。 大人向けあるいは健常者向けであれば、 あまりあからさまにやると不信を招くので「行動に介入しようとしていること」は 包み隠す必要があるが、障害者向けであればかなりあからさまにやれる、 という程度の差だろう。 結局のところ人間を都合良く操ろうとする手法なのだ。 それでも、相手にとっても社会にとっても不幸でない方向に行くのであれば、 許されるだろう。 しかし、問題はそれが長期的に良い結果をもたらすかが確信できない、 というところにある。試すしかないだろうな。
「自閉症を克服する」では、自閉症児に「エイド」なる人がついているのが 前提として書かれている。幼稚園でも学校でもその人が一緒にいるようだ。 また、セラピストは当然のようにいるものとされている。 日本の場合、それが全く当然ではなく、そこからどうにかしないといけない。 全部自費でやれば、数百万は飛ぶ。 何かしらプロを雇えば時給はどんなに安くとも2000円は超える。 週40時間とすれば、週8万円、月30万円、年間400万くらいはかかることになる。 実際にはその倍くらいでもおかしくない。 この本の場合、脚本家と小説家の夫婦の話なので、金銭的余裕はあるのだろう。 また、公費の補助がかなり充実しているように読める。 アメリカの場合、ベビーシッターを頼むことが当たり前の 風土があり、学生バイトとして確立していれば安く利用できると聞く。 セラピストもその延長で安く利用できるのかもしれない。 日本においてそれらは望むべくもないことだ。
私は1000万までは覚悟をしている。 学校に入るまでの3年間で1000万の投資をして 違和感なく通常学級に行けるのであれば、十分な勝利だ。 だが、それを何に使えば勝率が上がるのかがまだ見えていない。 民間の療育会社に全振りすべきなのか、 別の、例えばつみきの会などに振り向けるべきなのか。 もっとも、結局最終的に効いてくるのは、うちらがどれだけ高密度に 家で療育をやれるか、なんだけどな。 お金は、うちでうちらがやる療育の効率を上げるための投資であって、 他人に療育してもらうための投資ではない。
オタマ、3項の加減算がそこそこできるようになっている。 といっても5分で16問とべらぼうに遅いのだが、変な焦りなしでやっていられるので、 まあこの調子で行こう。途中結果を覚えておくところで詰まっている印象はない。 今日に関してはくしゃみで集中を妨げられたのが大きかったように見える。
シノン、数字の読みをひらがなで書かせることにした。 8を「はち」と読めないことがちらほらあって 算数の妨げになっているので、それを解消し、 同時に文字を増やす。 新出は、に、よ、ご、ろ、な、は、ゆ、じ、う。
図鑑読めるといいなあシノン。 名前はほとんどカタカナだ。 20まで安定して数えられるのだから、 ひらがなをコンプリートすることを優先して、 さっさとカタカナに行った方がいいかもしれない。 でも、数字が読めて書けるところまでは優先だな。 たまに「8」の読みを忘れる。 そうなると、壁の数字の表を「いち、に、さん」と 言いながら見ていって「あ、これ、はちか」という話になるので 効率が悪い。数字とその読みのひらがなをセットで覚えさせてしまおう。
うちは3人ともトランポリンが重点課題。 単純にいろんなところ筋力がついて、 有酸素運動になる上に、 たぶん、これをやっていれば身体の使い方が全体に良くなる。 オタマには飛ぶ度に足を前に出すのをやらせている。 胴体でジャンプする感覚がわからないと、なわとび無理だろ。 ひつじこもやるべき。オトモにたくさんやらせないとなあ。
連日夜寝る前にオトモ絵本。 本を持ってやってくるので、 読む前に本の名前を言わせる。 なんか言ったら読み始める。 途中、いちいち質問を入れて答えてもらおう。 999匹のかえるの話だと「卵はどこ」、 こけしがこけて、なら「これなんだっけ」「こまはどこ」あたりが定番。
オトモは「要求がなければ閉じこもってる」タイプではないのが幸いだ。 運動の問題もあるのかどうかわからない程度だし。 そこを活かして、トランポリンもっとやらせる工夫を考えよう。 最初全然高さが出なかったシノンが、数日で結構いい具合になっている。 オトモもそんな感じで進歩させたい。
オタマ、バイオリン一気に上達させちまいたいな。 うまくなればそれだけ放っておけるし、 諸々の能力につながりやすい。 楽譜が読めないのは、しばらくはドレミ歌いをさせながら様子見で良いとして、 右手は「少し弓の毛と棒の間が狭い」「直角」の2つができてれば あとは動きの幅を広げていけばいいだろう。 弾き始めに圧をかけて、動き出したら抜く、というのができないと 「子供の音」から脱却できないのだが、まあそれより先に速度だろうな。