今日は父の手術当日。
前日は会社を定時っぽい時間(裁量労働なので定時はないが) に出て、終電で実家につくように電車に乗った。 鎌倉からいわきまでは結構遠くて、19:42発で着が23:07になる。 それでも3時間半弱というのはずいぶんと速くなったのだろう。 泉駅からは歩くつもりだったが、今更調べてみたら5kmもあったのと、 雨だったので駅前にいたタクシーを使った。 深夜って高いのな。5kmで2000円超え。
下の弟がすでに来ていて、昼間に手術の前日説明を聞いてきていた。 夜はいろいろ話をして寝た。弟はゲーム会社でインフラ屋をしている。 以前はインフラのことはさっぱりわからなかったが、 今なら多少はわかる。 普段考えてた疑問とかに答えてもらえて良かった。
手術は9時から。3時間の予定で、12時半ごろ医師に呼ばれた。 盲腸から上行結腸、それに小腸の一部を切除。 リンパ節は結構取ってきていて、たぶん標準的にD3郭清をいうのをやったんだろう。 腫瘍は確かに15mmで大きさ自体は大したことがないのだが、 リンパ節が二つ腫れている。一つは近いが、もう一つは数センチ離れている。 腫れていても転移がないことがあるらしいので確たることは言えないという。 病理の結果が出るのは10日後くらいのようだ。入院は2から3週間だという。
大腸癌はリンパ転移が1個でもあればステージ3という分類になる。 5センチとかある大物でもリンパ転移がなければステージは2だ。 ステージは生存率によって分類されているわけで、 リンパ転移があることはそれだけ分が悪いということを意味する。 ガイドラインによれば、 によれば、リンパ転移2個だとステージ3aで、5年生存率は77.3%だという。 細かく見れば、盲腸と見れば73%、上行結腸と見れば79.1%となるが大差はない。 この中には再発しながら5年経過時点でまだ生きていた、という人も含まれるので、 「ちゃんと治った」率はこれより低い。 大腸癌は胃癌よりはマシで、肝転移してもまだ完治の可能性があるが、 そうならない方がいいに決まっている。
ステージ3の場合、手術後に補助化学療法が勧められる。 5FU+LVが標準で、これは週一回の点滴だ。6ヶ月続ける。 5FUを飲めるようにした薬が何種類かあって、それを代わりに使っても 生存率に大差がないことはこれまでの実験でわかっている。 欧米の試験では、 これにオキサリプラチンを足すことで生存率が上がる ということがわかっているが、この実験だと、 3年後に再発なしで生きてる率が5FU+LVで66.5%、ゼローダ+オキサリプラチンのCapeOXで70.9%。 4%くらいの人がオキサリプラチンに命を救われた計算になるが、 そもそも率が日本の成績よりちょっと低めだ。 救われる人の率は4%より低くなる。 そして、その代償はとても無視できない。80%近い人に痺れが残る。再発しないで生き残れた人の大半は、 オキサリプラチンなしでも生き残れたはずの人で、マイナスでしかない。 やるかやらないかでなく、量を減らしてやるとかそういう選択肢があるのかどうかは 医師に相談だろう。普通に考えて、量が50なら100よりは副作用が少ないが、0よりは効果があるはずだが、 「量を勝手に変えるとエビデンスがない」と言う人もいるっぽい。
3ヶ月に短くしても再発率が大して上がらないという実験 もある。ひどい痺れが残る率は50%が15%になったりと、かなりマシになる。 日本の成績はいいんだからそんなにオキサリ使わなくていいんじゃね?的な論文 もあり、これ悩むだろうなあ。 この論文には、ステージ2扱いされてる癌でもステージ3よりヤバい例があることが書かれていて、 分類の妥当性が怪しいみたいな話もある。ステージ2でも、つまりリンパ転移がなくても 癌が腸を突き破っているようなケースはやはりヤバいし、 逆にリンパ転移があっても癌が壁の中で止まってるケースはそれほどヤバくない、 みたいな話か。
リンパ転移がなければこんなことを考えたことが全部無駄になって最高なんだがな。
父に癌が見つかった。便に血が入っていて発覚したようだ。 大腸の盲腸付近で、上行結腸癌だ。 大きさは15mmだが、内視鏡的な切除はできないという。 形が悪いのか、隆起した所のてっぺんでない所に癌があるのか、 そのあたりはわからない。3/1に一旦退院し、 3/8に外科を受診して治療スケジュールと治療法が決まるという。
とりあえず禁煙を指示されて大変だそうだ。親は私が家にいた頃は 両方喫煙者だったが、母は結構前に肺気腫の診断をされて禁煙した。 父はしつこく続けていたが、これでついに禁煙させられるわけだ。 癌が問題なく治るという前提であれば、喜ばしいことと言える。
15mmはおそらくステージ1で、ステージ1の5年生存率は98%以上。 再発率は1%程度だ。弟の時とは天地の開きがある。楽勝と言っていい。 治療法をあれこれ調べる必要もない。標準治療でやってもらえばそれでいい。
選ぶべきことがあるとすれば、腹腔鏡か開腹か、だろう。 しかしこれも、その病院がどちらを得意としているか次第と言える。 普段腹腔鏡でやっているなら、それでいい。 早期の大腸癌に関してはもはや腹腔鏡がメジャーなので、 おそらくはそうなると思う。慣れているのであれば、 傷が小さいことの利点を享受できるだろう。
この機会に健康になってもらおう。 まず禁煙に成功してもらい、それに慣れてもらってから、 糖尿気味な状態も脱してもらおう。
弟の時も最初はそう思っていたな。最初は。 だが次第にそれどころではないということが 明らかになっていった。 生きるか死ぬかの瀬戸際であって、QOLなどとヌルいことを言っていられる状態ではなく、 最善の選択をしたとしても生存率は2割以下であろう、 ということの意味を本当の意味で実感したのは、 かなり経ってからであったように思う。 今にして思えば、医者は「治るかもしれない」と言った。 敗北はほぼ必然だったのだろう。 だが、その「治るかもしれない」に賭けていたら、 もしかしたら本当に治ったのかもしれないという後悔はずっと残る。
かなりの確率でその手術侵襲によって寿命を縮めていただろうが、 それはそれであれほどに苦しい闘病生活を送ることはなかった。 9月食道亜全摘、11月肺切除と進んで、その時点で肺が転移と判明し、 根治の可能性はそれで消える。 そして3月に肝転移が発見されたのだろう。シスプラチン+S1が開始され、 ほどなく無効となって緩和送りだ。 2015年の終わりを見ることはなかった公算が高い。 それが良かったか悪かったかは今となってはわからん。 弟の闘病生活を支える毎日の負荷が父に癌をもたらしたような気もする。
忙しい時ほどいろいろ起こるような気がするな。 だが今回はやることはない。標準治療だけで考えて差し仕えないはずだ。 せいぜい肉をたくさん送りつけるのと、 見舞いに行くくらいだ。 今やるべきことがあるとすれば、いつでも見舞いに行けるように、 極力仕事を進めておくことだろう。 もう有給が一日も残っていないので、必要なら土日に働いて 休みを生産しておかねばならん。 母から手術当日は来てくれ、と言われているしな。 3月下旬になるだろう。