だだもれ

2018年02月24日

MSM8926(snapdragon400)を積んだ機械はかなり出回った。 2015年になってもまだ出ている。 こんなに遅いのか。MSM8916を1年以上使っていたが、それでも相当遅かった。 その7割くらいしか出ないらしい。

2018年02月18日

体調良くない子供を連れ回してしまった。反省。 帰宅後シノンが39度の熱を出した。ほどなく38度ちょうどまで下がって、 その後鶏肉を食べていたりしたので安心しはしたが、 生理中のひつじこの体調も悪くて大変な状態。

先週からの風邪が完治しない状態で、 たぶん滲出性中耳炎を起こしている。高周波の聞こえが著しく悪い。 昨日一回抜けたのだが、今日再発して元より悪化した。 鼓膜の奥に水が貯まってるなら穴開けて抜いてもらう方が早いのだが、 原因は耳管の閉塞で、そのさらに原因は副鼻腔あたりから耳管にかけての 炎症だろう。腫れによって物理的に開閉機能がダメになっている のではなかろうか。いいから耳鼻科行けよ感はあるが、 未だかつてこの症状で耳鼻科に行って助けになったことがない。 最近の医者はそうそう鼓膜切開はやらないし。

小青龍湯+越婢加朮湯が派手に効くという報告があるな。 小柴胡湯+香蘇散が効くと山本巌本にはあったが、あれは小児の慢性的な奴向けで、 大人が飛行機や風邪でかかる急性の奴にはたぶん効かない。 そして、小青龍湯と越婢加朮湯というのは、 つまり麻黄石膏の利水に、朮や細辛の利水をプラスした、 強力利水薬だ。麻杏甘石湯+五苓散でも細辛は入らないが朮は入る。 よし試そう。

ナイアシンを大量に飲むとコレステロールが下がるという話があって、 とある内科医が自分で実験してマジで下がって驚いていた。 よし実験だ。糖質制限を始めてからずっとLDLが高い。 HDLも高めなのでたぶんさしたる問題ではないのだが、 異常値が出るのは気分が悪い。 しかし、ナイアシンは人によっては大した量でなくても細胞内のヒスタミンが 一気に放出されて赤くなったり痒くなったりするという。 普通に考えて慎重にやるべきだ。

試したのはイノシトールにナイアシンをくっつけたもの。 徐々に分解してナイアシンが出るので痒くなりにくいらしい。内科医が試した製品。 ナイアシンアミドというやつは2000mg以上で肝障害の報告があり、避けた。 まずは500mgから行ってみた。一日の必要量が15mgと言われているから、 だいたい30倍。というか、なんで15mgが必要量のものに500mgのカプセルが 売られてるんだろうな。それより減らせないじゃないか。まあ、 その内科医は最終的に4000mgを二週間続けた結果LDLが恐ろしく下がった、 ということなので、私もそこまでやるんだろうなとは思うわけだが。

で、500mgでは何の副作用も出なかった。なので、その日の夜にもう500mg飲んだ。 特に何も起こらない。そこで次の朝は1000mg飲んだ。やっぱり何も起こらない。 そんなこんなで、さっき6カプセル、3000mg飲んだ。朝1000mg飲んだので合計4000mgだ。 なんかあちこちピリピリする気もしなくもないが、たぶん気のせいだろう。 気のせいでなかったとしても、せいぜいその程度だ。 なくなるまで飲んで、その後かかりつけ医に相談して血液検査してもらおう。

幼稚園イベントでバイオリンを頼まれたが、「ポップスで」という指定。 適当にそれっぽい楽譜を買ってきて弾きながら眺めていたが、難しい。 曲が難しいのではなく、聞けるものにするのが難しい。 なにせピアノがない独奏なので、シンコペーションが激しいものはかなり直さないといけない。 基音が聞こえないと曲の輪郭が取れないものは分散和音にして基音を鳴らさないと いけないし、間奏前奏後奏がないと曲が成立しないものはどうにかして足す必要がある。 楽譜そのまま弾くことはほぼ不可能だ。 昔ならその手のアレンジは即興でやれたが、 今は腕がついてこないのでかなり簡略化しないといけない。 とりわけ重音が下手になっているのが厄介だ。 そして、それをうまくやれたとしても、 ひつじこによれば、「原曲をまともに聞いてない状態だと 皆が持つ原曲のイメージを出せないので外しているように聞こえてもったいない」 という。それはありそう。

というわけで50曲も入ってたが大半使い物にならない。 旋律が素直で使いやすい曲でも、素材が少なすぎて終わらせ方に困るものがある。 歌と違って言葉を変えて3回繰り返すというわけには行かない。

耳痛くなってきた。飛行機の後と似ている。耳管あたりが腫れてるなあこれは。 麻杏甘石湯が効くといいのだが。

2018年02月11日

とりあえず日記を更新。といってもほとんどひつじこので、 超怒ってた時期のだったりして気まずい。 日記を書く時間を取れないので外からここを見てると 黙殺してる感が満載だ。

vscode、skk使える気配がないな。ctrl-jが割り当てられてたので解除したが、反応しない。 拡張を見ると何故かSKKの辞書だけはあるのだが、どうしたら動くんだこれ。

というわけで、vimに戻ってきて書いているのだが、ふと思った。 作れるんじゃないのか自分のskkが。

結構長いことプログラムを書いて給料をもらっているにも関わらず、 コンピュータを使っている時の意識は「ソフトは他人が作ったのを使うもの」 という感じで変化がない。SKKのようなものを自分で作れる、 という発想に至らなかった。 ゲームを作っていると大抵自分で作ろうとしてしまうわけだし、 思い返せば言語を作る真似事をしたこともあった。 SKKのプログラム自体はソースはあるだろうし、 さらに言えば、SKKそのものを作る必要もない。 正直辞書に入っている注釈は邪魔だし、 ctrl-jやらlやらのキーバインドが自分にとって理想とも限らない。

しかしそれはそれとして、vscode上でgitの状態が見えるのは便利で、マウスでaddやcommitやpushが できるのは楽だ。vimがコンソール上で動くとしても、vimの上でgitのコマンドを叩くのが 便利なわけではない。それを便利にするものがいろいろあるっぽいが、 入れるのも、使い方を覚えるのも面倒だ。 GUIは手に馴染むまで習熟しなくても使えるし、しばらく使わなくて忘れても致命傷にならないのがいい。 vscodeをgit用コンソール代わりにしよう。 それに、外ファイルからの貼りつけや、広範囲に見るのはvscodeの方がいい。

9月、10月、11月のひつじこ日記が抜け落ちていたのを貼った。 この手間をかけてでもひつじこがブログに直接書かないでいるのは、 その方が安心できるからだそうだ。それはそれでいい。

そういえば9月には肺炎にかかった。転職後で 有給が尽きる寸前だったこともあるが、無理をしすぎたのだろう。 体重が61kgを切ったら極めてマズい。 今も風邪なのでそんなことを思う。 ここのところ労働時間が12時間を超えることが珍しくなくなっており、 結構マズい。別に強いられているわけではなく、 むしろ長時間労働は忌むべきものとされているのだが、 「8時間で効率良く仕事を片づけるのが善」というのは 正直辛いのだ。勉強を混ぜる余裕がない。試行錯誤を極力減らし、 今できることから外れないのがいい、ということになりやすい。 もちろん「必要なら試行錯誤もするべきだし成長は善」 なのだが、「必要なら」がなかなかに厄介だ。 そもそも自分でも必要だと確信できることはあまりないので、 「必要です」とは言い難い。うまく行くかわからんことも多いしなあ。 実際最近やったことはあまりに面倒が多くて頓挫したし。

Unityが想定しない類のことは極力Unityの外でやらないとダメだな。 Unityの仕様に左右される場所でその手の工夫をやると、 そこそこ動く状態まで持っていけたとしても後々災いの種になりかねん。 ymlを文字列的に書き換える、とかはしたくない。

ひつじこは綺麗好きだということが今更ながらはっきりしてきた。 流しと皿を同じスポンジで洗うことに違和感がないレベルに 流しを綺麗にする、というのは結構大変だと思う。 私は流しは一段汚ない場所と位置づけていた。 それでも、欲しいのが「綺麗さ」という結果だけで、 単にひつじこの負担が大きいから私も負担すべき、 というだけなら話は早い。私がやるというルールにするとか、 どこまでやるべきかを言ってくれればやる。 しかし、「いやそんなの当然自分で気づくはずだし、気づいたらやるでしょう」 ということであって、「言われればやる」はひつじこ的にはアウトだ。 砂を汚れ扱いしないレベルに掃除にこだわりがない 私には辛い。 しかし要求水準にズレがある場合、割を食うのは要求が高い方だ。 低い方がどうにか合わせないと、高い側に負荷がかかり続ける。

「絶対家事とかしない」という人もいる。 人は得てして「全くやらない」よりも、 「やったけど不足」の方に不満を感じることが多いし、 得意でなく興味もないことをやることは効率も悪い。 むしろ分業をはっきりさせる方がいい、という考え方だ。 でもそれはうち向きじゃないだろう。

会社は簡単なんだけどな。 効率が悪いことをすると単純に儲けが減るので、 不得意なことより得意なことをさせるように力が働く。 それぞれが得意技を持ち寄ればいい。 しかし、家庭はそうは行かない。

まあ会社とてそんな単純な原理で動くわけではないか。 集団は、個人の欠点を補い合う分業を可能にすることで 効率を向上させる手段だ。 しかし、需要がない所に特化はできないので、 需要がない所が得意な人はそれを生かすことができない。 それはその人がその集団にいる意味がないということなのだが、 無理にその集団の中で需要を満たそうとすれば 得意でないことをやることになる。 集団が小さいほど需要の多様性がない傾向があるはずで、 たぶん小さいほどそうなりやすい。 家族だと得意とか不得意とか言ってられないわけだが、 会社もそんなに変わらないだろう。 大きい会社でも部署やらチームやらで小集団に分割されていて、 そうそう移動できないからな。

あと、集団に危害が及ぶ機会が 集団の人数に比例して上がることがある。 子供がたくさんいれば「何か事故が起こる確率」は上がる。 会社でも「誰か一人でも悪いことをする確率」や、 「誰かがバグつっこんでプログラムを止める確率」が上がる。 なので、たぶん集団が大きいほどチェックやらルール化やらで 効率を落としてでも安全性を上げようとする圧力がかかる。 家の中から危ないものを排除しすぎる、みたいなのと、 進捗管理がどんどん面倒くさくなっていきがちなのは たぶん似てる現象なんだろう。

ゲームは私が遊びたいだけだからなあ。 子供3人をまとめて引きつけられるならいいが、 そうでなければ役立たず、というのは確かにそうだし。


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