だだもれ

2018年12月29日

昨日は会社の忘年会で、カレーが大量にあったのでつい食べてしまい、 そして案の定腹の調子がよろしくない。その場で餃子焼きまくってて、 それも食べたからなあ。最初からブロッコリーにカレーをかけて食えば良かったのに、 つい米を食べてしまった。

平岩幹男という人の発達障害関係の本を2冊読んだ。 こっちは前読んだ奴よりメジャーだろう。 丸善行って医学書漁った時にはこういう本がまるで見当たらなかったのだが、 あれは見る場所が悪かったんだな。言語聴覚士向けの本とかは 別の場所にあったんだろうし、この手の本は一般向けがほとんどなのだろう。 医学に関して一般向けの本はまず信用しない方がいいというのが常識かと思うが、 なにせ発達障害に関しては親がやらねばならんことが はるかに多いので、それがあてはまらないようだ。 いや、本当にあてはまらないのかはわからないがな。

知的障害を伴う自閉症は早く見つけて対処した方がいい、 というのはいろんな本で見るのだが、 「どれくらいの改善率なのか、予後はどうなのか」 みたいなことはどの本にも書かれていない。 この本にも書かれていない。 しかし、どういったやり方で療育をやるのがいいのか、 ということはかなり具体的に指示されているし、 「放っておけば絶対改善しないので、長い目で見ろとか、 それも個性だ、とかいうたわごとは無視して積極介入しろ」 というスタンスなのは気にいった。 データがないのは残念だが、 「怒っても意味ない」「まずはつながり感」 「一日50回ほめろ。ほめるための機会は無理矢理でも作れ」 といったことは根拠があろうがなかろうが、「まあそうだろう」と思うし、 発達障害に限ったことではない。 会社で人と一緒に働く時にもほとんど変わらず応用できる話だし、 オタマやシノンにだって同じだし、 さらに言えば、ひつじこにはこれをふまえて私を扱ってほしいと思う。

結局のところ、やれることをやっていった結果、 最善の結果になれば、その最善の結果が必ずしも満足の行くものでなかったとしても、 それが最善なのだから仕方ない。 目標を意識してやるのは、どちらか言えば親の心が折れないようにするためだろう。

昨日から、話しかける時は同じ高さで正面から、を心がけている。 顔を見るのが苦手なのであれば、それに慣れさせないといけない。 主観的には明らかな効果がある。言葉に反応する率が桁違いだ。 というわけでこの本を参考にしつつ、 なにやってても訓練になるような、そういう生活にしていくのがいいのだろう。 ただしそれは本人にとっては遊びでなくてはならず、 同時にこっちにとっても負担にならず、むしろ楽しいものでなくてはならない。

偏食に対処するのに、食べるものを出すように最適化していくとなおさら食うものが狭くなる。 食べたくない、というものであっても出すべきだろう。 ただ、食べたら報酬をやって褒めまくる、という手続きは必要かもしれないし、 食べるもの、食べないもの、そして最後に食べるもの、というサンドイッチ方式で 期限を損ねないようにやる工夫もあっていい。 そのへんの配慮が欠けていたのを反省している。

私は「腹減れば食うだろうし、腹が減ればいいんじゃないかなあ」と思っていたが、 腹が減ると機嫌が悪くなって面倒くさい、という現実もあって難しい。 食事と食事の間隔をできるだけ空けたいんだけどなあ。 実際ひつじこが旅行行ってた時はだいぶ間隔開けたし。 確かにオトモは多少仕方ないところがあって、コミュニケーションが ある程度可能になるまではオンデマンドで食い物を出すのもやむをえないが、 それにしても焼きチーズくらいでいい気はしている。 手間が馬鹿にならん。結局、親の家事の手間を削らないと、 一緒に遊ぶ時間も療育的なケアをする時間も取れない。 料理なんてしている時間はないわけで、買ってきて済むならそれでいいとすら思う。

ひつじこは「なんでできないの」を言いがちだ。 オトモには言わないが、私とオタマとシノンには言う。 それはつまり、オトモとそれ以外の間に何らかの線があるということだ。 また、学校の先生をしている時には、生徒に対しては言わなかったらしいので、 そこにも何か線があるということになる。 そしてこれは私にも言える。オタマにバイオリンを教えると つい要求が高くなりすぎるが、もし他人に教えてたら そうはならないと思うんだよな。 バイオリンじゃないけど実際そうだし。 そのへんが家族に対する親密さみたいなものなのかもしれんが、 現状それが結果を良くするとは思えない。 物を教える、ということに関して言えば、 他人の子に教えるように教えればいいんだと思う。 おそらく、他人であれば共有する前提が少ないし、 嫌なら去っていくのが明らかなので、 それだけ丁寧に条件を整えないといけない。 家族だとそこが雑になるのだ。

たまたまひつじこが苦もなくできることが、私にとって凄まじく難しかったり、 意義が感じられなかったりすることはなんぼでもある。 この二冊でしつこく書かれている、 「できないものやらないのも本人にとってはもっともな理由があり、 無理強いしても結果は出ない」ということを理論として理解しつつ オトモだけでなくオタマやシノンに対しても実践できたら いいんじゃないかなあ。 ひつじこは療育的なことは得意だと思うのだが、 現状それは「相手を療育の対象と認定した場合」に限られている。 生徒とかもそうなんだろう。 私もバイオリンその他で物を教えようと思うと同じことが言える。 他人に教えることは結構多いが、たぶん相当得意だからな。 オタマやシノンに二次障害を起こさんためにも、 やはり「他人に教えるように教える」ことが必要になる。

これは会社で働く時にも全く同じことが言える。 というか、私は先に会社でそれを学んだ。 できない奴を責めても何も良くならない。 できないことをさせることの方が問題だし、 さすがにこれはできないとマズいだろ、ということであっても、 責めるよりも良い手はある。 「なんでできないのか」なんて本人にもわからんし、 そもそも、その言葉を疑問として発していないのであれば、 その言葉は使うべきではない。単に「それができないのは私が困る」 と言えば良く、「なんでできないの」などと疑問の形を装う必要はない。 みんな自分に見える世界において、自分の持つ能力の限りの中で、 自分にとっての優先度に基いて生きている。 見えないことは認識できないし、できないことはできないし、 大切だと思えないこともまたできない。 それに干渉して望むように変えるのは結構大変なことで、 「相手にとって世界がどう見えるか」「相手の能力の限界はどこか」 「相手の優先順位はどうか」ということを探りながら、 うまい道を見つけて働きかけをしないといけない。 まあ会社の場合、辞めてもらう、という究極手段があるので、 家族とは違うところもあるんだが、 その選択肢を安易に使う会社はたぶんロクなことにならないからな。 会社であってもそれほど違わないはずだ。

一つ若干気になるのは、躾っぽい話の比率が高すぎることだろうか。 褒めまくって望ましい行動を強化する、ということを濫用しすぎると、 何かもったいないことが起きてしまいそうな気はする。 まあそれどころじゃねえよ感はあるので、今はとにかくやるが。 「友達と20分遊べたら幼稚園に行ってもいい」 という話が本にあったが、今のところまだそれは遠い。 でもまあ、シノンも怪しいけど行ってるわけで、 あの幼稚園ならもうちょい緩く見ていいとは思うけどな。

フツーの子が何もせんでもできるようになることを多大な労力をかけて訓練する、 というのは、コスト的には無駄が多い。 もし、比較的秀でた能力を伸ばすことにコストを振って、 それが収入を得ることにつながるなら、その方が効率はいい。 しかし根っこに脳の基本性能の不利があるようだと、 「秀でた能力なんてない」ということにもなる。 もし可能なのであれば、脳の基本性能を上げることにつなげるような訓練をしたいものだが、 そんなもんねえよ、というのが常識的な意見だろう。 その願望につけこんだ商売は山ほどあるからな。

まずは意思疎通。肯定か否定か答える、選択する、といったことができんとしゃーない。 トイレトレーニングをするには二語文を話す程度の知性がいるらしいので、 そこらへんに最速で到達させるために諸々考えよう。

2018年12月28日

天外II、これ本当良くできてるな。 展開上異常にしんどい時期がちらほらあるのだが、 その後にちゃんとそこを補ってくる。 極楽強すぎだろ。

というか、敵の強さが尋常じゃないのだが、 全滅にペナルティがなく、死にゲーとしてバランスが取られている。 昔やった時はたぶんレベル上げをしすぎて、 そのへんの魅力がわからなくなっていた。 武器を道具として使って出る魔法の効果に こんなに頼っていたとは思えない。殴って倒せるようになるまで レベル上げてただろ過去の私。

武器の値段とかも良く練られている。 ちょっと強くなっただけの武器は買うかどうか迷う価格設定だし、 誰か専用の武具は少し割安な設定だ。 攻撃力なり防御力が1増えればダイレクトにダメージが 1増えたり減ったりするので、「4点増えるとこいつ2撃で倒せる」 みたいなことを具体的に考えて買うかどうかを決められる。 下手にダメージを乱数で散らしたり、 攻撃力がどうダメージに影響するのかわからなかったりすると そこが曖昧になり、結果、買い物の重みが減ずる。 なるほどなあ。ほとんどダメージが固定で、 ダメージのバラツキよりも回避率の方がよほど問題なのだが、 それには理由があるわけだ。

2018年12月27日

これは思うなあ。 「個性だからそのままでいいんだ」は無理だし、それで救えるとも思えない。 できないことが多い状態で不幸にならないのは、できることが少ない状態で不幸にならないことより ずっと難しい。

こういう資料は参考になるが、今何をするのが良さそうか、 というのはわからないんだよな。 こっちは時期が合うのですぐ使える。 「目が合う機会をとにかく作れ」というのはわかりやすい。 たぶん相当やってると思うが、意識して増やす。

この前読んだ本に書いてった、 「タブレットはやめとけ」「箸を使え」「ボールはいいぞ」は実験中。 ぶっちゃけ箸がそんなに効くとは思えないが、使えて悪いことはないのでやる。 これに関しては、むしろシノン。 ボールも厄介で、そんなに追わない。 動くものは追うだろと思っていたが、そこがすでにして難しい。 気長に行こう。投げ合いしてる大人の間でいったり来たりしてるだけでもいいし、 ボールを持ってすべり台に登るだけでもいい。 ボール遊びをする、ということを試すだけで結構いろんなことがわかった。

これ買った。たぶんすぐに使える何かではないが。

エビデンスなあ。 自分が医者で、多数の他人を治すなら、統計で見るだろう。 しかし、自分のことはどこまで行ってもN=1で、 家族を対象としてもたかだかN=5だ。 「有意差がある」という程度ではほとんど意味がない。 シノンは焼きそば多量に食うと下痢するが、 「多量の焼きそばで下痢を起こすかは、大規模無作為試験をしなければわからない」 と言ってもしゃーないだろう。 そんな試験せんだろうし、仮にやって有意差があってもなかっても、 シノンが焼きそばを食えば下痢をすることに変わりはない。

エビデンス、というものをどのように捉え、それをどう行動に影響させるか、 というのは、個人にとってはそう簡単な話ではないなあ。 まして、大規模無作為試験をやりようがないことがわかっている場合には、 「まあとりあえずやってみて観察する」としか言いようがない。 ボール遊びはいいんじゃないかな。

教育とかも大抵エビデンスないと思うんだが、 エビデンスがあろうがなかろうが、 何かしらの習い事をしたり、何かしらの方法で勉強したりして育っていく。 現在の学校教育にエビデンスがあるのか、と言われたらわからんし、 バイオリンの指導法にエビデンスがあるのか、と言われてもやはりわからない。 ないだろ絶対。鈴木メソッドとかも賛否あるらしいしな。 発達障害の「治療」と考えれば、エビデンスがあることだけをしたくなるが、 「こういう子にどうやったらより効率良く学習させられるか」 という教育手法の問題と考えれば、エビデンスがないからやらない、 というわけには行かない。そりゃないよりあった方がいいに決まってるので、 明らかなレベルでエビデンスがあるならやるが。

ボール遊びは試してみて課題がよくわかったな。そもそもボール追わねえ。 動くものは捕まえたくなるのが本能だろ、くらいに思ってたが、 そんな簡単なもんじゃない。 とりあえず、大人がボールを投げ合いしてる間で行ったり来たりしてるだけでも 今は良しだ。動きを追うことと、それに合わせて何らかの形で身体を 動かすことをしているわけで、それで満足しよう。 丁度1歳くらいの子がうちのボールに興味を示して、 追いかけてたりして、「あー普通なら1歳でもこのレベルに追うのかー」 と思ったが、まあこれもポジティブに考えよう。 何か原因があって、ボールを追わないのだ。 「オトモに世界がどう見えているのか」を知る材料にしたい。

物持って振る、回すのは何かヒントだと思うんだよな。 そうしたくなるロジックとしては何が考えられる? 会話関連が遅れてることについても、 例えば「顔認識がうまく行ってない」というような仮説はありうる。 顔を見ることが何かしら不愉快とか、顔の部位の識別が困難とか、 そういうことがあれば、人を認識することも、 人と目を合わせることに意義を感じることも、 しゃべっている口を見て模倣することも難しかろう。 ボールを追わないことについても、例えば動きの認識が困難で、 「そもそも動いていることを認識できてないので、追う以前」 という可能性もある。脳の壊れ方によっては、 視界から動きを抽出する部分が壊れて静止画の連続に感じられるような 事があると聞いたことがある。 仮にオトモにいささかでもそういうことが起こっていれば、 動くボールは、瞬間移動する不連続なボールに見え、 軌道を予測して追う、ということは困難になるかもしれない。 物を持って振りながらそれを見るのも、 何かそれを補うため、かもしれない。 仮説はいろいろ出てくるわけで、 「もしそうであればこの訓練が多面的に効くんじゃね?」 をいろいろ試してみればいいのだろう。 ボールは「動きの認識が怪しいのでは仮説」 を検証する上で丁度いいし、それが鍛えられるものなのであれば、 動くものを追う訓練をできるだけさせることには意味がある。

「箸がいい」みたいなことが書いてあるあの本はトンデモなのでは、 というご意見も頂いて、まあそうかもなと思ったりはしている。 箸はそんなに効かないだろ。箸使わない欧米人はどうすんだよ。 自分を「パイオニア」なんて呼べる人は普通じゃないしな。 本の中に「ボールがいい」の根拠になる論文が示されてないあたりも、 科学の手続きという面ではダメだろう。 しかし、別にいいんじゃないかなという気はしている。 手続きが正しくても、実際にうちでわかるレベルに差が出なければ意味がない。 手続きがダメでも当たりを引く可能性はあるからな。 論文の参照を示さない、というのも、一般向けの本では それほどアウトだと思わんし。誰も見ないからなそんなもの。 一般向けの本に科学的正しさなんて期待してないわけで、 やってみてすぐわかるレベルに当たりでなければ、やめればいいだけのことだ。 ボールや箸ならお金もかからない。考えを広げるきっかけになれば、 ぶっちゃけ何もかもが間違っていたとしても役に立つ。

「なんだかわからんけどとりあえず脳機能障害だろ?」 という粗い考え方はいいと思うんだよな。 できるだけ多面的に効くことを鍛えることが良いのでは、 というのは理屈は嫌いじゃない。

動きの認識と、顔認識は怪しいと思うんだよな。 流れてきた台詞を丸暗記して真似してたりするあたり、 耳から入ってきた音声が自分の声帯で模すことができる何かだということは わかっているし、実際にそれができている。 そして、その単語に意味があることもわかっている。でなければ イチゴが食べたい時に「イチゴ」とは言えんだろ。 そして、イチゴの絵もリアルイチゴも「イチゴ」である、 という「言葉の意味を把握する」こともできている。 欠けてるのは、「言葉を発しているのは人間」という認識だろう。 顔認識を鍛えたら、そのへん一緒に改善せんかな。 もっとも、顔認識、なんていう他の哺乳類にあるのかないのかわからない機能が そこだけ壊れるとは考えにくいので、 顔認識に必要なより汎用的な何かがあって、それがイマイチなのではないかという気がする。 運動の認識と顔認識に共通する、より基本的な機能、 みたいなのが弱いんじゃなかろうか。 輪郭抽出とか、そういうレベルで問題あったりするのかなあ。

顔認識怪しいとすると、顔見えてない状態でしゃべってもダメだな。 下手すると「誰がしゃべってる」みたいな概念すらない可能性がある。 あーそうだと「褒められてる」ことが伝わってない可能性もあるなあ。 とにかく正面に回って同じ高さから話しかけよう。少しでも目が合う場面を増やす。 特に褒める時はそれを徹底して、身体も動き、表情、言葉を全部セットにしよう。 同時にそれらの刺激が来れば、運が良ければつながるかもしれん。 いっそ、その後に何かごほうびの食べ物を食わせる、 とかしてもいいのかもしれんな。イルカやアザラシに芸をさせるみたいだが、 それくらいやらないと「褒められてる」という認識に つながらんかもしれんしなあ。

2018年12月25日

クレカ落としたので、今後のために「家から出す必要がないカードと、持ち歩くカード」を分けることにした。 amazonのが良かろうと思ったのだが、即時審査落ちた。 考えたら免許証の番号入れたけど、免許の住所変更やってない。 そこで照合してたら機械的に落とされそうだ。

というわけで手続きしてきた。 もし転職後日が浅いとか、今の住所で日が浅い、とかが原因だとどうにもならんなあ。

ゴールドカードとやらの利点がよくわからないので調べたが、やはりよくわからない。 それを持っていることで、信用を得るための手続きが減って楽になるなら、 それも悪くないとは思うが、よくわからない。 単純にお金の面でお得かどうかはこの際どうでもいい気はする。 微々たる差だ。

カードの審査通った。1週間か。その間に引き落としあった奴は請求書来るなあ。

療育施設に行ってきた。オトモがどんな感じなのか見てもらいつつ、 食べ物や遊び、生活リズム等がどうなのか伝えた。 姉ちゃんズも一緒だったのが良かったのか、 オトモは始終楽しく遊んでいたし、施設の人も丁寧に対応してくれたと思うのだが、 問題はひつじこ。帰ってくるなり具合が悪くなって、今もトイレで吐いている。

症状としては嘔吐。何も食べてないのに液体を吐くのは何なんだろうな。 漢方用語には水逆というのがあって、血中の水が消化管にあふれて嘔吐することを 言うっぽいのだが、それに当たるのかもわからん。

ひつじこは精神的にダメージを受けると胃が止まって吐く性質がある。 心因性嘔吐なんだろうが、さてどうしたものかなこれ。

嘔吐中枢を抑えたところでどうにもならんだろう。原因はその手前だ。 何が嫌なのか、何が不安なのか、みたいなことを他人事のように分析して 言語化することと、 そういう状況になりそうな時に心理的に回避行動を取ることと、 両面必要な気がする。 これ、通うようになって毎回こうなってたら身体が持たんだろう。 もしそうなるなら代わりに私が行くことになるが、 育児休暇取るような状態になるなあ。 母子分離が原則だしバスも出るので、慣れれば一人で行かせるようになるのだが、 どれくらいで慣れるのかが全くわからない。 1月末から通うことになる予定なので、 それまでに諸々改善を試みたいところだ。

とりあえず気休めに、四逆散の加減を煮て飲ませた。 感情が暴走して胃が止まる、というような状況を漢方で 肝気鬱結といい、それには柴胡が効くことになっている。 ストレスをやわらげるらしく、怒気が軽減する印象がある。 加えて、枳実という柑橘類と芍薬、甘草で、胃の痙攣を抑える。 それが四逆散だ。これに吐き気を収める生姜と半夏、 胸のつかえを取る人参を加えて煮た。 今は寝ている。効いたかどうかは知らない。

単純に疲れてる、というのも当然あるだろうから、 休ませないといけないんだが、困ったことに冬休みだ。 子供がいる時間が長いので負担が大きい。

タブレット依存度を減らすためにFireTV Stickを買った。 PCモニタの大きな画面なので視力の心配が減ずるし、 自分で操作できないので放置になりにくく、 同じ場面ばかり繰り返すことはできない。 また、PCが空くのでひつじこがPCを使えなくなる問題も軽減できる。 のだが、ひつじこが操作に慣れてないので、 今日みたいに体調不良になると操作する余裕がなく 結局PCでyoutubeという状態。 それでもタブレットで無限ループされるよりはマシなのだが。

タブレットをなくすことが効くか、ということについては、 「単純に親がその分相手するから良い」だけじゃないの?感があるのが現状。 効くとしても週の単位じゃなくて月の単位だろうし、 効くという保証もないので、あまりしんどければタブレット復活することも やむをえないと思う。労力的に耐えられなければどうにもならない。

2018年12月23日

オトモ、進歩してる気はする。 絵本の顔を指差して、「くち」「はな」とか言ってて、 最初はどこをそう呼んでいるのかわからなかったのだが、 私が鼻を指して「はな」、口を指して「くち」と言ったら、 同じようにした。さらに、目を指して「め」と言うのを2回くらいやったら、 オトモもやった。そして、 こっちが何も言ってないのに「まゆげ」も言った。 「身体の部位の名前を理解しているか」 はチェックポイントの一つだったと思う。 もっとも1歳ちょいくらいのチェックポイントだった気がするが。

ボール遊び。 ボールを避けてはいるので、動くものが見えてないってことはないんだろうが、 あまり追いかけない。 動くものを見る力と、それを追うなり取るなりする力は いろんな能力につながるらしいので、どうにか試みてみよう。 私も苦手だがな。 というわけで、バランスボールの赤いのを買った。 青い25cmのはあって、 よく転がるし、当たっても痛くないし、座ったりできていいのだが、 色が地味なので派手な奴も試そう。 タブレットで派手な視覚刺激に慣れてると、 地味なものに反応しにくい、なんてこともあるかもしれない。

2018年12月20日

タブレットが発達障害に有益だとする人もいる。 医師のお子さんが改善したという話もある。 場合によるということだろう。 元々素因がなければどうということはないのだろうが、 素因がある場合にスマホなりタブレットなりが吉と出るか凶と出るかは 読めないところがある。

特定能力を鍛える上ではコンピュータの利用は効果的だ。 なにせサイクルが速い。絵と音で報酬をつけられるので続けやすいしわかりやすい。 知育ソフトでガンガン訓練すれば、少なくともその内容に関しては 上達するだろう。ただ、それが汎化して他の能力が育つきっかけになるかどうかは、 たぶん場合による。例の本の著者は、それが仇になる危険が大きいので 幼児期までは安全側に振っておけ、という立場だ。

幼児期であってもコンピュータが総合的な発達に有益か? というのは簡単に答えが出る問題ではないだろう。 もし本当に有害なら、もう数年のうちに統計にはっきり現れてくるだろうが、 それを待っているわけにも行かない。 有益であれば、それを止めることはマイナスになる。 でもまあ、もうしばらく止めて様子を見るか。 「タブレットがなければもっとひどいことになっていた」 という可能性はなくもないが、考えにくい。

2018年12月19日

刺激(絵、会話、顔、音楽その他脳に入力されるもの全て)に対して、 どれくらいの速度でシナプスの結合を適応させるか、 その刺激が来なかった時にどれくらいの速度でその結合が失われるか、 といったことには個体差があって、 特定の刺激が繰り返された時に過剰に適応しすぎて、 他のより弱い刺激に対する適応ができなくなる、というようなことなんだろうか。 味濃い物ばっかり食ってたら薄味がわからなくなる、みたいな。 実写でなく強調単純化された絵で構成された特定の動画を、 タブレットの操作性を活かして短時間に繰り返す、 というようなことをやった時に、シナプスがその刺激に適応しすぎて、 より弱く複雑な、現実の速度が遅い信号に対して鈍感になる、 というようなことが、オトモに実際起こったのだろう。

であるならば、例の本に書いてあったように、 テレビよりも録画が、ただの録画再生よりもタブレット操作での反復再生がヤバい。 ゲームも同様に短周期かつ単純化された映像ゆえにヤバい。 また、実写よりもアニメがヤバいし、同様の理由で単純化された幼児番組もヤバい、 ということになる。わかりやすい、ということは、 刺激がそれだけ人工的で単純化されているということだ。 十分に実世界の信号に慣れた脳ならばそれも良かろうが、 幼児期にそれをやるのはたぶんマズいのだろう。 その意味では、絵本やレゴであっても同様の懸念はあるわけだが、 部屋が綺麗すぎることは良くない、という言説を見たことがあるが、 同じ話かもしれない。自然界の複雑さに比べて家の中が単純すぎると、 そこに適応しすぎてしまうのだろう。

AIであれば、「過学習」の矯正は、 わざと汚しを入れたデータで学習したりして特定刺激に特化しすぎないようにする。 それは、味が濃いのに慣れた人を直す時に、 味が薄いもの、味が複雑なものばかりの世界に慣れさせるのと似たようなことなのだろう。 そんな簡単な話なのかどうかはわからないが、ありそうには思える。

仮にそれで自閉的なことが改善したとしても、 そもそも学習する能力に問題があるのであれば、それはまた別の話になるなあ。

2018年12月18日

幼稚園関係でまたバイオリンを頼まれて、何なのかよくわからないまま弾きに行った。 公会堂に、0-2歳くらいの子供を持った女性が10組くらい来てる前で、 演奏と人形劇。5曲あって、うち2曲は先週金曜に決まった。 以前弾いたことがあるとはいえ、 状況に合わせて曲を削ったりパートを変えたりするので、 なかなかのスリルだ。 楽譜と指揮と他の人から目を離せなかったので、 客の反応は見てない。ウケたのかどうかはよくわからない。

バイオリン、うまくなりたいがなあ。 緊張して多少下手になっても十分上手い、 みたいな状態にしたい。

タブレットを排除したのが関係あるのかないのかわからないが、 オトモがここ数日進歩しているような気がする。 「服着て買い物行こう」と言ったら、こっちに来て大人しく 服を着せられ、玄関に歩いて行った。 上着は外に出て寒いことがわからない限り着なかったはずだが、 家の中で着せても拒否しなかった。 しばらくタブレットはナシだなあこれは。

WiiUのコントローラのアナログスティックが壊れて、 何もしなくても右に入ってしまう状態になった。 どうもオトモが投げつけたという情報もあり、 子供がいればいろんなものが壊れるのは仕方ない。 ゼルダで鉄板を磁石で動かして橋をかける所が絶望的に無理だった。 なので修理に出そうと思ったわけだが、 オトモがこの状況だ。ゲーム機もタブレット同様に有害、 ということになると、オトモが起きている間に ゲームをすることはできない。 WiiUはGamepadの液晶だけで遊ぶのは かなり苦しいものがある。無線の到達範囲が短いし、解像度が足りない。 修理もタダではない。 なので、修理は取りやめて、一旦本体ごと箱にしまうことにした。

結局一人になる時間以外にはゲームは無理だなあ。 全員寝静まってからやる、とかは可能だが、 睡眠時間削ると死ぬからなあ。 「ゲームは仕事だー」ということで、 会社で業務としてゲームをやる方向で行きたいところだが、 それはそれで勇気がいる。でも、その方向が一番有望な気はする。

アニメ漫画ゲーム小説に触れる時間と環境がどうにも取れない状況が 続いていて、これからも続くわけだが、 「誰かが作ったものを観賞して自分が作るものに役立てる」 と広く考えれば、 草木を見ても、ボール投げをしても、ゲームに活かせる、 というような状態にする方が良いのだろう。

2018年12月15日

幼稚園ママ経由で、よくわからないがバイオリンを弾くことを頼まれた。 年配の方々で運営する乳幼児向けクリスマス会、みたいな何か。 一人ならある意味簡単なのだが、4人。 しかもドラム、クラリネット、ピアノ(ただし本番はキーボード)。 未だかつてない組み合わせ。 しかも当日までメンバーが揃わない。 そんな状態で今日が当日だったのだが、うん、難しいなこれは。

まずクラリネットの人はドレミが違う。私にとってのドは、 彼女にとってはレだ。そんななので、フツーに転がっている 楽譜を共有してやる場合、クラリネットの人が音をずらすか、 他の人がずらすかという話になる。 ピアノがズラすのはかなり技倆が必要になるので クラリネット楽譜にドレミをカタカナで書き込んで どうにかする突貫作戦。 さすがにしんどかったっぽい。

あと、私が間違って倍速で弾いたの本当申しわけなかった。 ドラムに合わせて入る、しかも4拍で、 みたいなのちょっと難しい。 いくら曲が簡単なクリスマスソングとはいえ、なかなか簡単には行かない。 ただでも合奏は苦手だからなあ。

昔から合奏は苦手で、バイオリンの合宿の時にも苦労した。 長野で合宿してたの、あれなんだったんだろ。 いろんな教室の生徒がホテルに泊まって 何日かバイオリン漬けになる。 日本弦楽指導者協会の合宿だったと思うが、 今にして思えば、そんなものに出るのは気合の入った奴等ばかりだろう。 なんでそんなものに出たんだろうか。 イマイチ記憶がなくて、「やべえみんな上手すぎる」 みたいな危機感を持った覚えはない。 たぶん、そこそこ弾けてたんだろう。

というか、よくわからないのだが、私はどれくらい弾けてたんだろうか。 バイオリンが上手い奴なんていくらでもいる。 少なくとも音大のバイオリン科に入った人、経た人は全員私よりはるかに上手い。 世の中に、バイオリンを習った人は何人いて、 音大に行くような人はそのうちのどれくらいなんだろうか。

たまたまレトロゲームの動画を見ていて出てきた 天外魔境IIが気になった。名作名作言われているが、 私はそれほどの記憶がない。 出た時にやっているはずだが、フツーのロープレとしか思っていなかった。 しかし、ゲームデザイナーの本にもいろいろ工夫したことが書かれていて、 ここ2年ほどゲームのアプリ側プログラマを やっていたこともあって気になる。というわけでVITA版で 買ってやってみた。

これ、他にはない味だな。快適性のためなら演出を平気で捨てる。 とにかく快適。 敵のHPは何の説明もなく常に出ており、「いつ倒せんだよこれ」感がない。 勝てない時は勝てないとわかる。 レベルが上がると凄まじい速度で敵がザコになる。 歩いていればそこそこHP/MPが回復するので、 宿屋に泊まるために戻る、という作業がそれほど必要ない。 さらに、全滅しても戻るだけなので、 とりあえずつっこんで全滅、で全く問題ない。 ボスのセリフが飛ばせないのでウザいにはウザイが、 成長が早いので2度も負けるのは油断しすぎた時くらいなものだ。 ボスに再挑戦する時にはセリフが変わるので、 1回はボスに殺されておく方がお得、とすら言える。 また、正解がはっきりしている。 殴って倒せず魔法で倒すべき敵はすぐわかる。 あからさまに殴っても効かないからだ。 しかしそれでいて、しばらく進んでレベルが上がると、 そういう敵でも楽に殴り殺せるようになっている。

ストーリー面は本当面白い。 敵がかなり本気で人類を殺しに来ている。 序盤から魔物に人が食われていて、親兄弟の仇を打ってくれ 系の台詞が多い。 2つめのボスに至っては植物に人が食われていくひどい話で、 木に取り込まれて動けなくなり虫の息な親子にわざわざボイスと絵が 用意されている。しかも、動く木に食われるのではなく、 小さな緑色のシミが身体にでき、それがじわじわと大きくなるという 寄生系なのが胸糞悪い。 「痛みが走る度に人間の記憶が消えていく」とか、どんだけ。 これ系のメッセージは多数あって、 「斧で木を切ったら鮮血が噴き出して、 見たら知り合いのきこりの顔がついていた。もう木こりはやめる」 みたいなエグいのがサラっと出てくる。 これ、子供にやらせる気なかったんだな最初から。 ゲームというンルが当時子供向けのものだったことと、 表現力的に絵柄その他が子供向けっぽいことで、 子供向けだったような気がしていただけだ。

2018年12月13日

読み終えた。「生まれつきだから改善できない」は、 「親が自分を責めない」という点では良い説だが、 改善できるならそれに越したことはないのだから、 やれることはやってみればいい。

まずタブレット抹殺。一度完全追放してみるが、 録画が全く見られなくなるとオタマ、シノンに不満が溜まりすぎるので、 何かしら別の手段が必要だろう。 シノンに箸。オトモ用も用意するか。家の中でも外でもボール遊び強化。

2018年12月12日

「発達障害の改善と予防」を買った。 当たりの臭いがする。語り口が自信満々すぎて危険な臭いはするのだが、 内容に今のところウソくささがない。 「科学的」を連呼しているが、それが確かに科学的に見える。

とりあえずシノンに普通の箸買おう。もう補助箸を使う年齢じゃない。 あとボール遊びかー。そうだよなー。

発達障害は脳の障害であり、低下している部分を改善すれば良い。 幼児の脳は未分化なので、いろいろな領域で使える場所を改善すれば 全体的な改善が見られる。という話。まずはボール遊びして箸を使えと。

自閉症やADHDの中には後天的なものが多数あり、 著者は「近年激増している」と断言している。 幼児期の誤った英才教育と、それと同じ効果を持つデジタル機器の使用が その原因だ、と。タブレットがアカンということか。

シノンやオタマの時代にはPCしかなく、操作は親にしかできなかったし、 nasne/torneがなかったので録画したものを一部繰り返す、ということもできなかった。 繰り返し特定の刺激を浴びることが可能になったことで、 AIで言う過学習のようなことが起こりやすくなる、というのは理屈としてよくわかる。 オトモの時代になってそれが可能になったことが、 何かしら元々の遺伝的な素因と相互作用したのかもしれない。 私も、母も、弟も、ADHDの臭いがプンプンするわけで、 素質はたっぷりありそうだ。ひつじこの周りに流されずに正義を行ってしまう あたりも、そういう素因なのかもしれない。 それが悪化すれば病気だが、悪化しなければ個性となる。 私はギリギリだがな。

とりあえずリスク要因であるというならば排除するまでだ。 それで改善するかは知らんが、悪くなることはない。 実際、ひつじこがいない3日間、タブレットをあまり与えないようにしていた。 言葉が増えている印象がある。気のせいかもしれんが。

なお、「発達障害は生まれつきのもので一生治りません」 が現在の常識なので、この著者が 「常識の絶望感につけこんだ商売をしている」 と考えることはまっとうだろう。癌治療と同じだ。 しかし、糖質制限や湿潤治療のように、 提唱者のノリは若干警戒したくなる感じだが、 どうも当たりっぽい、というケースはある。 当たりでない可能性に配慮しつつ、試して害がない範囲で試してみればいいだろう。 特に今回のオトモに関しては、結局常識的なことしかやらないはずだ。 特殊な教材は不要かつ有害で、日常性の中に訓練がある、と著者も言っている。 電子機器による強調された刺激を避け、まずは身体を動かす。人と触れる。 そういうことだろう。

なお、糖質制限が原因の一つになった、という可能性も当然なくはない。 しかし、澱粉食うと顕著に皮膚が悪化するので許容し難いし、 その危険にも配慮して、糖質制限はかなり緩めにしている。 加えて糖質制限の流行のおかげで人体実験例がかなり増えていて、 そういう欠点がある可能性は日に日に減ってきている。

特殊学級に行くと改善の見込みが著しく減じる、と書いている。 人間関係が特殊なものになってしまって入力刺激が歪むから、 というのは理屈はわかる。 ただ、あまりにも通常学級がストレスになると二次障害が起こってしまう。 だからこそ、通常学級に行ける状態にすることをまず目指す、 という方針になるわけだ。療育も同じなんだろうが、 年齢が年齢だからな。

アニメや幼児向け番組は無意味、バラエティ番組を見せろ。 すごいなそれ。「実写で、表情の変化と言葉が多い」 って言われると妙な説得力がある。 絵にして単純化すると刺激が人為的になりすぎるということか。 東京ハイジはダメかー。

物を視界の中心で見てないなら自閉症を疑う。それあるかなあ。 人と目が合わない、笑いかけても笑い返さない、 みたいなのと通じるものがあるらしい。最近は結構マシな気がする。

言葉で重要なのは、その言葉の適用範囲の広さ。 イチゴが、絵に描いたものでも、模型でも、リアルでもイチゴ として認識されることが重要。 絵を見せて名前を言わせるような訓練は有害。絵にしか適用できなくなる 可能性があると。

とりあえず難聴のチェックはしときたいなあ。まずそこで安心したいし、 可能性を削りたい。

とにかく「実写人間による言語」に豊富に囲まれていることが大事と。 とにかく話しかけ、何か言ったらおうむ返しでいいから反応しろと。 疲れたらバラエティ番組を一日2時間まで使え。 要するに人が複数人出てしゃべって表情とか変わってる動画がいいってことか。

頻繁に首を振る、はないなあ。

4歳過ぎて箸使えないのはマズいと。 2歳くらいで最初からマジな箸を使わせる方が発達には良い。 具体的すぎて本当か?と思うが、 仮にそれがウソだったとしても、面倒なだけで害はない。 ストレスにならないようにうまくやれるのであれば、 最初からマジな箸でもかまわないといえばかまわないだろう。

「いただきます」と言うしつけは、それを言う間わずかであっても 待つ訓練になるので良い。食べる時間が一定であることも同様の理由で良い。 つまり日々少しづつ「待つ」訓練を入れろ、ということか。

山なりキャッチボール。そもそも興味を示さないのは発達障害が濃厚。 目でボールを追えていないのも濃厚。両手がズレてキャッチできないのも濃厚。 シノンも不安になってきたぞ。

顔が描けるか。「木と家」を描けるか。 位置関係がおかしいとか、木と家がバラバラにあるとか、 屋根とかの特定のパーツだけデカかったりする場合はADHDを疑う。 空間把握能力がおかしい可能性があり、箸で改善すると。マジかよ。 おもしろいのは、顔を描けと言って耳を描く子は興味が顔にない可能性があり、 自閉を疑う、という話。

2章まで読んだ。とりあえずシノンに箸買おう。すごいかわいいのを一緒に買いに行こう。 あとボールだなボール。屋内でもとにかくボール。 で、タブレットはダメだなあこうなると。 せっかくiPad壊れたんだし、もう一台も一旦破棄するか?

知育玩具は無意味、というのは面白いな。 まあほとんど遊んでないからいいといえばいいんだが。

ピアノいいらしい。テレビゲームも6歳過ぎたら有益なケースがあるようだ。 しかし、この手のことは、因果関係が逆かもしれないということがある。 ピアノを習わせるような類の家庭だと他の何かもあいまって 状況が良くなる、みたいなことはありうる。 しかしここまでの議論のノリからして、そういうところで テキトーになるタイプの人ではないような気はする。 和食がいいとか、海藻と魚食えとか言われると、 ついいろいろ反論がありそうだなと思ってしまうわけだが。

療育施設は有害って言い切ってんなあこの人。 うちは基本幼稚園と併用する気でいるが、さてそれは可能なのか。

2018年12月11日

オトモが下痢。炭水化物祭の後遺症か。 カレーも可能性がある。バーモントカレーの辛口を半分混ぜたので いつもより若干辛かったかもしれないし、 キャベツを粉砕して入れたので、 繊維質が多くて腸に負担がかかったのかもしれない。

三日間、基本オトモを急かすことはしなかった。 自転車に乗せるのに抱っこして乗せてしまうことはせず、 登る気になるまで分単位で待った。 スーパーに買い物に行った時も、多少どっか行ってしまうのは許容したが、 そんなに離れなかった印象がある。 たぶん次オーケーに連れてったとしたら、カートに乗せないで 歩かせるだろうなあ。

胃は炭水化物を消化する酵素を出さない。 アミラーゼが入ってるのは唾液と膵液で、唾液はなにせ時間が短くて 対した働きをできないし、膵液がある小腸までの間、 つまり胃に滞留しているうちは消化されない。 炭水化物が胃に優しいわけはない、というのはそういう理屈だ。 「胃に優しい」の定義次第ではあるのだが。 単に食べやすい、ということであればそれはそうだろう。

2018年12月10日

二日目日曜日の夜。オトモは3回くらい起きた。 時計が見えないので時間はわからない。 オタマはいいが、オトモシノンはなんだかんだいって 大人がくっついてないと寝ない。寒いだけかもしれんが。 実際暖房をつけてもなお寒い。 なのにシノンもオトモもとにかく布団から出るのが謎。 くっついて寝ても、次第に布団を脱出してしまう。

三日目は平日。こんなにやること多いのはイカンな。 料理を全面的に捨てられたら楽なんだが、 それはそれでリスキーだしな。単純にそれをやると炭水化物多すぎて 蛋白が足りん。

幼稚園はイベント日で、こどもらの考え素敵世界で大人も一緒に 遊ぶというもの。オトモもなんとなく参加はできて、 一応最後までいられた。

その後つくし公園。砂場に他の子のおもちゃが置いてあると、 「かして」とか言わずに使ってしまう。まだ「自分のじゃない」 みたいなことの理解は無理だなあ。「自分の」すらないと思うが。

シノンのお迎えまでの間に逗子のオーケーに買い出しに行こうと思ったが、 ちょっと仕事が湧いたので緊急対応。 外には出たがお迎えまでの時間が足りなそうだったので、 市役所の前の道からトンネルをくぐって佐助を通って帰ってくる散歩になった。 トンネルの入口で1、2分入ることをためらったが、 じわじわと進めるようになった。道中地面のタイルに四角を見つけたり、 花を見つけたり、金網の触感を確かめたりしながらだった。 買い出しは夜だな。それが可能な時間にひつじこが 帰ってくればだが。

でお迎え、その後オタマが帰ってくるので家に戻ったわけだが、 昼寝するタイミングがない。 東京ハイジ見ながら寝てくれることを期待したいが無理か。

仮に脳に何か問題があるのだとして、 センサーからの入力が切れてるのか、学習の勾配が足りないのか、 過学習に陥りすぎるのか、あるいはどこかのモジュールだけおかしくて、 例えば短期記憶が小さいとかそういうのがあるのか。

2018年12月09日

ひつじこ母親休業一日目。オトモは拍子抜けするくらいあっさり寝た。 22時までには寝ていたはず。 23時半ごろ、夜中一回起きて胸のあたりをまさぐって泣いたが、 敷布団の下にもぐって寝た。

1時半ごろまた起きたが、また敷布団にもぐってる。 敷布団の重さで何かを補っているのだろうか。 実は私も敷布団の下に入るのが好きな子供だったし、 今でも好きなのだが、同じだったのかもしれんなあ。

昼間は、まず江ノ島水族館。10時から12時半くらいまでいた。 帰りはヘロヘロで、3人とも江の電で寝る始末。 しかし家に帰ったらすぐ回復して、14時半ごろに 上二人が待ち望んでいたサイゼリア。 オタマはミックスグリルを、シノンはシーフードグラタンを食べた。 オトモが何を食うかわからんので、 カルボナーラとミラノ風ドリアを頼んだが、 カルボナーラしか食べない。 あとモツァレラトマトのトマトだけ食べた。 デザートは、ミルクジェラート、プリン、ティラミスを 3人で食べた。 炭水化物だけに夕方すぐ腹を空かせてしまったので、 冷凍唐揚げと冷凍餃子。

からくりサーカスのアニメが端折りまくって単体で意味不明なのだが、 これ、漫画のファンにソフトを売るビジネスだからだよな。 広告収入モデルだったり、 スポンサーから金を集めるモデルだったりすれば、こうはならないだろう。 版権つきのゲームの売り方も近いものになるんだろうが、 FGOみたいに原作ファンだけ相手にしてたらあんなに広がらんだろ、 と思えるものもあるわけで、奥が深い問題なんだろう。

二日目、日曜日。朝はダラダラ気味。昨日の疲れがあるのか。 1030ごろ辻堂に到着。キドキドは最初の30分が前払いで2100円。 その後1時間追加したがいくらだったかな。想像より安かった気がするので、 何か割引でもあったかもしれない。 後ろの30分は3人とも動きが鈍かったので、 お金をケチるなら1時間で切ってもいいかもしれないが、 動かずに遊べるおもちゃ類もあるから、様子を見つつだな。

キドキドはとても良いと思う。オタマとシノンは完全に放っておけるから凄まじく楽。 オトモは最初限られた場所からあまり動かなくて心配したが、 しばらくしたらじわじわと活動範囲を広げていった。 周りがやってることを見てるんだろう。 療育の一環として行く、というスタンスでもいいのかもしれない。 幼稚園や学校の間にひつじこがオトモと二人で行けば、 お金は安くなるし、楽もできる。

その後フードコート。思ったより長く遊んで丁度12時を過ぎたくらいだったので 激混みで、並ぶのも大変だった。 そして、ラーメンはオトモに食わせるのが面倒くさい。 麺はどうしても汚す。 しかも子供の世話でああだこうだやっている間に伸びる。 汁麺はダメだ。まだ早い。高いし、そんなにおいしくないし。 というか外食自体がまだ早いのはわかっていたのだが、 上二人にとって特別感がないとキツいので今回はやむをえない。 あそこで食わせるとしたら何かなあ。 スプーンで食べられて楽なので米がいいが、 昨日のサイゼリアでオトモがドリアを食わなかったので、 選択を間違えると面倒くさそう。 シノンが食べてたグラタンを少しもらって試しておけばよかったな。 結局サイゼリア最強なんじゃないのか感ある。 あそこなら肉もあるし。

あそこフツーのカレーがなかったよな。米のカレーライス。 チャーハンとしらす丼は食べてくれるなら楽そうな気はする。 でも栄養ないなあ...本当外食だと蛋白質が欠乏する。

オトモの昼寝は1.5時間。少し長め。水族館と違ってただ 歩いてるだけじゃないから消耗が激しいのだろう。 ボールプールを移動するのとか、かなり体力使う。 起きた後も、私にペッタリでまるで動かない。 16時過ぎてやっと活動を始めたが、 さてどうするかな。 もう一回外に出るべきか、このままダラダラと夜を迎えるか。

長女に「このまま散らかして、明日かーちゃんが帰ってくる前に慌てて片づけるのと、 今日そこそこ片づけるのとどっちがいい?」 と聞いたら、「今日片づける!」と即答。 だが、私は「やらない」に一票。 遊ぶのに支障がない程度には片づけるが、そこまでで良かろ。 上二人は完全にお絵描きモードでスペースを要さない。 疲れてる上に炭水化物だ。動けんのだろう。

オトモが寝てる間、何故かレトロゲーム動画を流していた。 そして思う。私、ドラクエ1を今の開発環境で作ったらどれくらいで作れるんだ? バランス、絵、音の詰めなしでおおよその仕組みと流れを実装するまでとしても、 1週間でできるとは思えない。2週間でもたぶん無理で、 1ヶ月ならできそうな気がするが、 油断すればツールの整備で過ぎてしまうし、 ツール整備を完全に捨てて全てハードコーディングと割り切れば、 今度はバグらない自信がなく、ちょっとした思い違いで 無駄になる時間が大きすぎてそれはそれで危険なことになる。 あの時代ってプログラマ一人で3ヶ月、みたいな世界だろう? それもアセンブラで。当時ゲームを作ってたプログラマってのは神なんじゃないのか? という思いが未だに消えない。 一回自分でやれば「なんだできんじゃん」となるのかもしれんし、 きっとそうなんだろうと思いはするが、 今はまだわからん。

もっと後の時代のものであってもそういう印象はあって、 例えばブシドーブレードを私は作れるのか? 時代が進んだことによって楽になった部分がどれだけあったとしても、 さらには手本が遊べる形でそこにあってパクり放題だとしても、 私はあれを作れるのか?

今回の仕事で初めてゲームプログラマような気がしているが、 自分でも嫌になるくらい手こずった。 ゲームロジックの実装も、仕様に書かれた演出フローを 実現するのも、全く馬鹿にできたものではない。 シェーダ書いたりツール整備したりハード叩いたりすることの 方が高度だ、などということは断じてない。

2018年12月07日

明日からひつじこが旅行でいない。10日夜までどう過ごすか。

とりあえず、トイレ。外出前にはトイレに行かせる。 外出先でもトイレが確保できる時を逃がさず行かせる。 オトモはおむつ確認。寝る前、起きた後は必須。夜中にも 確認できるならした方がいい。布団が濡れると仕事が増えすぎる。 外出時はおむつ、おしりふき、ビニール袋が必須。 外出時は水筒とチーズ煎餅が必要。

オタマとシノンは三日間でしたいことをメモっている。 明日は江ノ島水族館っぽい。それほど長居はできないはずなので、 ほどほどで帰ってきて、可能ならオトモを昼寝させる。 状況次第だがサイゼリヤに行くのも明日だろう。

三日間、普段はやらない外食を許すことになるわけだが、 炭水化物予算には気を配る必要がある。 食べすぎて皮膚があまりに悪化したり、下痢をするようだと 次の日に支障を来すので、あまり羽目を外さないようにせねばならない。 特にシノンは芋や焼きそばで容易に下痢をする。 サイゼリヤであれば、グリル系をできるだけ勧めつつ、 炭水化物なら比較的GIが低いスパゲティ、 油脂比率が高いグラタンあたりで手を打ってもらう。 菓子はアイスクリーム、ティラミス、シュークリームなら ダメージが小さい。 アイスクリームは自作が良いが、作業時間が取れるかが謎。 難しければ「みんなでアイス買いに行こう」と行って、 電車で逗子のオーケーまで行くのもアリ。 肉の石川や鳥一で肉系の惣菜を買ってきて家で食べる、 という選択肢も比較的行ける。由比ガ浜のミモザの惣菜なんかも 値段を気にしなければアリだろう。 もちろん普通に家で作ってもいいのだが、 料理している間にオトモが何をしでかすかわからんので 子守りと料理を同時にやることに慣れていない私にとってはリスクが高い。 「とーちゃんだけなのも面白い」 と思ってもらねばならないので、多少いろんなことに目をつむってでも 満足度を上げる必要があり、いつも通りの料理では力に欠ける。

最大に心配なのは「寝かせられるか」だ。 オタマが小さい時でひつじこが病気等で寝かしつけができなかった時は、 だっこしてひたすら散歩とか、 自転車に乗せて夜中ドライブとか、そういう状況になっていた。 オトモもそれで寝るならそれでもいいのだが、 その間オタマとシノンを家に残していくことになる。 極力家でどうにかしたい。状況次第では夜更かしもやむをえない、 ということになるだろうが、せっかく21時台に寝かせる 体制が整いつつあるけで、可能なら避けたい。 しかし、仮に三日間それが崩れても、 やり方はわかっているので許容できなくはない。 そのへんは気合でどうにかするしかないだろう。 人間は寝ないでいられるようにはできていない。いつか寝る。 私が寝る時間が取れない可能性はあるが、 補中益気湯でも用意してどうにかしよう。

日曜は辻堂のキドキドに行くことを考えている。 オタマ一人の時に試しておけば良かったのだが、 ついに9年間試さずに来てしまった。 3人もいるので高くつくが今回試すとしよう。 食事はフードコートだろうか。あそこの席の感じなら オトモが多少暴れても対処しやすい。

よし寝よう。三日間、身体に悪いことはできん。 少しでも体力を温存せねばならぬ。 プロテイン飲んでから寝るか。

洗濯物干し忘れてた。室内で干して乾きそうなものは干した。 細かいものが残ったのはトランポリンの上に置いておいて明日干す。

洗濯は夜回してしまって干せるものは干し、余ったものは翌日外に干す。 この季節ならそんなに臭くならんだろ。 朝洗濯を回すと終わるまで外出ができなくなる。 加湿の意味でも干しておくのは良い。 ドラム式なのだから乾燥させてしまってもいいのだが、 終わった後すぐ開けないと、湿気が残ることがあるし、 たまに乾燥し切れないことがあり、 終わった頃に確認ができない状況では使いにくい。 雨で外に干せない時は使うが、 晴れるとわかっている場合や、部屋干しで対処できる量 であれば、今は自力で干す方が良い。

ザバスはどことなくザラザラ感が残る。 BeLegendを4年前とかに知っていればなあ。 弟ももう少し飲みやすかっただろうに。

当時は糖質制限がうまく行きにくいタイプの人が どういう人か、ということが知られていなかった。 普及が加速したおかげで、 うまく行かない例についての知見が溜まってきた、ということだろう。 まず、蛋白不足があるとうまく行かないという。 消化能力が低く、蛋白や脂で胃がもたれて食べられない。 糖質を削る前に蛋白を増やさないといけない。 先に糖質を削ると栄養不足に陥る。 加えてビタミンや鉄の不足を解消する必要があり、 足りないと消化能力や脂質代謝が低く、諸々不具合が出るという。 糖質制限初期からプロテインとサプリを使う流派が 出てきていて、何せデータが公開されていないので成績はわからんが、 理屈上は良さそうに感じる。 サプリが必要なのかは確信が持てないが、プロテインは良かろう。 プロテインで蛋白15gを一日3回摂るのは簡単だが、 卵を一日8個食うのは簡単ではない。

2018年12月05日

次から次へと作る物が押し寄せる状態だと、 「何をしたらUnityは重いのか」なんて気にしてる余裕がない。 0.1msやそこらの負荷だとそもそも気づきもしない。 しかし、小さなサンプルで実験しつつやる手間をかけられれば、 いろんなことがはっきりする。

例えば、今更だがGraphic.colorのセットがひどく重いことに気づいた。 sizeDeltaもだ。 ある演出で透明度をアニメさせる0コンマ数秒間だけ0.2ms重かった、 みたいなのはなかなか気づかない。 気づかないということはどうでもいいということではあるのだが、 データ依存でひどく重くなるかもしれないわけだから、 いつ火を吹くかわからない。 そんな状態で他のチームに渡してしまい、 渡した先でその重い機能を大量に使ったらどうなるか。 「なんだよこれ重いじゃん作った奴バカじゃねえの?」 みたいになるのは嫌だし、 重くなっていることに気づかないまま大量に使って 開発終盤で負荷が問題になる、なんてことになるとなおさら悪夢だ。 下手に賢く再利用したり共有したりすると、 いい加減に作ったものは途端に災いの種になる。 製品開発しながら作ったものがテキトーなのはやむをえんが、 共有するような話になったならば、製品から抜き出して一定の検査と検証を 経てからにしないといかんなと思った。

Unityの負荷についてはいろんな人がいろんなことを言っているが、 バージョン依存のことがあまりにも多いし、 他人の言っていることが全て正しいとも限らない。 重要な機能に関しては追試しておかんとダメだな、 と今更だが思う。しかし仕事の時間を全部作業で使い切るようでは そういう時間が取れない。 そういう時間が必要だとして、容赦なくタスクとして計上すべきなのだ。

でもまあ、無理だろうなあたぶん。 いつになってもそういうのを堂々と計上できる人間になれる気がしない。 夜やっちゃうか、やらずに済ませるかどっちかになりそう。 全体としてそういうことが必要なことは確信しているが、 具体的なことそれぞれが必要だということは確信できない。 「Graphic.colorのセットに何msかかるか最小サンプル作って調べることが必要か?」 なんて自分でも必要かどうかわからん。自分ですら趣味なんじゃないかと思う。 だから、文書化して共有するってのは大事だな。 文書にすれば論理の穴も、調査不足も、たちまちはっきりする。 埋めざるを得ない。

2018年12月04日

2年間でいろいろ作ったり考えたり試したりしたので、 そういうのを文章にして出していくとしよう。 自分のブログで出すと製品のスクショが貼れないし、 運用の詳細も書けないので、会社の技術ブログの形が良いだろうと思っている。 記名記事なんだし、自分のブログでやる利点が一つもない。 同僚にチェックも頼めるし。

BeLegendのプロテインを3kgほど注文して、今日届いた。 とりあえずミルキー味を子供に飲ませてみたが、 評判がよろしくない。オタマはマズいと言い、シノンは飲んでおいて「おいしくない」 と言い、オトモは若干残した。みかん味に期待だなあこうなると。

自分で飲むか。毎日50gくらいプロテインで余計に蛋白質摂ったら 何か身体に変化が起こるか、という実験でもしてみようか。

2018年12月03日

前の日記が父の癌のことで終わっていたのでその後のことを書いておく。

転移はなかった。リンパが腫れていたのは転移ではなかった。なのでステージ1。 おおよそ根治であろう、とのこと。禁煙に成功したが、 今度は太った。糖尿気味だから米減らせ、と結構言ったんだが、 やはりそう簡単には行かない。「米減らせ」よりは「肉増やせ」 と言う方がいいので、そっちで行こう。

仕事のことも書いておくか。

2016年9月に会社を移り、10月に現在のプロジェクトに配属された。 ゲームアプリ側のプログラマなんてロクにやったことなかったし、 Unityは素人だったし、作り方は未知だったしで、 今まで作ったゲームの中でも断トツでしんどかったが、 結構面白いものができて発売もできた。 ひつじこやオタマも結構遊んでくれてたからな。 3人でマルチプレイのネット対戦やったりとか、 転職前は想像だにしなかった。

違う部署に行ってゲームでないプログラマをやる、というのは面白そうなのだが、 家はこんなだしどうしたものかな。 2年かかって作った立場をまた捨てることになる。 新しい部署では私の腕がどれくらいか知る人はいないし、 Unityでもない。また素人からだ。 これからは療育関係で諸々あったりするし、 ちょっと状況が見えるまでは慣れた仕事からそれほど外れない方がいいのかもしれない。

そういえば会社の技術ブログ書いた。 が、ダメなんじゃね?感。 たぶん技術ブログってのはそういうのじゃない。 後続の反応が20個とかついてる記事を見るに、ノリが違う。文化が違う。 つうか単純に私のは長すぎる。

論文と考えた方がいい気がするな。説明を書いたらダメなんじゃなかろうか。 コード公開してるんだから見たらわかるんだよ。 実際に読者が見てわかるか、は別問題として、 文化として、「見たらわかるんだから説明はいらん」という文化である前提で 書いた方がいい気がしてきた。それなら説明に場所を食わないので、 内容に集中できるし短くもなる。説明でなく紹介であるべきなのではないか。

よし。新しい体制での日記を書くフローができてきた。 前はFreeBSD機にVNCで入ってvimで日記書いて自作スクリプトでftp駆動してsannetにアップロード、 だったが、sannetを破棄すべく、サイトをgithubに移した。 また、FreeBSD機に依存しないフローにした。なので、 日記リポジトリ内のファイルをvscodeで編集、commit、push、で終わりとなる。 最新二日分を抜き出すスクリプトを駆動する場所がないので、 現状は月単位ファイルへのリンクしかないが、まあいいだろ。

2018年12月02日

日記を書く気力がなくなり、twitterで済ませるようになってずいぶん経つ。 2016年9月に会社を移り、それから2017年3月ごろまでは会社の日報を書いていたので、 それまでは、ここに何も書かなくなっても文章を書く習慣は保たれていた。 その後は全く何もなしだ。twitterは即時反映されて人の目が多いし、 何かまとまったものを書く場合に全体の推敲ができないので、 あそこでは思考を整理できるほどの文章量は書けない。

しかしまあ、父の大腸癌の時のように危機的なことが起こると、 思考を整理したり、状況を受け入れたりするために文章を書く必要に迫られる。 私は他の方法を知らない。 会社の業務に関することは会社のslackに自分チャネルを作って、 そこに書きなぐっているのでいいが、 さすがに業務に関係ないことは書けない。 slackもtwitter同様に長いものの推敲をまとめてやれない欠点があり、 ここに書くことを代替できるわけではない。

さて、今回の危機的状況は、末っ子のオトモが、発達障害認定されたことだ。 新版K式発達検査でDQに30台が出た。 2歳10ヶ月にもなって、言語社会面は1歳0ヶ月並だという。 まるで会話ができないからな。 質問に「うん」とも「ううん」とも応えないし、要求にも応えない。 「かーちゃん」とか「とーちゃん」とかの呼びかけもない。 試験をするまでもなく非常事態だったわけだが、 試験で数字になると危機感が違う。 それでようやく具体的に対策をすることを迫られた。

まず、療育施設に入れることを決めた。 すでに幼稚園の入園手続きはしていて、 受け入れてもらえるのだが、 このコミュニケーション状態ではどう考えても辛い。 とにかく療育その他で状況の改善を図り、 どうにかなりそうなら幼稚園に行くが、 無理そうなら入園を延期する。 場合によっては、療育と幼稚園の併用という選択肢もあるだろうが、 まずはそれでもいいかなと思えるところまで持っていかないといけない。 とはいえ、こればかりはオトモ次第だ。やれるだけのことはやるが、 「やれるだけのことをやる」でしかない。 目標を持って行動する、という類のものではないだろう。 仮に、成人しても家を出ることができず、作業所に通うことになるとしても、 それを避ける方法がないのであれば受け入れるしかない。 心療内科の先生に「現状こういう状態だと将来の見通しはどうですか」 と尋ねたが、「小学校入学時には支援学級か通常学級かで迷うと思います」 と言われたので、それなりには深刻なのだろう。 診断は自閉スペクトラム症だが、範囲がムチャクチャ広いので、 つまりどういう異常なのかは現状わからない。 ただ、知的障害を伴うものではあるだろう、ということなので、 「言語や勉強は問題ないけどコミュニケーションうまく行かない」 系よりは深刻だろう。

単語自体はそこそこ知っている。100はある。 ただ、会話にそれを用いることを知らない。 図形の認識力自体はたぶんそれほどひどくはない。 タブレットのテレビ録画再生アプリ(nasne)で、 番組ごとの小さなアイコンでそれが何の番組かを識別して好きなものを再生している。 「さんかく」「しかく」「まる」は理解している。 要求する時に「みず」と名詞を言うことくらいはできるが、 「みず」以外は頻度が低い。ヨーグルトは最近飽きただけか。 未来予測的なところはだいぶ怪しい。 外出前に上着を着るのは嫌がる。外に出て寒いとわかった後なら着るが。 でもこれは子供ならそんなもんかもしれない。 運動能力は年齢並にある。ジャンプは両足でできて、10cmくらいは浮く。 力も結構強いし、走るのも速い。結構ずっと走っていて持久力もある。

最近の進歩。「靴を履こう」と言うと、結構な率で靴を履きに来てくれる。 まだ自分では履けない。帰ってきたら玄関で靴を脱ぐ。 たまに脱がずに入ってきてしまう。 Eテレの番組内のやりとりを真似する時に親と一緒にやれることがある。 「先生」「なんだい」「先生」「なんだい」と繰り返す奴を、 「先生」と私が言うと、オトモが「なんだい」と返す、みたいな。

今日はブックオフでパズルボックス(三角を三角の穴に入れる、みたいなおもちゃ) その他を買ってきたが、パズルボックスは本当ダメだな。 検査の時も全然ダメだったが、そもそも穴に入れようとしない。 穴に入れる方法がわからないのか、穴に入れるべきであるということを察してないのかは よくわからないが、入れようとして試行錯誤してうまく行かない、 みたいなのはあんまりなく、単に入れる気がなさそうには見える。

夜20時以降タブレット禁止とした。しまう。 日が変わってもオトモだけ起きている、みたいなことがしばしばあり、 いいとは思っていなかったが、今まではひつじこの大変さもあって結構放置していた。 睡眠リズムを整えることが有益かどうかはわからないが、 とりあえず改善を図る。 これに関しては数日でかなりマシになってきた。 20時台には消灯し、21時までに寝かせる。 うちに大人の個室的なものはないので、家全体消灯だ。 子供部屋だけ消灯、みたいなのはしない。基本大人もその時間に寝るようにする。

蛋白質が足りているのか不安なので見直す。 蛋白質や鉄の不足がエネルギー生成効率に影響して 脳の機能を落とすのでは、みたいなことを言っている医者がいて、 本当かどうかは知らないが、栄養が足りていて悪いことはないだろうし改善する。 身長体重に異常はないのでたぶん大丈夫だが、 シノンほどではないが偏食なので、不安は不安だ。 丁度ひつじこは蛋白不足が強く疑われる状態で プロテインを試すことにしたので、もし飲めるようなら飲ませてみる。 be legendのみかん味とミルキー味を早速注文した。 ビタミンに関してはiHerbでマルチビタミングミを買って常備するようにした。 食事で摂れればいいんだが、気まぐれで難しいし、 栄養量をカウントする手間も大変だ。

卒乳させる。ひつじこの育児負荷を減らすことと、 「食べなくても乳があればオーケー」的なことにならないように 乳は終わりにさせて食べるように仕向ける。 それもあって、8日から10日までひつじこには旅行に行ってもらうことにした。 名古屋で演劇を見たり温泉に入ったり友達と会ったりしてくるという。 休養の手段として旅行を使うのは本来良くないのだが、 家でゴロゴロさせようと思うと、私と子供3人で外に出ないといけなくなって、 それは金の面でも手間の面でも相当キツい。 ひつじこ実家に4人で行く、とかいう手もなくはないが、 そちらに負担がかかるし、学校や幼稚園があるから土曜一泊だけだ。 そして結局、食事やら何やらを考えると家でないと対応がしにくいわけで、 家の方がいい。

車を手に入れる、というのも中期的には考えないといけないかもしれんなあ。 移動手段がバスと電車と自転車だけだとキツいケースは多そうだ。 月2回くらいまでであれば割り切ってタクシーにした方がコストもリスクも 低そうだが、それを越えてくる予感がするなら考えないといけない。 そして、そういうことも考えると、収入を上げる算段はした方がいいだろう。 転職する時には「とりあえず同じで」と言って前職と同じにしてもらっている。 入社した後微妙に給料を増やしてもらっていてありがたい限りだが、 今後もっと増やそうと思うと、まず会社を儲けさせないといけない。 残念ながらまだ会社を儲けさせる仕事ができていないので、 そっちに働き方を振らないといけないだろう。 しばらくは労働時間を減らして家のことを優先するが、 そう遠くないうちに会社を儲けさせることにそれなりに力を入れていかないといけない。 「私をうまく使って儲けてくれ」と他人事にしておくわけにも行かん。


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